面白そうだから魅了にかかったですって?王太子殿下に頭にきましたわ。
ユリディシア・アマリヤ公爵令嬢には、幼い頃からの婚約者であるジレット王太子殿下がいるのだが、最近、様子がおかしい。
王立学園において、桃色の男爵令嬢アリア・パレットに興味を持ったのか、共に行動するようになったのだ。それも人目をはばからず、腕を組んで親し気に話をしながら、とてもではないが、婚約者という自分がいるのに、そんなことを気にする様子もなくて。
― どういうことよ。わたくしとは幼い時からの婚約、愛しているとかそういう言葉はなかったけれども、時折、交流するお茶会とかで信頼関係は築いてきたはずよ。わたくしはそれでも物足りず、愛してほしいとか思ったけれども、でも… 何よ。あれは… -
あんな眼差しで見つめられた事はない。
あんな風に優しい声で話しかけられた事はない。
なのになんであの男爵令嬢に対しては、あんな態度を取るの?
おかしいのではなくて?
アマリヤ公爵家の屋敷の居間で、お茶を飲みながら頼りになる兄ブレッドに相談した。
兄は一つ違いであり、彼も王立学園に通っている。
ブレッドはユリディシアに、
「ああ、見た見た。アレは魅了にかかっているな」
「まぁ魅了にですって?」
「しかし、魅了ごときにかかるとは、あの男、大したことは無いな」
ユリディシアは怒りまくった。
「わたくしの婚約者なのです。王太子殿下は。大した事はないって……」
「だってそうだろう?お前だって解っているはずだ。魅了位、はねのけなくてはどうする?お前が万が一、魅了を誰かにかけられそうになったとしたら?簡単にかかるか?」
「では、王太子殿下はわざと隙を作っていると……」
ブレッドは優雅にカップを持ち、香り高い紅茶を飲んでから、
「どうしてそうなる?お前の王太子殿下に対する評価は高いな」
「だって、王太子殿下は素晴らしい方です。簡単に魅了にかかるだなんて思えないですわ」
「それならば、わざと隙を作っているとしたら恋を楽しんでいるのではないのか?」
ユリディシアは立ち上がった。
「お兄様。わたくし……」
「なんだ?あの男を見限ったのか?だが、王家の命による婚約だ。向こうから破棄しないとこちらからは破棄できないぞ」
「違います。わたくし、魅了なら負けませんわ」
「え???」
「あんな小娘以上の魅了をかけてみせますわ」
そう、あんな小娘になんて負けない。わたくしはジレット王太子殿下の婚約者、最高の魅了をお見せしましょう。
白い花をふわりと咲かせて……
ジレット王太子殿下の身体を、魂を包み込む。
先に包み込んでいた桃色の花の上から、更に大きく深くジレット王太子殿下を包み込む……
翌日、王立学園で朝からジレット王太子殿下が、ユリディシアを馬車で迎えに来た。
「ユリディシア、今まですまなかった。私はどうかしていたらしい……なんて今朝も美しいんだ。さぁ私と共に学園へ行こう」
ユリディシアをお姫様抱っこし、馬車へ共に乗り込む。
ユリディシアは真っ赤になった。
「そ、そんな人が見ておりますわ」
「見たい奴に見させておけばよい。私達は婚約者……仲良くするのは当然の事だ」
顔だけは良いジレット王太子。間近で見るその破壊力は半端なく。
― なんて美しいお顔なんでしょう。何度見ても飽きないわ。-
ジレット王太子は菓子箱からチョコレートボンボンを取り出して、
「あーーんしてごらん」
「朝から、チョコレート?」
「食べさせてあげるから」
「いえ、ちょっと恥ずかしいですわ」
「ほら、あーん」
チョコレートを食べればとても甘い味がして……
もう、恥ずかしくて恥ずかしくて、でも幸せで……
例え、魅了によるジレット王太子殿下の態度だとしてもユリディシアは構わなかった。
王立学園へ着けば、例の男爵令嬢が待ち受けていて、
「ユリディシアさまぁーーー」
何故か抱き着かれた。
「え?わたくし、貴方に名を呼ぶことを許した覚えは……」
「好きですう。お慕いしておりますう……なんでも命じて下さいませ」
ユリディシアは唖然とした。
ジレット王太子に魅了をかける時に、上から包み込むように、男爵令嬢の花を包み込んだのだ。
いや、もう。わたくしが欲しいのはジレット王太子殿下の愛だけなのよ。
包み込んでいた桃色の花を、ぱりんと砕く。
ハッとしたように、男爵令嬢アリアは、
「どういう事ですか?ジレット様は私の事が好きだって。それなのに、なんでお二人は仲良くしているんですか?」
ユリディシアはアリアに向かって、
「わたくしと王太子殿下は婚約者だからですわ」
「愛はないって言っていました。私にこそ愛はあるのよ」
「魅了を使っていましたわよね。人の婚約者に魅了をっ」
アリアは開き直る。
「魅了にかかる方が隙があるのです。ジレット様は喜んで魅了にかかりました。私の事が元から好きだったって事ですわ」
ジレット王太子は背後からユリディシアを抱き締めて、
「それはない。面白そうだからかかってみたがね……私は恋をする気持ちっていうのが解らなかった。魅了にかかってみたら解ると思ったんだ。成程、相手の事だけを考えて胸がドキドキして毎日が幸せで……これが恋ってものだって解ったよ。私に対してユリディシアまでが魅了をかけてくれて。もっと私に魅了をかけてくれ。君におぼれさせてくれ。ユリディシア」
ユリディシアは何だか頭にきた。
「それでも、面白そうだからってアリアとやらの魅了にかかった貴方を許せませんわ!あなたはわたくしの婚約者なのに、目の前でイチャイチャして。それに恋という気持ちが解ったというのなら、そのままアリアと恋していればよろしいのではなくて?」
「いやその……私は君の事が好きなんだ。その事がやっと解ったんだ」
「わたくしに魅了をかけられたから、好きというだけでしょう。説得力がありませんわ。アリアでしたわね。王太子殿下に魅了をかけて、連れていってよろしくてよ」
「え?」
「これで婚約破棄されれば、わたくしは自由。元々は王家から望まれた婚約ですもの。本当はわたくしは愛のある結婚をしたかったの。ですから……魅了は解除致します。わたくしの事は忘れて下さいませね?」
白い花が砕け散る。
魅了で自分の事を愛していると言うのなら……こんな悲しい事はないのではないのか?
本当は愛のある結婚をしたかったのだ。
貴族令嬢として失格だとしても……
涙がこぼれる。
心にぽっかりと空いた穴が寂しかった。
これで、ジレット王太子殿下はアリアという男爵令嬢におぼれるだろう。
自分への愛は無くなり、婚約破棄をするだろう。いや婚約解消か……
それでもよかった。
翌日、ジレット王太子殿下から、山のような花が届いた。
部屋を埋め尽くすような薔薇の花。真っ赤な薔薇の花。
兄のブレッドが、呆れたように、
「男爵令嬢の魅了よりも、お前の事が愛しいそうだ。会ってくれと外で待っているぞ」
「わたくしのどこが愛しいと言うのでしょう。わたくしは可愛げのない女ですし……」
そこへ、ジレット王太子が居間に入って来た。
「それなら、君は私のどこが愛しかったのだ?」
「それは……貴方様の一生懸命に勉学に励む姿とか、この王国の未来を真剣に語る姿とか」
「それならば、私も同じだ。君の一生懸命な姿に……共に歩んでいけると思った。君とならどこまでも一緒に駆けていけると……その時はそれが愛だとは思わなかった。だって政略で婚約していたから。でも男爵令嬢の魅了にかかってみて、恋する気持ちは解ったが、相手は男爵令嬢ではないと思った。私の恋は、私の愛は君と手をたずさえて行く未来だ」
「あああっ…嬉しい。わたくしもですわ。と言うとでも?」
ジレット王太子は頭を下げて、
「悪かった。本当に悪かった。浮気をしていると思われても仕方ない。面白いからと言って男爵令嬢の魅了にかかって、イチャイチャした事は反省している。私にチャンスをくれ。一生償っていくから。よい王様になるから。よい夫にもなるし、沢山の子供を作れるよう努力もしよう。側妃も愛妾もいらない。君だけを愛するから。だから、お願いだ。私を見捨てないで欲しい」
思いっきり縋られてしまった。
ユリディシアはハァとため息をついた。
そこまで反省しているのなら仕方がない。それに、わたくしだってジレット王太子殿下の事を愛しているのですわ。
「面白いからって、二度と、他の人の魅了にかからないで下さいませ」
「勿論だ。反省している」
「それに、今はわたくし、貴方に魅了を使っておりませんわ」
「それでも、ユリディシアの事を愛している。私は愛というものが解った。君がいない未来なんて考えられない。お願いだから、私の妻になって欲しい」
「解りましたわ」
兄のブレットも頷いた。あまりにもジレット王太子の熱い口説き文句に呆れたのだろう。
ユリディシアは後にジレット王太子と結婚した。
ジレット王太子は事ある毎に愛の言葉をユリディシアに囁いて、赤い薔薇を誕生日や結婚記念日に、部屋いっぱいに送り、愛妻家として王国民全体に知られたと言う。