19
セラは引っ越すらしい。それも来週中だ。引っ越す具体的な場所は明かさず、簡単には行けない遠いところとだけ教えてくれた。俺はまた片思いで終わってしまった。セラにとって俺はなんの価値もない男だったんだ。でも引っ越す理由は嫌でも予想がついた。
いじめが原因だろう。いじめを止めるのは不可能だとういうことをここ数週間で思い知った。学校なんて全く頼りにならないし、直接加害者に注意をしても相手には悪いことをしているという自覚はないし、逆に悪化する可能性すらある。第三者がどうのこうのして治められる問題ではないのだ。きっとセラは俺以上の無力感を味わっているに違いない。
俺は結局、セラにも何もすることができなかった。妹と約束をしたからなんていう自分勝手な理由をつけ、自分勝手に動き、勝手にてめえで傷ついているだけだった。
苦しんでいる妹にも、セラにも、何もしなかったのだ。
助けられなかった。という表現は上から目線の物言いなのかもしれないが、確かに俺は二人に手を差し伸べることができなかった。そして二人とも、俺の前からいなくなってしまうのだ。
最悪の結末だ。
心はもうボロ雑巾のようだった。どんなに拭いても無限に湧き上げってくる汚れた感情。この雑巾はもう限界を迎えており、汚れを拭いても吸着してくれない。破れたボロ雑巾を真っ黒な汚水が入ったバケツに浸した後、絞らずに、床から沸いてくる汚水を拭いているかのように、もうすべてがいっぱいいっぱいだ。
拭いても拭いても永遠に湧き続ける黒い感情。どうすることもできない。
セラは俺の前からいなくなり、どこか遠くへ行ってしまうのだ。SNSでつながっているから、まだ連絡は取れるけど……
「東雲くん」
顔を上げると星川さんがいた。考え込みすぎて、自分が今学校にいることを忘れかけていた。本当は学校に来るつもりはなかったけど、授業を受けたり友達と話したりして、別のことで頭をいっぱいにすれば、少しでも気が晴れるのかなと思ったんだ。
でも、すでに頭の中はセラのことで詰まっていて、そもそも別の事柄が頭に入り込む余地がなかった。
「授業終わったけど、休み時間も寝てるつもりなの?」
「いや寝てないよ。目を瞑ってただけ」
「それを寝てるって言うんじゃないの?」
「そうかもね。それにしても、ぬっきーがいないのに星川さんが話しかけてくるなんて珍しいね」
「そうかもね」
「否定しないんかい」
「抜居くんと話してたんだけど、東雲くん最近どんどんやつれてる気がして」
「そう? 俺ちゃんとご飯食べてると思うけど」
「うんやつれてる。なにかあったの?」
星川さんは怖そうなオーラを出しているが、実はとても優しい子なのかもしれない。
「まあね。嫌なことがどんどん湧き出てくるんだ。それを少しでも忘れられる方法とかないかな」
「そうだね……」星川さんは考えながら時計を見た。休み時間はまだ残っている。
「やっぱり、全く関係ない別の活動に集中するのが一番だと思うよ。嫌なこと忘れられるきがする」
「他の活動ね……」
「そうだ。反ペル運動、参加してみる?」
反ペル運動とは、以前から星川さんに誘われていた反ペルディア人運動のことだ。具体的な活動はまだよくわからない。ペルディア人が日本にいるせいで治安が悪くなっているという事実や、生活保護を受けて日本人が収めた税金で暮らしていることを受けて、正義感からこの運動に参加する人もいれば、戦争でペルディア人に家族を殺され、憎しみからこの運動に参加する人もいる。そんな様々な人がこの運動に参加しているが、目的は一緒だ。
日本にいるペルディア人を追い出すこと。それが反ペル運動最大の目的。
何度も星川さんに誘われ曖昧に返事をしてきたが、今日はなんとなく参加してみることにした。退屈な活動かもしれないが、少しでも悲しみを紛らわせたいんだ。だって、もう数日でセラと会えなくなるんだから。
「そういうの、あんまりよくないと思うにょ」
次の休み時間にぬっきーがこっそりと言ってきた。
「どうして?」
「その活動で、シュウの行動で傷つく人が出てくるにょ。それにいつかシュウも後悔するかもしれないにょ」
「それはきれいごとだよ。多分ね」
**********
セラがこの町にいる貴重な日を一日経たこの日、公営図書館の二階にある会議室には反ペル運動に参加する人たちが数十人集まっていた。こんな田舎でもこれだけの人数が集まるなんて、全国規模でみたらどれだけの人数になるか計り知れないだろう。
端っこに荷物を置き星川さんを探す。
いた。
責任者らしきおじさんと話している。星川さんは俺を確認すると、手を振ってきた。
「彼が今日体験で参加する東雲君です。でこの方が、反ペル団体東金支部の支部長、喜竜さん」
「東雲です。よろしくお願いします」
「あ、いえいえ、こちらこそよろしくお願いします」
喜竜さんは優しそうな笑顔を浮かべながらぺこぺことお辞儀をしてきた。反ペル運動なのだから、もっと威厳のある、熱気で頭から湯気が出そうな人がまとめているのかなと思ったが、そうではなさそうだ。
「私たちは穏便に活動しています。今回参加してみて、また参加したいなと思ったらまたいつでも来てください」
「はい、ありがとうございます」
「じゃあ、今日は星川さんが付いてあげてくださいね」
「わかりました」
喜竜さんは、会議室の中心に行くと、「では、始めます!」と皆の注目を集めた。
「お集り頂きありがとうございます。今日もいつも通り、のんびりと行進活動を実施したいと思います。何か連絡のある方はおりますでしょうか?」
「はい」
一人の女性が手を上げた。
「どうぞ」
「前回に引き続き、また街中の看板が壊され、張り紙に関しては破り捨てられました」
会議室内がざわめいた。
「どういうこと?」
星川さんに耳打ちすると、
「街中に、『ペルディア人は出ていけ』みたいな反ペルディアを扇動する看板や張り紙を見たことあるでしょ? それが壊されたり、捨てられちゃうの」とこっそり教えてくれた。
「またですか?」
「はい。犯人は前回と同じ人です」
どうしようか。という困惑の空気に包まれていると、星川さんが手を上げた。
「実は犯人の家を突き止めました。今日は別行動で私が注意をしに行ってもよろしいでしょうか?」
「それは本当かい? じゃあ、私が直接話をしましょう。星川さん、案内してください。……そうですね、あと東雲くんも付いてきてください」