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学校に着いてから朝のホームルームが始まるまでまだ時間がある。やることもないし、椅子に座って窓の外を眺めた。
頭の中はセラのことでいっぱいだった。ちょっと悔しい。
北高とは正反対に広がっている白い校庭の奥には、緑色の田んぼと、青い空が広がっている。
セラはもう学校に着いたころだろうか。今なにしてるんだろう。なんて無意識に考えていると、自分が気持ち悪い人間のようなきがしてならなかった。
「やっほーシュウ。三日ぶり!」
突然話しかけられてビックリして後ろ振り向くと、そこには抜居——通称ぬっきー——がいた。彼はもっとも変な奴というか、ユニークな奴だ。
まず、変な仮面をつけている。その仮面はとてもマヌケな顔をしている。目が大きく見開かれ、口も大きく四角くに開かれている。多分、驚いた表情をしているのだろう。仮面の下の顔は見たことが無いし、一切見せてくれない。
噂では超絶イケメンか、超絶ブサイクのどちらからしい。
学校で先生に注意されず、仮面を付けていられるという点も、変なやつだが、やっぱりおかしな部分が他にもあった。
「三日ぶり」
「今日は早くに起きれてたのかにょ。ぬっきー嬉しいにょ」
「まあな」
変なところその二。語尾に『にょ』をつける。多分世界を見渡しても語尾に『にょ』をつけるのは、ぬっきーくらいしかいないだろう。噂によると、身長をニョキニョキと伸ばすために、その願掛けとして語尾に『にょ』をつけると、死んだ弟と約束したかららしいが、ぬっきーにそれを確かめてみると、
「にょにょ?」としか言わなかった。
ぬっきーは全体的に謎が多い男だ。
「そろそろ中間試験だけど、シュウはちゃんと勉強してるのかにょ?」
「いや、全然してない」
「それはまずいにょ。赤点取ると、居残りさせられるから、気を付けるにょ」
「ぬっきーは勉強してるの?」
『全然してないにょ』と言うんだろうなって思っていたが、ぬっきーはだんまりを決め込んだ。
仮面をつけているため、何を考えているのか、どこを見えているのかさえ分からなない。少し不気味にも感じる。
「あ、おはよう」
ぬっきーが言った。さっき挨拶したばかりなのに、なんでまた挨拶するんだ? 困惑していると、背後から「おはよう」と背中をくすぐったく撫でるような、低い声がした。
驚いて振り向くと、星川さんが座っていた。
彼女は前髪で顔が覆われており、暗く禍々しいオーラを放つちょっと怖い子だ。授業中、たまに背後から感じるダークな気配のほとんどは星川さんが原因だ。
「あ、星川さん、おはよう」
「東雲くん」
「な、なんだい星川さん」
「あのこと、考えてくれた?」
星川さんの言う『あのこと』には、心当たりがある。俺は「う~ん」と考える素振りをしながら外を眺めた。さっきまでは青空が広がっていたのに、気づくと灰色の雲が空を包んでいた。
「もう少し、考えさせてくれ」
「そう。わかった。抜居くん」
「はい、なんでしょう?」
ぬっきーは竹刀を背中に入れたかのように、ピンと背筋をただした。星川さんのオーラがそうさせたのだろう。
「もう時間だから、席に着いた方がいいよ」
「わ、わかりましたにょ」
せこせことぬっきーは席に戻った。
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セラと連絡先を交換できたのはいいものの、やりとりはすぐに終わってしまった。
『よろしく!』
『よろしく!今日はありがとうね!』
『こちらこそ!』
といった、水よりも透明で形すらないメッセージを送りあって、途絶えてしまった。もっと、『今、部活やってるの?』とか、『昔は水色が好きだったよね? 今も水色が好きなの?』とか、『今、彼氏はいるの?』とか、踏み込んだ質問をして、話を盛り上げればよかったのだが……
いや、多分、これらの質問をしても、『シュウくん、キモ』と思われてしまうのだろう。なんとなく、想像がつく。じゃあ、どうやってトークを盛り上げればいいのか、俺にはさっぱりわからない。だから、このざまなのだ。
俺は数日後の日曜日、一人で海岸に行ってみた。
別に、そこに行ったらまたセラに会えるかなって、作戦を練って行ったわけじゃない。それじゃあ、まるでストーカーみたいだからだ。ストーカーになんてなりたくない。
気分転換のために、海に出かけたのだ。
九十九里は広い外洋のため、波が高い。海に点在するサーファーを眺めながら、砂浜で人影を探した。
潮の匂いを運んでくる海風はとても強く、砂を舞い上がらせては、額にぶつけてくる。
前回は砂が靴に入り込み、ムカついたが、今回は風がムカつく。
ちゃんと、砂が入り込んでもいいように、サンダルできたのに。イライラするのは変わらない。まったく海というのは、不憫な所だ。
何か硬いものを踏んだ。砂をかき分けてみると、赤い金属の水筒が出てきた。水筒には『60』という数字が、黒いマーカーで書かれていた。なにも変哲のない普通の水筒というよりも、この数字に妙なオーラを感じた。
まただ。また誰かに見られているような気がする。辺りを振り返るも、サーファー以外誰もいない。よくわからない。気色が悪かったので、俺は水筒を埋め直した。
結局セラは見つからなかった。
気分転換をしに来たのに、気分が下がってしまった。
**********
一通り探し終えると、家に帰ることにした。今日は珍しく、楽しみがあった。
それは、妹とのテレビ電話だ。
家に着くと、俺はラップトップで、妹の晴香とテレビ電話をした。
「ちょっと、お兄ちゃん! 遅刻だよ!」
「悪かったよ。でも二分位は許してくれ」
「お兄ちゃんは日本人だからダメ!」
「なんで日本人だとダメなのさ」
「知ってた? フィンランド人は電車が二時間遅れることに驚き、ポーランド人は電車が時間通りに到着することに驚くんだよ」
「それがどうかしたのか?」
「日本人は電車が十秒遅れて到着することに驚くんだ。ウクライナ人は電車が到着することに驚いて、なんとジンバブエ人は電車に驚くんだって。この前じいちゃんが教えてくれたんだ。それだけ日本人は時間に厳しくあるべきってね」
「それ聞いたことあるよ。どこかのジョークでしょ? それ、ジンバブエの方々に失礼だと思わない?」
「思わないね。ウクライナ人とジンバブエ人に失礼だと思うよ」
「確かにそうだな」
「で、お兄ちゃん。最近は学校、休まずに毎日行ってるの?」
「ああ、ここ最近は毎日行ってるよ。行くのがすごく楽しいくらいさ」
「へえ、学校楽しいんだ!」
「学校はそこまで楽しくないけど、行くのは楽しんだ」
「え、どういう意味? 全然わからない」
「晴香はまだしる必要はないさ。それより、体の調子は?」
「うーんまあまあかな」
じいちゃんから聞いている。晴香は幻肢痛で夜は眠れないと。退院は遠いどころか、一生病院を出られない可能性もあると。でも俺はなんとなく感じている。もうすぐ、この病院から出れそうだと。晴香は日に日に弱っている。それを見せまいと頑張っているようだが、兄である俺にはわかってしまうんだ。これは第六感みたいなものだろうか。
モニターに映る晴香の目の下にはクマができている。
急に不安に包まれてくる。戦争のことを思い出してしまう。
「おじいちゃんが言ってたんだけど、最近セラちゃんと会ったんだって?」
「ああ、会ったけど?」
「セラちゃん、絶対可愛くなってたでしょ?」
不安な気持ちが収まってきた気がした。なぜかはわからない。俺はセラの笑顔を思い浮かべながら「まあまあ、かな」と言った。
そしてちょっぴりそんなことを言って後悔したのだった。