セルシア王女
ゆっくりと意識が浮上し、目を開ける。
最初に映ったのは、見慣れ始めた天井と泣き出しそうなラズールの顔だった。
「アルボル様! 良かった……」
「ここ、は」
「アルボル様の自室です。庭園でお倒れになったことは覚えていますか?」
ぼんやりとした思考で記憶を探る。
確か、第1王女と会って戻ろうと思ったら……。
そこまで思い出し、ハッとする。
「セルシアは?」
あの怯えた瞳を見たと同時に、流れ込んできた記憶。今思い出しても吐き気がする。
セルシア・ジニュエーブルは、アルボルの知識になかった第3王女だ。
いや、正確にはある。おそらく、彼が王族として認めていなかったから、『王族の知識として』は除外されていたみたいだ。他の兄弟とは違いはっきりと名前を覚えているのも、良い証拠だろう。
彼女の母親は、辺境を収める男爵出身。それだけならまだ良かったが、アルボルの知識が正しいなら、精霊に対して禁忌を犯した一族とのこと。
詳細までは知識にないが、呪われた一族として忌み嫌われているらしい。それは王家の血が半分流れていても同じだった。
アルボルを始め、兄弟たちはセルシアを妹とは認めず呪いの姫として蔑んだ。
それに倣うかのように、従者達も彼女に対する態度を冷たくしていった。
結果、あのような王族とは思えない出で立ちをせざるおえない状態になっているのだろう。
「たかが血で……」
唸るように呟いたが、その血こそ王族にとっては重要なのだろう。致し方ないといえばそれまでだが、やはり気持ちのいいものでは無い。
俺自身は、血よりも関係や積み重ねて来た時間の方が大切だと心の底から思っている。
血が繋がってなくても、家族になれる。兄弟になれる。
それを俺は、実体験を持って知っているから。
きっと、いくら正論を並べられたところで俺の考えは変わることはないだろう。
おそらく今俺がしようとしていることは、この世界では奇行と言われる部類のものになる。
それでも、知ってしまった今放って置くことは出来ない。
俺は起き上がると、そのまま部屋のドアへと足を進める。
「アルボル様、どちらへ?」
「セルシアのところだ」
「では、私も着いていきます」
頻繁にいじめに行っていたのか、セルシアの部屋の場所は分かっている。
北の一番奥の部屋。城の1番日当りの悪い場所にある。
待遇からして、吐き気が込み上げてくる。
セルシアの部屋に向かうほど、従者の人影は減り彼女の部屋の前に来る頃には静けさのみが辺りに鎮座していた。
ドアに近づくと、微かに話し声が聞こえた。
日々の鬱憤を晴らすために、わざわざ彼女の部屋に押しかける下衆いな輩もいるらしい。
もしかしたら、そういう奴らがセルシアをいじめているのか?
軽くドアをノックすると、部屋の奥で何かが揺れる音がし、話し声が消える。
「セルシア」
呼びかけると少しの物音の後、慌てたように扉が開いた。
昨日とは違うが、やはり王族とは思えないボロボロな衣類。手入れが出来ていない髪。やはり王族に名を連ねているとは思えない状況だ。
「アルボル様、ど、どうなさいましたか?」
初めてきちんと聞いたセルシアの声は、鈴を転がしたかのように可憐だが、どこか怯えを含んでいた。
それはそうだ。彼女にとっては、今まさに自分に危害を加えるかもしれない人物が目の前にいるのだから。
平然といられる方がおかしいだろう。
彼女越しに見えた部屋も、至る所にヒビや破損が見られてとてもじゃないが暮らすのに適した部屋とは言いがたかった。
ふと、部屋の中から漂ってきた独特な香りが鼻腔を擽る。
自然と顔を顰めてしまったのか、セルシアはビクリと跳ねたかと思うと、右手で左手首を覆った。
彼女の手のひらに隠れる直前、俺は見た。
誰かが力加減を考えずに掴んだであろう指の痕があったことに。
「セルシア。今、誰と何をしていた?」
俺の言葉に、青を通り越して白くなっていくセルシア。その体は可哀想なほど震えていた。
「合意の上なら良いが……。相手が強要してきたというなら、話は別だ」
後半は部屋の中にも聞こえるよう、少し大きめの声で言うと男の軽い悲鳴が聞こえた。
セルシアの怯え方と手首の痣。
そして、今なお部屋から香ってくる鉄の香り。
ほぼ確定で、部屋に隠れてるやつはクロだろ。
「出てこい。それとも……出て来れないのか?」
部屋に投げかけると、転がるように兵士らしき半裸の男が出てきた。
「お、お許し下さい! まさか、アルボル様が来られるとは思ってもおらず」
「俺が来てれば、こんなことをしなかったとでも言うのようなセリフだな」
「それはもちろん……。アルボル様は落馬の影響で記憶の大半を失っているとお聞きしてますので、もしかしたらお忘れかもしれませんが、そういうルールがありますので」
「そうだな、俺は忘れてる。だから、教えてくれないか?」
一瞬、兵士は躊躇うように視線をさ迷わせたが、そのままおずおずと口を開いた。
「その……。アルボル様達がセルシア様の部屋に来られる日は、事前に通告がありまして。その日は王族以外この部屋は立ち入り禁止になるんです」
彼が言っていることが本当なのか、目線でラズールに聞くと、少し目を伏せたあと頷いた。
つまりだ、アルボル達のいじめを邪魔しないよう城の者全員がグルになっていたということになる。
「馬鹿馬鹿しい……」
か弱い少女をいじめるためだけに、そんな意味の分からないルールを設けるくらいなら、もう少し国民の為になる法律を考えることは出来ないのか……?
思わず出たため息をそのまま、俺は兵士に目線を向け冷たく言い放つ。
「全員に伝えろ。そのルール、この瞬間から撤廃する。今後一切、セルシアに暴力や嫌がらせを振るうことを誰であろうと許可しない」
「そ、それは……」
「第2王子アルボル・ジュニエーブルの名のもとに命令する。もし異論がある者がいるなら、俺に直接抗議するように。分かったらさっささとこの命令を城中に伝えてこい」
淡々と告げると、兵士は脱兎のごとく部屋から出ていった。
まさか、アルボルの名前を使っての初めての命令が、妹にいじめをするな、になるとは思ってもみなかった。
「あ、あの……」
「すまない、蚊帳の外にしてしまって」
セルシアと目線を合わせるように膝をつく。
少しずつ視線が近くなる翡翠の瞳が、大きく見開かれていくのに苦笑しつつ、俺は口を開いた。
「少し……話がしたい。時間をもらえないか? と言いたい所だが、まずは風呂だな。髪がかなり乱れてる」
「……」
小さく頷く少女の頭を撫でようと、手を上げると翡翠が濁りを帯び、体が強ばっていく。
虐待を受けていた子は、大人が手を振り上げる動作だけで記憶がフラッシュバックし、下手したらパニックになると聞いたことがある。彼女の反応はまさしくそれだ。
おそらく、定期的に殴られていたのだろう。
そのままセルシアに触れることなくゆっくりと手をおろし、俺はラズールを振り返った。
「ラズール、セルシアにお風呂を用意してやって。それと、この部屋は王族が使うにはあまりにも不釣り合いだから、どこか別の部屋を準備して欲しい。それと服も頼みたい」
「お風呂やお召し物はすぐに手配できますが、部屋となると少しお時間を頂くかと」
「それなら、決まるまで俺の部屋を一緒に使う」
「えっ!?」
「さっきの兵士に言ったことは正式な命令としてまとめるけど、それでも直ぐに無くなるとは思えないし……それなら俺の傍にいた方が安心だろ?」
「そ、れは……そうですが」
「とりあえず、先に風呂と服を頼んだ」
「……かしこまりました。では、セルシア様はこちらへ。アルボル様はお部屋でお待ちください」
そう言うと、ラズールは戸惑った表情を浮かべつつもセルシアを連れて風呂場へと姿を消した。
「……本当に、どの世界でもいじめは嫌な気持ちにしかさせないな」
呟きつつ、開いたままだったセルシアの部屋の扉を閉める。苛立ちが出たのか、少し大きめの音が廊下に木霊していた。




