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『そんな……碧夏が自殺するなんて……』
『どおしてだよおお!』
セラがおすすめしてきたアニメを見た。全話見終えた頃にはもう、時計の針はとっくに真夜中を過ぎていた。
正直、あまり好みのアニメではなかった。その理由は、ヒロインが物語の最後に自殺してしまうからだ。それも海への入水自殺。
こんなバッドエンドアニメのどこがいいのか、全く理解できない。ヒロインも微妙だった。アニメだからまだあの青眼と青髪は許せるし、戦争前に作られたアニメだからまあしょうがないかもしれないが、もし現実で青眼、青髪の人がいたら、きっと俺は全力そいつのことを嫌い、避けるだろう。でも、セラはこんなアニメが好きなんだなと、彼女の一面を知れて少し嬉しさを感じながら、電気を消して床につくことができた。
その日も夢を見た。でもいつもの、苦しい悪夢じゃなかった。
すべてを飲み込むほど黒い、ドロドロとした空に一筋の光が差し込んだんだ。それは美しく、魅惑的だった。
きっとこの新しい光が悪夢から救ってくれたんだ。
**********
朝、俺は改札口前でセラを待っていた。今日は祝日。辺りに学生もいなければ、通勤時間より少し遅い時間帯なので、スーツ姿の人達もいない。
ホームにはもう電車が止まっているが、まだ出発しないことは確かだ。なぜなら、この路線は単線であるがゆえ、必ずこの駅で反対側から来る電車を待たないといけないからだ。下り電車は来ているが、求名方面から来る上り電車はまだ到着していない。
駅はギリギリ無人ではないが、とても小さくて、閑散としている。青銅色の塗装の剥がれた、錆びれた歩道橋が目印だ。屋根は大きな穴が開き、そこから太陽の日が差し込んでいる。ペルディア軍のドローンが、ここにも墜落したらしい。あまりに広範囲で戦闘が行われ、鉄道網の被害が大きいのと、電車を走らせることを優先させているため、まだ天井を塞ぐ余裕がないとのことらしい。
それにしても、今日、雨が降らなくて本当によかった。ここ最近はずっと雨だった。
梅雨真っただ中だから、仕方ないと言えば、仕方がないが、俺は雨が大嫌いだ。濡れるし、うるさいし。頭の中が湿気で腐ってしまいそうになる。
それにここ一週間ほど、セラと会っていなかった。
ではなんで今、セラを待っているのか。
一昨日、連絡がきたのだ。
『明後日暇? 一緒に出かけない?』
このとき俺は悩んでいた。以前、セラとファミレスで勉強した帰りに、知らない男に『セラに近づかないほうがいい』と謎の忠告を受けたからだ。セラに彼氏でもいるのか。なんて思っていたが、流石に彼氏がいるのにも関わらず、他の男を遊びに誘うようなことはしないだろう。と思いたい。
つまり、セラに彼氏はいないだろうと確信できるのだ。と思いたい。
すぐに『いいよ』と返信した。
一体どこに出かけるのだろうか。これはデートと考えてもいいのだろうか。
だったら、こっち行って、あっち行って、最後にあそこ行って……
『目を閉じて』
おいおい、マジかよ。やべえって。でも冷静さを保たなければ……
『なんだいセラ』
本気か? 本気か?
『ちゅ!』
「ちゅ!」
「ヤッホー、待った?」
「ちゅ?」
「どうしたの?」
目を開けると、セラがいた。俺は唇を突き出していた。儚い妄想は泡となって消えた。
「いや、なんでもないよ。ああ、少し待ったかな。でも大丈夫だ。唇を突き出す運動をしながら、時計の針が何週するか数えてたから。暇じゃなかったよ」
「目を閉じて?」
「まあな。瞑想もしてたんだ」
「そうなんだ。ちょっとキモイ顔してたよ」
「悪かったな」
上りの電車が来た。改札を通り、電車に乗り込む。因みに、この電車を乗り過ごすと、次に電車が来るのは一時間後だ。
「そういえば、今日はどこに行くんだ?」
「海だよ」
「海? 海だったら家から歩いて行ける距離じゃないか。なんでわざわざ電車に乗るんだ?」
「遠くの海に行くからだよ」
「俺、水着ないよ」
「海で泳ぐんじゃないよ。ゴミ拾いをするんだよ」
「……」
なんというか。まあ、わかってました。
窓の外を眺めた。
やはり、田舎の路線なので、電車は田んぼの真ん中を突っ切る。進行方向右手側には、山とは呼べるのかどうかわからないほどの小さな山々が広がり、左手には九十九里平野の平な田んぼが広がっている。
でも景色が妙だった。どこまでも果てしなく、薄い水面が青空を映し出しており、その様は、かの有名なウユニ塩湖のようだった。
この幻想的な景色がおかしいのだ。本来、この時期の田んぼは、緑色の絨毯が広がっていないといけないはずだ。
「きれい、アニメみたい」
セラが呟いた。その横顔を見た俺も、
「そうだね」と呟いた。
「でも、なんでこの時期に水が張ってるんだ?」
「山の方に小さなダムがあったでしょ? あれが爆破されて、水がこっちに流れてきたらしいよ」
「そうなのか」
**********
目的地の海は意外と近くすぐに到着した。セラはバッグから軍手、ゴミ袋、トングを取り出し、青いタオルを腕に巻くと、ゴミ拾いを開始した。一方で俺は、何も持ってきていなかったため、セラについて行きながら、拾えそうなゴミは拾い、彼女のゴミ袋に入れた。
ちくしょう。事前にゴミ拾いと言ってくれれば、もっと適した格好で来たのに。スニーカーに砂が入ってくるのが嫌いなんだ。
「なんでセラは海でゴミ拾いをするの?」
ゴミを拾いながら、疑問に思っていたことを質問した。
「だって、海が汚れてるの嫌じゃん」
「それだけ?」
「そう……って言いたいけど。実際は私のエゴかもしれないね」
「エゴ?」
「うん、昔ね。よくお母さんが言ってたの。『海は循環してる。だから良いことをすれば、海も良いことをし返してくれる』ってね」
セラのお母さん。そういえば、一度も会ったことがないな。どんな人なのだろうか……
「海が何かしてくるってこと?」
「正確には海の神様って言ってた。確か【綿津見満】だったかな。忘れちゃったけど、そんな名前の神様がいて、海にいいことをすると、その神様が返してくれるんだって。まあ、私のお母さん、変な嘘つくことがあるから、その神様もお母さんの作り話かもしれないけどね」
「でも、信じてるんだ?」
「うん、まあね。月に何回か、こうして海でゴミ拾いをしてるんだ」
「海の恩返しはもう、貰えたの?」
「わからない。どうだろうね。一方的に私がやってるだけだから」
「じゃあ、しょうがない。俺も引き続き手伝いますよ」
「恩返しのために?」
「ああ、そりゃあ、もちろん」
「エゴだね」
「だからエゴって何だよ。そういう、すぐにカタカナ言葉使うやつ、よくいるよな。共通点ってなんだと思う?」
「さあ、シュウくんが馬鹿ってこと?」
「意味わかんねえよ!」
「あ、そうだ! ちょっとここで目つぶって待ってて!」
セラは突然、道具を置いた。
まさか、妄想が実現するのか? 『ちゅっちゅするのか??』
心臓が急に高鳴りし始めた。当然、俺はぎゅっと目をつぶった。セラはどこかに行った。
しばらくして戻ってきた。
「お待たせ!」
きたッ。
どうする、唇を突き出すか? まてまて、思い出したぞ。ちゅっちゅするとき、前歯が当たると、好感度が下がるとよく聞く。だから、唇は突き出さず、そのままだ。あと、鼻息も止めなければ。
「じゃあ、いくよ」
俺は目を閉じたまま、唇を意識したまま、鼻息を止めた。
「それ!」
なんとなくわかっていたけど、来たのはちゅっちゅではなく、
冷たい冷たい海水だった。
量は大したことなかった。恐らく手で水をすくった程度だろう。今は六月だが、冷たい海水は俺の心と体の温度を根こそぎ奪い取った。
「どう? 気持ちよかった?」
「ああ、最高だよ。昔のセラはこんなことしなくて可愛いかったのに」
「今は最悪?」
「いや、今はもっと最高だよ。じゃあ、次はセラが目をつぶる番だよ」
「やだね!」
セラは俺から逃げようと、走ろうとした。
だが、砂浜で脚が滑ったのか。もしくは、ゴミにつまずいたのか。きっとなにかにつまずいたのだろう。セラはバランスを崩し、転びかけた。
ざまあみろ! 俺に嫌がらせをしたんだから、バチが当たったんだ。と一瞬思ったが。やはり体は正直に反応していて、セラが転ばないように腕を掴んでいた。
海の向こうから、風が吹き抜けた。
セラは突然腕を掴まれたことにビックリしているようだった。俺も驚いた。人の体が、こんなにも素早く反応できるなんて。俺の敏捷性は思ったよりも高いのかもしれない。
「ありがとう」
「本当は転べって思ったけど、転ばなくてよかったよ」
「それはそれは、残念でした!」
セラはニッと微笑んだ。それは俺の心臓をトクンと跳ね上がらせた。
その後はしばらく、真面目にゴミ拾いをした。
真面目と言っても、黙々とやっていたわけではなく、だらだらと話をしながら。でも、手は動かす。といった具合だった。
話の内容にはアニメの話題も上がった。
セラらおすすめしていたアニメを見たよ。と伝えると、セラは嬉しそうに話はじめた。アニメのことになると、会話の熱量が変わった。
「シュウくんは、碧夏と、千華、どっちの方が好き?」
【碧夏】はそのアニメのメインヒロインだ。
【千華】はサブヒロインで、碧夏の親友だ。
どちらが好きかと聞かれても、どちらも大して変わらない。と言いたいところだが、そう発言してしまうと、せっかく盛り上がってる会話に水をさしてしまうことになる。
「そうだな。強いていうなら、碧夏かな」
するとセラは「は?」と言った。
「シュウくんは全然わかってないね。碧夏は悲劇のヒロインぶって男の人気を得ているキャラクターだよ。その老獪な立ち回りが鼻に付かないの?」
「いや、まあ。どうだろうね。確かに、セラの意見は一理あると思うよ」
「因みに理由は?」
「そうだね……髪型かな。ショートの方が可愛いからね」
「は?そんな理由?」
「男ってそんなもんだよ。多分」
「ふーん」
「まあ、色は好きじゃないけど」
セラは納得していないみたいだが、流石に俺の意見を捻じ曲げるような主張はしなかった。
そろそろ、ゴミ袋も一杯になってきたので、切り上げることにした。
ちょうどそのときだった。
気配を感じた。以前にも感じたことのある、妙な気配だ。砂をどかすと、発泡スチロールの板が埋まっていた。それを拾うと、『40』と黒いマーカーで数字が書かれていた。
まただ。視線を感じる。でも辺りを見回しても、セラ以外には誰もいない。
背中が冷たいオーラに撫でられている感じだ。
この前拾ったゴミは『60』だった。今回は『40』
数字が減っている。これはなんの数字だろうか。
「おーい、何ボーっとしてるの? 早く行くよ!」
セラは、先に行ってしまっていたみたいで、遠くから手を振っていた。
「ああ、悪い!」
俺はこの数字のモヤモヤも持ち帰ることになった。
因みに、拾ったゴミはきちんと、自治体のルールを守って処理をした。
駅から家までの帰り道、サンピアの前を行進する集団を発見した。彼らは黄色いベストを着て、手には『ペルディア人は出ていけ』と書かれたプラカードを持っている。
その集団の中に、知っている人物が一人いた。星川さんだ。
セラと二人でいるところを星川さんに見られたくない。だが、俺たちの進行方向に集団がいるので、このままだとすれ違ってしまう。
「ちょっと回り道しない?」
「え? いいけど」
セラはどうして? という顔をしている。日本人のほとんどは反ペル運動に賛同しており、運動に反対する人の方が少数でおかしい人たちだと思われている。
きっとセラも俺のことを変だと思ったのだろう。
「別に反ペル運動を批判するわけじゃないよ。でも、あの中に知り合いがいてね……」
「なるほどね」