13
数日が経過した。
北高校から返事はこない。メールが正しく送信できていなかったのではないかと思い、もう一度確認してみるも、メールはしっかりと学校に送られていた。
メールに気がついていないのか。見てみぬふりをしたのか。相手にすらされなかったのか。それとも、返信はしないだけでセラのいじめに対処してくれたか。
楽観視はしていないつもりだった。でももしかしたら、心のどこかで、楽観的になっていて、学校に通報すれば、なんとかしてくれるだろうと、過信していたのかもしれない。
ホームルーム前、ぬっきーは血相を変えて、俺の席にやってきた。
仮面を付けているのになんで血相が判断できたのか、俺にもよくわからない。ぬっきーは、「シュウ大変!」といつもつけている『にょ』をつけず、走って俺の元にやってきた。
「そんなに慌ててどうした?」
「セラちゃんがいじめられている動画を入手したにょ」
「……猿木からフォローリクエストが許可されたってこと?」
「正確には裏ルートから手に入れたんだけど、まあ、そんな感じにょ。それで……」
ぬっきーは突然無言になって固まった。
「それで?」
固まったぬっきーを急かすと、
「みるにょ?」
背中から、変な汗が湧き、自分の心臓の鼓動が聞こえはじめた。
「ああ、見ないわけにいかない」
セラがいじめられている動画はいくつかあった。
俺は二つだけみた。
いじめの主犯は猿木ではなく、その彼女の狐坂という女だということがわかった。
狐坂は複数人でクスクスと笑い合いながら、上履きに画鋲を数本入れると、下駄箱の影に隠れた。しばらくすると、何も知らないセラが現れた。
ああ、その靴を履いちゃだめだ。そう叫びそうになったがなんとか堪えた。
セラは上履きを履いてしまい、足に画鋲が刺さったみたいで、すぐに上履きを脱いだ。
とても痛そうだった。俺の心もチクチクと痛かった。
狐坂たちの下品な笑い声が、廊下に響いていた。
二つ目の動画は、トイレでの出来事だった。
複数人が、トイレのドアが開かないように押さえている。
「ねえ、誰がやってるの? 出してよ!」
セラの声だった。セラはトイレの個室に閉じ込められていたのだ。
するとまた、クスクスと笑いながら、女たちが個室の上部から水の入ったバケツをひっくり返した。大量の水が床に叩きつけられると同時、個室の仕切りと床の間から、水が流れ出た。
女たちは一斉にトイレから逃げると、動画は終了した。
ぬっきーは言った。
「なにもしないだけ、北高校はマシな方にょ」
北高校はメールの返事をくれなかったし、なにか対処をしようとしたわけでもなかった。ぬっきーによれば、それはまだいい方らしい。
学校側が無理に介入すると、いじめがより酷くなったり、いじめがなくなっても、よりセラが孤立することになるみたいだ。
「最初にそういう考えを教えてよ」
「ごめん、言おうと思ってたけど忘れたにょ。とりあえず、いじめ関係の問題は学校とか教育委員会とか、全くあてにしちゃいけないにょ」
結局、作戦は失敗に終わったみたいだ。
**********
夢を見た。悪夢だった。酷い悪夢だ。長らく見ていなかったのに。
光のない、真っ暗な世界。俺のせい。激しい爆音と閃光。両親が死に、妹は手足を失いさらに重傷を負い苦しむ。
長い間、そんな悪夢を回避できたのはセラのおかげだった。現実世界でセラに恋心を抱くが、夢の世界で彼女は救世主だった。
そんなセラがいじめられていた。
俺はそれを当然のように止めることができなかった。でもまだもがいたわけじゃない。
死ぬ気でもがけば、きっと止める方法があるはずだ。そうと思いたい。
**********
セラに二人で会おうと誘われた。
嬉しい気持ちと同時に、ヘドロのような重くぐちゃぐちゃとした黒いものが、心の底でかき混ぜられた気がした。
セラと会ってすぐ、
「どうしたの? 洗濯物を干した部屋みたいな、陰鬱な雰囲気だよ?」
「あ、そう? 多分、おじいちゃんが俺の部屋で洗濯物を干したから、こんな雰囲気なんだよ。セラは足、どうなの?」
「足? ああそれ随分と前のことじゃない。もうとっくに治ってるよ」
その場でぴょんと飛び跳ねるセラ。
「まだ一週間くらいしか経ってないでしょ?」
「一週間もあれば、こんな怪我治るよ。それより、そのくっらい顔するのやめてくれる? 私も黒に染まっちゃうよ」
「まあ、まあ、始めましょうや。ゴミ拾い」
そう、『二人で会おう』はどうやら『海でゴミ拾いをしよう』ということだったらしい。
だから俺が暗いオーラを作り出していると言っても過言ではない。
「はいこれ、シュウくんの分ね」
セラはバッグから、トングとゴミ袋を渡してきた。どうやら今回は俺の分も用意してきたらしい。藍色より深い、黒く青みがかった勝色の髪を海風になびかせながら、セラは青色のタオルを腕に巻いた。
風は生暖かい。水平線の彼方まで続く海も、セラの髪のような碧い黒色をしている。白く肌色がかった砂浜も、縦にどこまでも伸びている。波が引き、薄い水が張った砂浜は、青く照り輝き、鏡のように空を反射している。
様々なゴミが落ちている。それをトングで拾う。とても単調な作業だが、まったく苦ではない。むしろ、わくわくすることができる。
きっとセラが近くにいるからだ。セラがいるところが世界の中心のように感じる。
彼女を中心に回っているのは世界ではなく俺なのだが。
ゴミ袋が半分ほど埋まったころ、変なオーラを放つゴミを見つけた。
ポスター位の大きさの段ボールだ。海水に浸っていたため、しわくちゃになり、朽ちている。
この不思議な感覚、覚えているぞ。
ほら、誰かの視線を感じる。
すぐに周囲を確認するも、俺のことをじっと見ている人は見当たらない。でも感じるんだ。どこかから、凄い眼力で睨みつけられているのを。背筋をくすぐったく舐めるような、暖かくも冷たい視線。
とりあえず、この段ボールも捨ててしまおう。水に浸かっていたので、容易に折りたたむことができるだろう。
段ボールを裏返すと、そこには『19』と書かれていた。数字は歪んでいて、わかりにくいが、俺にははっきりとわかった。他の人が見たら、何が書かれているのか見当もつかなかっただろう。
数字を『19』だとわかったのは、以前も海で数字の書かれたゴミを見つけたからだろう。
一つ、気が付いたことがある。今までゴミに記されていた番号を正確には忘れてしまったが、すくなくとも、徐々に数字が小さくなっているんだ。一番最初に見つけたときは確か『70』前後だったはず。次も同じように、数字の入ったゴミを見つけたら、きっとその数字は『19』以下ということだ。
じゃあ、もし番号が『0』になったらどうなる?
嫌な予感がした。具体的にどんな予感かはわからない。でも、胸がざわめくんだ。
いったい、この数字はなんなんだ?
「シュウくん、目つぶって!」
背後でセラが言った。
「なんで?」
「日頃の感謝を伝えたくて」
「感謝? 俺、感謝されるようなこと、なにかしたか?」
「うん、まあ色々……例えば、一緒に海でゴミ拾いをしてくれるとか? とりあえず、目、閉じてよ!」
感謝か……
まさか……次こそキッスとか……なわけないことはすぐにわかる。どうせ、またなにか変ないたずらをするんだろ?
そんなことわかっているさ。俺の予想はきっと天気予報よりも正確だ。
さあ、俺はどんな嫌がらせをさせられる? どんと構えてやろう。
「わかった。さあこい」
目を閉じた。
足が砂を踏む音が近づいてくる。
「本当に目、閉じてる?」
「閉じてるよ」
「薄目してない?」
「してないよ」
「やっぱり信じられないから、目隠しするね」
そう言うとセラは閉じている目のさらに上から、タオルらしきものを巻きつけた。
海から吹く風にほんのりと甘い香りが混ざりはじめた。タオルの匂いだろうか。
セラが回り込んできて、目の前にいるのが足音でよくわかる。
柔らかく、生暖かいなにかが、そっと頬に触れた。その何かはやや湿り気がある。真っ白な泡と赤ちゃんの肌のような匂いに、爽やかさと誘惑さを混ぜたような、毒ではないかと疑うほどの香りが、鼻孔をさした。
俺は思わず息を止めてしまった。
自分の鼓動が、さっきとは違う理由で伝わってくる。
頬から、なにかが離れると、打って変わって鼻をつまみたくなるような、生臭さが漂ってきた。
セラはタオルを解くと、
「目開けていいよ」
目の前に、魚の死体があった。
俺はビックリして尻もちをついた。
魚は目が白く、口を開けている。この生臭さの正体はコイツだったのか。
「どうだった? ビックリした⁉」
セラは天真爛漫な笑みを浮かべて喜んでいる。
「ビックリしたよ。まさか魚にキスされるなんてね。拾ったのか?」
「そう、向こうの方に落ちてたの。可哀想だからあとで埋めてあげよ」
「よく魚の死体なんて持てるね……」
「別に私も無抵抗で触れてるわけじゃないよ。ちょっと嫌かな。こういうの手にするの、なんだかんだ二回目だし」
「そうなんだ」
「やっぱり、同じ反応だったよ!」
「同じ反応?」
「以前にもシュウくんに同じことしたんだよ。まあ、シュウくんは覚えてないよね?」
「ああ……覚えてないな……じゃあ、そのときも俺は尻もちをついて驚いてたのか?」
「そうだよ」
当時の俺が泣かなかっただけ、良しとするか。
セラの笑顔を見て、俺は強く、心の底のさらに底からきつく決意した。
俺がこれを守ろうと。