第6話 指きりと内緒話
――じゃあ、教えてあげる。
そう言って綾乃の耳に囁いてくれた本の題名は、不思議な響きを伴っていた。
「――あ、ここ、家です」
それからしばらく歩くと、綾乃の家が見えてくる。その直前で北斗さんは立ち止まった。
「今日は本当にありがとう。助かったよ」
「どういたしまして。……あの」
ちょっとためらい、綾乃は聞いた。
「北斗さんの好きな本はなんですか?」
「えっ?」
「北斗さんの好きな本も、教えてください」
わずかにびっくりした顔をしたが、北斗さんはすぐに立ち直った。教えてくれたのは、半ば予想していたタイトルだった。
「そうですか」
やっぱりと思ったけれど、綾乃は何も言わなかった。
「みんなには内緒だよ」
「はい」
「指切りげんまん、約束だ。二人だけの秘密にしよう」
「ひみつ、ですか?」
そこまで大げさなものではない気がしたが、兄の沽券にかかわるのかもしれない。絡めた指はひんやりとして、少しだけくすぐったかった。
「それじゃあ、俺はこれで」
「また会えますか?」
言ってしまってから、びっくりした。
北斗さんも目を丸くしていたが、くしゃっと笑って手を振った。
「会えるといいな。さようなら」
「さようなら」
北斗さんは微笑んだまま綾乃を見ていた。
綾乃も彼を見ていたが、いつまでもそうしているのも変だと思い、ぺこりと頭を下げて家に入った。
「あら、お帰りなさい」
家にいた母が声をかけてきたが、挨拶もそこそこに部屋へ入る。二階の窓から外を見たが、北斗さんはどこにもいなかった。
――もう行っちゃったんだ。
ちょっぴり寂しかったけれど、仕方ない。
結局彼が何をしたかったのか、最後までよく分からなかった。けれど、聞きたかった事が聞けたようなので、きっと大丈夫だろう。
その夜、夕飯の席で、母親から上条くんの話を聞いた。
曰く、社長をしていたお父さんが友人の会社の保証人になり、財産を取られてしまったと。どうしようもないほど不幸な事情により、会社も土地も手放す事になったのだと。
「気の毒ねえ。あそこ、上の息子さんがいたでしょう。大丈夫なのかしら」
「確か成人してるんだから、心配ないだろう。綾乃の前で、やめなさい」
お父さんが苦言を呈したが、綾乃は聞こえないふりをしていた。その日の献立は大好物のハンバーグだったけれど、あんまり味がしなかった。
「お兄さんって、名前なんだったかしら。綾乃、知ってる?」
「北斗さん」
「ああそうそう、北斗さんっていったかしら。よく知ってるのねえ」
その言葉には聞こえないふりをしておいた。
――いつかまた、会えるかな。
上条くんと、北斗さんに。
そこでふと気がついた。
「さようなら」は、お別れの言葉だという事に。