夢と思いたい現実
一体何が起きたのか。
熱に浮かされた頭で俺は必死に考えていた。
昨日は自分の部屋で実習記録を書いた後に寝たはず……。
それで目が覚めたと思ったら、いつも以上に柔らかい布団と見慣れない天井と無言の挨拶を交わしてしまった。
「アルボル様、良かった! 目が覚めたのですね!!」
聞き慣れない声に視線を向けると、そこには目に涙を浮かべた執事姿の青年がいた。
見た感じ年は俺と同じくらいか、少し上。
キリッとした目元に薄茶色の瞳。窓から入ってきた朝日を受けて煌めく髪は、瞳よりも少し濃い茶色だ。服にはシワや汚れなどひとつもなく、俺の寝ているベッドに縋り付いていなければ、とても様になっていただろう。
初めて見る顔。そのはずなのに……俺は彼の名前を知っていた。
「……ラズール」
「はい! 私はここにいます! 頭が痛みますか!? それともどこか他に不調がありますか?」
頭に浮かんだ彼の名を呼ぶと、彼が心配そうな表情で顔を上げる。
何故、初対面の彼の名前を知っているのか。その疑問よりも大きな衝撃が自身の口から発せられていた。
正確には、声だ。
「……は?」
思わず喉を押さえる。
自身から発せられた声は、聞き慣れた音と全く異なっていた。
俺の声はもっと低かったはず。なのに、耳に届いたのは男性にしては高い声だった。
見慣れない場所。名前を知ってる初対面の青年。聞き覚えのない自分の声。
冷たい汗が背中を伝っていくのが、嫌にはっきりと分かった。
「すみません、鏡を貸してくれませんか?」
「えっ? はい……どうぞ」
首を傾げながらラズールが手渡してくれた手鏡を受け取り、恐る恐る自分の顔を鏡に映す。
鏡越しに目が合った自分の顔は、見慣れたものではなく、全く別人のものだった。
「アルボル様? 顔が真っ青ですが、やはり体調がお悪いのですか!?」
「体調が悪いで済めば良かった……」
お願いだから、誰か夢だと言ってくれ。
その後、俺は考え過ぎと混乱で思考がオーバーヒートを起こしたのか、熱を出して寝込み……今に至る。
「はぁ……」
どうやら、この体の持ち主は、数日前に落馬をして頭を打ったあと意識不明となっていたらしい。ラズールが呼んできた医師に症状を見てもらった。
医者曰く、頭に異常はないのだが、状況が読み込めてない混乱によって脳内がキャパオーバーを起こし、それが原因で熱が出てしまったとか。つまり、知恵熱のようなものだ。
他にも悪いところはないのか、大丈夫なのかと医師に詰め寄るラズールを宥めながらやんわりと追い出し、礼を言う自分に驚く医師に後日また診断をしてもらう約束を取り付けてやっと部屋は静かになった。
「起きて早々、疲れた……」
大きなため息を吐きながら、俺は柔らかすぎるベッドに身を預ける。
知恵熱なんて、昔、兄と血が繋がってないと両親から聞いた時に一度出したことがあったが、まさかまた出すことになるとは思ってもみなかった。
「状況を整理するか……」
1度大きな息を吐き出した後、俺は必要な情報だけを精査するため目を閉じる。
俺の名前は、宮永広樹。
看護師を目指して大学に通っている学生だ。
家族は両親と年の離れた兄が1人。
趣味は……今必要ないから割愛で良いだろう。
記憶も寝る前まではきちんとある。
どうやら、記憶が欠けたりしてる事は無いようだ。
問題は……いつの間にか増えている知識の方だろう。
ここは日本とは違う国で、名前をジニュエーブルという。三大都市と王都が中心となっており、三大王国と言われているらしい。
そこだけならただの外国で済むのだが……知識が合ってるならどうやらそれだけですまないみたいだ。
ジニュエーブル……いや、この世界にはファンタジーでいう魔術というものがあるらしい。
この知識が本当なら、俺は異世界に来た事になる。
それだけでも頭が痛いのに、今俺が動かしている体の持ち主の名前は「アルボル・ジニュエーブル」。今いる国の第2王子らしい。
改めて部屋を見回すと、飾られている調度品はどれも高級そうだし、水を飲むコップひとつとっても一級品だというのが分かる。
それに、ラズールはアルボルの事を「様」付けしていた。
まだ半信半疑な部分もあるが、アルボルの身分が高いことはほぼ間違いないと思って良いだろう。
あと知識としてあるのは……。
「俺以外に複数の王子と王女がいること、か」
第2王子と言うからには、第1王子がいることは確定だろう。それ以外の王女と王子の顔は落馬の影響なのか、ぼやけてしまってよく思い出せない。
「兄弟を覚えてないってどうなんだろうか……」
仲が悪かったのか、はたまた別の理由なのか。
どちらにせよ、よく分からない状況だ。情報は出来るだけ欲しい。
「熱が下がり次第、調べないとな」
まず最初に、自分の中に突然生まれた知識が本当のものなのか。
もし、知識が本当なら、日本に戻る方法を探す。
「俺が日本に戻ったら、アルボルに戻るだろうし……。違和感が出ないように、なるだけアルボルとして振舞った方がいいとは思うけど……」
アルボルが持っていたであろう知識は所々あるが、記憶は全くないのだ。
「記憶喪失……解離症健忘か?」
落馬で頭を打ったというし、ありえないことでは無い。
「それなら、記憶喪失なことにして過ごした方がいいのか」
それなら、仮にアルボルが戻ってきたとしても『記憶喪失のうちにやった』で済むだろう。
「はぁ……なんでこんなことに」
日本にいる俺の体はどうなってるのか。
両親や兄に迷惑を掛けてないか。
「早く戻らないと……」
熱が出た頭で色々と考えたせいか、さらに熱が上がった気がするが今後の方針が固まったから良しとしよう。
体調改善のため、俺は意識を手放したのだった。