第4話 上条くんの思い出は
思いがけない言葉に、綾乃は目を見開いた。
「そうなんですか?」
「手紙だけじゃない。メールも、電話も、何もできない。……直接話すことだって」
「どうして?」
「どうしてもだよ。今は、そんな余裕はないから」
そういえば、連絡先は教えてもらっていなかった。
まだ住所がちゃんと決まっていないから、落ち着いたら連絡すると言って、誰とも交換しなかったはずだ。アドレスを手渡した女子は多かったが、ありがとうとにっこり笑って、それっきりになっていた。
しばらくは女子が嘆いていたが、みんなそのうち話題に出さなくなってしまった。
思えば転校の挨拶も唐突だった。確か、当日にいきなり言われたはずだ。
人気者の上条くんにしてみれば、確かに妙な話ではあった。
その疑問は北斗さんが解決してくれた。
「父親の仕事が失敗してね。みんなで逃げることになったから、連絡できないんだよ」
「……そうなんですか」
「うん、そうなんだ」
なるほど、と思うのと同時に、ショックを受けている自分に気がついた。
ドラマではよくある話だけれど、現実では遠い話だ。まして、小学校のクラスメイトという身近な存在が巻き込まれるとは思わなかった。そんな感じだ。
もしここで三つの願いが叶うなら、長い長い最初のお願いのひとつに、「上条くんがひどい目にあいませんように」と付け加える事もできるのに。
何も言えなくなった綾乃を見て、北斗さんは「ごめん」と謝った。
「こんな秘密を打ち明けられても困るよな。大丈夫、そろそろ噂が広まるころだから。お父さんやお母さんに言ってもいい。秘密じゃないよ、心配しないで」
「でも……」
「もう、終わったことだから」
そうなのだろうか。
でも、北斗さんの顔はさばさばしていたから、それ以上は言えなかった。
「それより、隼人の話を聞きたいな」
「上条くんの?」
「君の目から見た隼人の話が聞きたい」
いいかな、と言われ、綾乃は迷いながら頷いた。
上条くんとはクラスメイトで、友達じゃなかった。もっと親しい男子は他にいたし、女子の中にもたくさんいた。だから、正確に言えば、綾乃自身の思い出なんてほとんどない。他の人の目から見た上条くんの方が、ずっとずっとたくさんある。
けれど、綾乃が知る彼は、それとは別の姿だった。
「上条くんは、笑顔で声をかけてくれます」
――おはよう、村本。
「隣の席になった時、教科書を見せてくれました」
――村本、教科書忘れたの? だったら貸すよ、一緒に見よう。
「いつも友達と一緒で、明るくて、笑ってて、楽しそうで」
――ごめん村本、うるさかった?
「すごくやさしくて、人気者だなって思いました」
それは綾乃だけに向けられたもので、綾乃だけが知る上条くんだ。
そういえば、たったひとつだけ、上条くんとの思い出がある。
「五月の真ん中くらいのころ、帰りの会の後、学校で」
――あれ、村本、その本読んでるの?
偶然靴箱で会った上条くんが、声をかけてくれた事があった。
その日、綾乃は借りたばかりの本を抱えていた。数ページ読んでみたら面白そうで、もともと借りる予定だった本をやめてこちらにした。内容はサッカー好きな少年の物語で、恋に友情にと頑張る姿が、応援したくなるような懸命さだった。
――それ、兄貴も持ってたやつだ。俺も読んだよ。
面白かった、とにかっと笑う。女子がきゃあきゃあ言っている、顔中をくしゃっとさせるような笑い方だ。綾乃はどぎまぎしてしまい、そうなんだ、と返すのが精いっぱいだった。
――村本、よく本読んでるよな。面白い?
――うん……面白い、よ?
――俺も読んでみようかな。なあ、おすすめの本、教えてくれない?
――ええと……。
何にしよう、と悩む少しの間に、「上条くーんっ」と割り込む声があった。
「何してるの、二人で。内緒話?」
「桜庭さん……」
笑顔で駆け寄ってきたのは桜庭さんだった。顔はにこにこしているが、上条くんを見る直前、じろりと綾乃をにらんできたのは見逃さなかった。
「そうじゃなくて。あの……本が、本の話」
「本?」
「好きな本とか、そういう話」
それだけで興味を失ったらしい。桜庭さんは「ふぅん」とつまらなそうな顔になり、肘でさりげなく綾乃を押しやった。
「そうなんだ。ねえ上条くん、よかったら一緒に帰ろう?」
「え、でも、俺は」
「いいじゃない。どうせ一緒の方向だし」
こういう時、桜庭さんはすごいと思う。今時こんなに積極的になれる女子はそういない。攻撃的なのは困るけれど、ある意味あっぱれな一途さだ。
ぐいぐいと押し出す桜庭さんに流されて、綾乃は腰が引けてしまった。
「……じゃあ、ばいばい」
「うん……」
そのまま、上条くんは桜庭さんに連れられていく。去り際、ふと上条くんと目が合った。
「……じゃあな」
うん、と綾乃が頷いたのが、見えたのか、見えなかったのか。
その後、上条くんと靴箱で鉢合わせる事はなかった。




