第1話 見知らぬお兄さん
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「君、村本綾乃さん?」
綾乃が振り向くと、知らないお兄さんが立っていた。
小学校からの帰り道。周りに他の人はいない。いつもは通りかかるはずの車や自転車も、今日に限って一台もない。
「……はい、そうですけど」
「ああ、やっぱり。俺、上条隼人の兄です」
「上条くんの?」
目をぱちりと瞬く。それと同時に、ささやかな警戒心が一気に薄れていくのを感じた。
上条隼人は綾乃のクラスメイトだ。いや、正確に言えば、五月まではクラスメイト「だった」。
綾乃が五年生になってから二か月間、同じクラスで過ごした彼は、父親の転勤に伴って、遠い県へ引っ越していった。手紙を書くから、メールするからと、クラスメイトに囲まれていた姿を思い出す。もっと時間があったらお別れ会ができたのにと、数人が恨めしげな顔をしていた。
勉強も運動もできる上条くんは、クラスでも一番の人気者だった。
明るく元気で、特にサッカーが抜群にうまい。それでいて、まったく偉ぶるところもなく、いつも友達に囲まれていた。女の子にやさしいところも、人気が高いポイントだった。
普通ならからかいの対象になるのだろうが、上条くんは何を言われても気に留めず、涼しい顔で、さらっと女子をかばってくれた。それで嫌われないところも、上条くんの上条くんたるゆえんだった。
綾乃のクラスでも彼を好きな女子は多く、バレンタインにはたくさんのチョコレートをもらっていた。綾乃はあげなかったけれど、姿を見た事はある。両手いっぱいのチョコレートを抱えた彼は、間違いなく学校のアイドルだった。
そんな事を思い出しながら、「お兄さん」の姿を見る。
確かに顔はそっくりだ。上条くんが成長したら、そのままこんな顔になるのかもしれない。
着ているのはスーツだろうか。この辺りでは見かけないけれど、どこかのブランドっぽいデザインだ。
年齢は多分、二十歳前後。もっと若いかもしれないけれど、大人の年はよく分からない。
そもそも、お兄さんというには年齢が離れすぎているんじゃないだろうか?
色々考えていると、「大丈夫?」と聞かれた。慌てて綾乃は頷いた。
「大丈夫です」
「よかった。実は君に頼みたいことがあるんだけど」
「私に?」
「一時間だけ、俺に付き合ってくれないかな」
反射的に感じたのは疑問だった。
え、なんで私? と思ったのが伝わったのだろう。お兄さんは苦笑して頭を下げた。
「そんな顔になるよね。ごめん、突然。でも、君にしか頼めないんだ。迷惑じゃなかったら、お願いします」
「……何をですか?」
「簡単といえば簡単だし、面倒くさいといえば面倒くさい。でも、引き受けてくれたら俺は助かる。それに……うん、多分、隼人も助かる……と思う」
隼人も助かる、という言葉に心が揺れた。
人気者の上条くんと話した事は、実は数えるほどしかない。綾乃は地味なタイプで、教室では本ばかり読んでいたし、上条くんの周りにはいつもたくさんの友達がいた。
目が合った事はあるけれど、言葉を交わす機会はなかった。
クラスでも目立つタイプの桜庭さんとか、広岡さんが話しかけているのは見ても、綾乃自身はしなかった。というより、できなかった。
そんな綾乃が彼の力になれるというのは、少しだけ――ほんの少しだけ、心の動くお誘いだった。
「……何をすればいいんですか?」
間接的な承諾に、彼はぱっと笑顔になった。そんな顔も上条くんによく似ていた。
「家に帰るまでの間、隼人の話をしてほしい」




