ただの栄養士 山本倫太
「偏ってるね~」
そう言うとおじさんは
胸の前で組んでいた両腕をぱっと離し、
アメリカ人が「Oh,No!」ってやるときみたいに
肘を曲げたまま両掌を上に向けてみせた。
「今日も暑いなぁ~」
すでに、汗でびしょびしょになったハンカチで顔をぬぐう。
その夏、コロナ対策で窓がところどころ開けっ放しで、
戸締りが緩い教室は28度を超えようとしていた。
僕の名は森田未唯、大船山小学校に通う4年生。
10歳の男の子だ。親友の森田真麻といつも
つるんでいる。
真麻とは苗字が同じで席が隣同士だ。
家が近かったこともあり、真麻はコロナでしばらく休んだ僕の家に
プリントを持ってきてくれたり、勉強のわからないところを丁寧に教えて
くれたりした。今はお互いに親友と呼び合う仲だ。
午前の授業が終わり僕が席を立とうとしたとき、
いつにも増して眠そうな顔の真麻が言った。
「未唯~お水持ってたらちょうだい。」
「ほれ」
僕が冷たい水の入った水筒を差し出すと、真麻は受け取って
やや吊り上がった眼尻を下げて嬉しそうにごくごくと飲んだ。
そして、二人並んで教室を出ると階段を降り切ったところで
真麻が急に泣きそうな声で話し始めたんだ。
「お姉ちゃんが・・・帰ってこない。」
「えっ!?」
真麻には1つ年上の小学五年生の姉がいた。
真麻の話によると姉の茉奈が昨日の夕方から
帰って来ないらしく、原因もわからないらしい。
すでに両親が警察に届け出てはいるが、
その後の進展がなく、真麻も心配で眠れなかったと
言うのだ。
通りかかった一階の給食室の前には、
サンプルケースの中に給食の盛り付けが
されていた。今日の献立は夏野菜のカレーライス、
枝豆サラダ(醤油ドレッシング)、
そして牛乳だ。
「カレーライス。お姉ちゃんの大好物。」
「そうなんだ」
「でも牛乳は大嫌い。牛乳ってさ。なんで毎日出るんだろうね。」
姉を思いながら真麻が寂しそうな声で言った。
一体真麻のお姉ちゃんはどこに行ってしまったんだろう?
僕と真麻は沈み込み泣き出したくなった。
「偏ってるね~」
突然、調子づいた男性の声が廊下に響いた。
「お姉さん、牛乳嫌いなんだって?」
「あ。はい。」
思わず真麻が答えると、
「で、今、そのお姉さんは行方不明だと。」
驚いた顔で互いを見合わす僕たちにその声の主が言った。
「悪い。悪い。出てきたら丁度聞こえちゃってね。」
現れたのは瞑っているみたいな目をした中肉中背のおじさんだ。
年齢はお父さんの上くらい?白い調理服を着ている。
被った白い帽子の中に髪の毛が全部収められていて、
大きな顔がより強調されていた。
困って黙っている僕たちにおじさんは言った。
「わたしの名前は山本倫太。
ここで毎日君たちの給食を作っているんだよ。」
そして、左手の人差し指で自分の頭をコツコツとつつきながらこう続けた。
「みんなの食生活が偏らないように毎日一生懸命献立を考えているんだよ。
そしてね。今回のお姉さんの件は偏りが原因だと思うんだ。実はね…」
僕たちは放課後、真麻のおじいさんの家に居た。
その家は学校から2分ほどのとても近い場所にあった。
庭の奥にある物置の引き戸には竹ぼうきがつっかえている。
「お姉さんはきっとこの中だよ。」
そう言うと、おじさんは竹ぼうきを外して戸を引いた。
「真麻!」
気付いて立ち上がった茉奈が飛び出してきた。
「未唯君も…。でも、どうしてここが?」
「それはね。栄養が教えてくれたのさ。」
おじさんが答えた。
ほっとするのも束の間だった。
「貴様ら!そこで何をしているっ!」
背後から鬼の形相のおじいさんが現れたのだ。
「偏ってるね~」
そう言うとおじさんは
胸の前で組んでいた両腕をぱっと離し、
アメリカ人が「Oh,No!」ってやるときみたいに
肘を曲げたまま両掌を上に向けてみせた。
「あなた、カルシウム不足ですね?」
「いきなりなんだっ!なにを根拠にっ!」
「あなたのお孫さん、茉奈さんはあなたが最近怒りっぽくなって
周りにに当たり散らすのを見かねていたんですよ。そこで茉奈さんは、
あなたが急に変わってしまった原因を突き止めて、
問題を解決しようとしていた。」
「え…」
「そして調べているうちに、茉奈さんはあなたのイライラは食生活の偏りによる
カルシウム不足が原因だろうと言う結論にたどり着いた訳です。
あなたとぶつかるのもお互いにカルシウム不足だからだと。」
おじさんはおじいさんの様子がおかしいと噂になっていることを知っていた。
その上で真麻のお姉さんが学校給食から牛乳を持ち出したことに気づいていたんだ。
「そこで、茉奈さんはあなたに牛乳を飲まそうと給食から自分の分の牛乳
を持ち出すことにした。牛乳に含まれるカルシウムは吸収が良いですからね。
この季節、冷たい方が良いだろうと思った茉奈さんは、給食が始まる前に持ち出して
あなたの家に届けることにした。そして、すぐに学校へ戻るつもりだった…はずが」
「終始イラついているおじいちゃんに牛乳を飲ます方法が見つからなかったの。
物置を探したら牛乳を美味しそうに見せるお揃いのグラスとかないかなと思って。
それで一緒に牛乳飲もうって誘うと思って。
そしたら、入って戸を締めた瞬間に外に立てかけてあった箒が引き戸に
つっかえてちゃったの。」
「物置が日陰の涼しい場所にあってよかった。危うく熱中症になるところでしたよ。
それにしても、イライラとカルシウム不足との関係に気づいた茉奈さんは
優秀ですね。時に食生活は人の性格まで変えますから。」
「茉奈がそこまで心配してくれていたとは。すまない。茉奈」
真麻と茉奈のおじいさんは、涙をにじませながらおじさんにこう尋ねた。
「あ、あなた…
貴方様はもしかして管理栄養士ですか?」
「いいえ。ただの栄養士ですが…なにか?」
そういうとおじさんはにやりと笑い
ぐにゅっと右目を引きつらせて見せた。