第43話 全てはこの日の、この打席のために
時間が止まったかのようだった。
ブラスバンド部の演奏も。
観客の声援も。
みんな沈黙していた。
静寂が支配する球場内に、バンッ! という音が響き渡る。
打球がバックスクリーンを直撃した音だ。
数瞬の間を置いて、大地が揺れた。
大気が震えた。
球場を破壊してしまいそうなほどの大歓声が轟く。
悲鳴も混ざっていた。
皇王牙の完全試合も、ノーヒットノーランも、完封をも幻に変える、剣崎憲正のソロホームランだ。
おいおい。
マジかよ?
球速表示、169km/hって出てるぞ?
それをバックスクリーンまで飛ばすなんて……。
憲正。
お前本当に、スキルやレベルの力を封印されてるのか?
マウンド上の皇は、信じられないといった表情でスコアボードを見ていた。
どれだけ眺めても、俺達チームの得点「1」は消えないぜ。
観客席のプリメーラ姫は、興奮のあまりネットによじ登っていた。
ひ……姫!
あなたそれでも王族ですか!?
そんなはしたないことしてると……ほら。
警備員さんがやってきた。
捕まる前に、プリメーラ姫はドレスをひるがえして走り去る。
さすがの逃げ足だ。
姫のレベルは、183もあるからな。
スキルやレベルの力を封じられている今の俺より、遥かに足が速い。
プリメーラ姫が地球に居る理由は気になるけど、今は試合に集中しないと。
ホームランを浴びた皇だったけど、精神的に大きく崩れたりはしない。
後続をシャットアウトして、7回を1失点に抑えた。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
8回裏。
皇の4打席目が回ってきた。
当然の如く敬遠だ。
「卑怯者!」
「皇はちゃんと勝負したぞ!」
「正々堂々と戦え!」
と、罵声が飛んできた。
知るか。
正々堂々なんて言葉は思考放棄だ。
頭を使うことを拒否した、怠惰なプレーだ。
プロならまあ、わからなくもない。
興行だから、エンターテインメント性も大事だ。
勝負を避け続ければ、お客さんは萎えるだろう。
リーグ戦だから、全部勝たなくても優勝できるし。
だけど俺達がやっているのは、負ければ終わりのトーナメント戦――高校野球だからな。
何が何でも勝つ。
夏を終わらせてたまるか。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
9回裏。
1-0で俺達熊門リードのまま、ここまできた。
選手層の厚い強豪校によくある、最終回の代打攻勢を予想していたけどなかった。
俺の球に慣れた打者を、そのまま使った方が打てるって監督判断なんだろう。
くそ……。
その通りだよ。
俺には初見殺しな変化球が多いから、代打を出してくれた方が打ち取りやすかった。
スタメン連中には、だいぶ攻略されつつあるし。
それでも8番、9番にゴロと飛球を打たせ、ツーアウトはあっさり取ったさ。
だけど、3つ目のアウトが遠い。
1、2番と連続で安打を打たれ、出塁を許す。
そして皇の次に危険視している3番打者には、四球を与えてしまった。
これは仕方ない。
歩かせてもいいという気持ちで、臭いところを突いていったからな。
半ば敬遠したようなもんだ。
ヒットを打った1、2番からも、選んで出塁した3番からも、恐ろしい執念を感じる。
「絶対アウトになってやるものか」と。
そういやこの3人は、全員3年生なんだっけ。
負ければここで、高校野球が終わってしまう。
必死なわけだ。
ツーアウト満塁で、迎えた打者は皇。
ここで敬遠すれば、甲子園で伝説になっている5打席連続敬遠に並ぶな。
もちろん、そんな選択肢は有り得ない。
押し出しで、同点になってしまう。
延長戦に入ったら、投手の枚数が多い火の国学院に勝てっこない。
勝負だ。
この打席で、ケリをつける。
皇は薄ら笑いを浮かべていた。
「今度は逃がさない」と、目で脅しをかけてくる。
こうなるんじゃないかと、思っていたさ。
試合開始前からな。
皇には、5打席目が回ってくる可能性が高いと。
「本塁打や長打で失点しないために、最強打者から逃げ続けた」
火の国学院の連中は、そんな風に考えているんだろう。
――違うな。
俺達が皇を敬遠し続けた、本当の理由。
それはこの5打席目で、確実に打ち取るためだ。
皇を、俺の球に慣れさせないためだ。
中学時代はチームメイトだったけど、手の内はなるべく見せないようにしてきた。
全てはこの日の、この打席のために。
いくぜ。
まずは外角のボールからストライクになる、バックドアの高速スライダー。
どう見てもボールに見える遠い球は、大きく横に変化してストライクゾーンに入る。
皇のバットが消えた。
なんてスイングスピードだ。
鋭い金属音が、耳を貫く。
打球は――ファウルだ。
ふう……。
計算通りでも、あれだけ飛ばされるとヒヤッとするぜ。
高速スライダーなんて言っても、【投擲】スキルのない俺じゃ120km/h未満だからな。
変化量やキレも、スキルがあった頃より遥かに落ちている。
――だけど中学時代よりは上がっている。
球速も、変化量も、キレも、制球力もだ。
どうした皇?
何を打ち損じている?
スライダーは、中学時代から投げていたぞ?
隠していなかった球だ。
お前は俺のことなんざ、眼中になかったからな。
ろくに観察してなかったんだろ?
逆に俺は、お前のことをよーく見てきた。
凄まじいスイングスピード。
圧倒的なパワー。
鋭い選球眼。
巧みなバットコントロール。
全てを持っている打者に見えるお前だけど、バントがド下手クソなのは変わっていないだろう?
高校に入ってからの試合も、全部データを見直しているんだよ。
だからこの場面で、スクイズはない。
何より、火の国学院の連中は信じている。
4番が打って、試合を決めてくれることを。
2球目。
思いっきり腕を振りながら、フォークを投げた。
ボールはバッター直前で、急減速して落ちる。
満塁の場面でこんな球を投げてくるとは、思っていなかったんだろう。
遅い球なのに三塁走者は本塁突入できなかったし、打者も戸惑った。
ボールの回転量からフォークであることを認識し、皇は反射的にすくい上げようとする。
だけど落差が大きすぎて、バットは空を切った。
剣崎憲正は、絶対に後逸しない。
だからフォークでもナックルでも、俺は平気で投げる。
満塁の場面でもだ。
カウントツーナッシング。
ここで1球外したりなんかしない。
余計な球を見せれば見せるほど、追い詰められるのは俺の方だ。
3球勝負が、1番勝てる可能性が上がる。
憲正から、サインが出た。
遅い球に目を慣らしておいて、高めのストレートを空振りさせるつもりだろ?
「……え? その球は、今の俺じゃ……」
意外過ぎるサインに、目を疑ってしまった。




