12
「おはよう」
朝、セラと一緒に途中まで登校する。家の前で待っていたセラは笑みを浮かべた。
「おはよう。足はもう大丈夫そう?」
「お、私のこと心配してくれてるの? 優しいじゃん」
「すぐ人をからかうのはよくないよ」
「ハハッ、そうだだね。歩く分には痛くないし、もう大丈夫だよ」
「そうか」
『歩く分には』ということは、走ると痛いのだろう。
セラがいじめられているという確信を抱いてしまった。
ぬっきーたちの話———セラが本を買うようにと、お金がないなら本を盗むようにと、脅されていた話———
北高の見知らぬ人たちの話———いじめられている子がいて、その子の上履きに画鋲が入れられ、足を怪我した話———実際にセラは足の裏を怪我している事実。
全部が間違えで、偶然で、セラじゃないという可能性より、全部が事実である可能性の方がずっと大きい気がするのだ。
でも、本当にいじめられているのか、彼女の口から知りたい。
『セラって学校でいじめられてるの?』
なんて、聞けるわけがない。『いじめ』という単語すら、彼女の前で出したいと思わない。
以前、びちょ濡れになったセラと遭遇したことがあった。木に登った子猫を助けようとして湖に落ちたとセラは言っていたが、本当はいじめにあっていて……
セラは俺の歩くスピードに合わせてゆっくりと自転車を漕いでいる。すぐ横にいるんだ。すぐ近くにいるんだ。それなのに距離がある。
果てしなく、セラが遠くにいて、一人苦しんでいるように見えてしまう。
「シュウくんに問題」
「問題?」
他のことを考えるほど心の余裕はないが、セラに落ち込んでいることを悟られるわけにいかない。
俺は強引に笑みを作ると、
「しょうがない。つまらない問題は出さないでくれよ」
「よしきた。シュウくんじゃ絶対に解けない問題だから覚悟して」
「おいおい偏屈な問題はやめてくれよ」
「そもそもシュウくんじゃあ、問題そのものを理解できないかもしれないなあ……」
「なんだそれ。まあいい。聞いてみようじゃないか」
「シュウくんの大切な人が稀な病にかかり死にかけていました」
「ほう」
「医師はシュウくんにこう言いました。『高級チョコレートを数か月間食べ続ければ治るかもしれない。高級チョコレートだけに入っている成分が、大切な人を救うことができる唯一のものだ』と」
「今のところ意味不明だ」
セラは続けた。
「シュウくんは、すぐにそのチョコレートを買いました。しかし、問題は値段でした。シュウくんの貯金だと、せいぜい買えるのは一週間分です。つまり、一週間後に大切な人は死んでしまいます」
「ほう」
「シュウくんは銀行でローンを組もうとするが、失敗し、友人から資金を集めようとするも、失敗してしまいました。やけくそになったシュウくんは、お菓子屋さんを襲撃し、高級チョコレートを半年分盗みました。それ以外はなにも盗みませんでした。さてシュウくんは悪ですか?」
……
「つまり、傍から見れば、俺は悪いことをしたかもしれないけど、俺自身から見たら、大切な人を助けるための最後の手段だった。ってことだろ?」
「お、意外と理解してる」
「それを単純に善か悪かなんて言えないんじゃないか?」
「じゃあ、もしシュウくんがその当人だったら、チョコレートを盗んでた? それとも、大な人が死ぬのを我慢した?」
「俺は……」
もし、当事者だったらどうするだろうか。大切な人の命を守るために、悪いことにも手をだすのだろうか。それとも、悪いことはせずに、そのまま大切な人が死ぬのを待つだろうか。結局、どちらも口で言うのは簡単だが、いざ行動するとなると大きな決断が必要になる。
「いざその立場になってみないとわからないね。難しい問題だよ。どっちを選んでも不利益が生じちゃうから。これがジレンマってやつ?」
「そう! こういう問題を【モーラルクエッション】って呼ぶんだって。面白いでしょ?」
「面白い……のか?」
「面白いでしょ! この面白さがわからないなんて、シュウくんはなんて哀れなんだ!」
柔らかい笑みを浮かべるセラを見て、俺はひっそりと、陰から彼女を助けたいと強く思ったのだった。
**********
セラと別れて学校に着いてから、ずっとセラをどういじめから助けるかを思案したが、なかなか妙案は浮かばない。
目標はセラをいじめから救うこと。でも絶対的な条件がある。それは、このことがセラに知られちゃいけないということだ。いじめのことを知っている俺が、セラにバレれば、俺とセラの関係が何かしら変わってしまうような気がするんだ。それはともかく、少なくとも、セラは知られたくないから、隠しているのだろうから、セラが嫌な気分になることは確実だ。
だが、セラに知られずに、彼女を助けるなんてできるのだろうか。そもそも、学校でどういう状況にいるのかがわからない。
なぜいじめられているのか。誰にいじめられているのか。どういじめられているのか、わからない。それらを調べる手段はかなり限られてしまう。
実際に止める方法に至っては、アイデアがなにも浮かばない。
「シュウ、この前のこと、まだ考えてるにょ?」
休み時間、ぬっきーが覗き込んで来た。
「まあね……」
「そうなのかにょ」
「セラに知られずに陰から助けたいんだけど、いい案が浮かばない。なんかないかな?」
「う~ん……」
ぬっきーは顎に手を当てた。
「難しい問題にょ。部外者のシュウが干渉するともっとややこしくなりそうだし……」
「そうだね」
「そもそも、学校がなんとかしてくれたらいいのににょ」
「それだ。思いついたぞ」
学校だ。
「どうしたにょ?」
「セラがいじめられてるって、学校に知らせればいいんじゃないか?」
学校はきっとこのことを知らない。だからいじめは続いているんだ。学校に知らせれば、学校がなんとかしてくれる。
「ぬっきーは、その案は賛成できないにょ。学校がなんとかしてくれるなんて思わないし、むしろ油に火を注ぐようなことを学校がしでかすかもしれないにょ」
「私は賛成」
星川さんが突然現れてた。
驚いたが、リアクションをしている場合ではない。
「星川さんはどうして賛成なの?」
「部外者ができることはこれくらいしかないんじゃない? って思ったから」
「確かにね。じゃあ、北高校の先生に知らせよう」
反対していたぬっきーの方に視線をずらした。
「まあ、シュウがそうするってなら、ぬっきーは反対しないし、むしろ協力するにょ」
「それより、今日は東雲くんが日直だったよね。黒板消さなくていいの?」
**********
放課後、ぬっきーと星川さんと俺の三人でファミレスに行き、作戦を立てた。
まとまった内容がこうだった。
まず、学校にセラがいじめられていることを示唆したメールを送る。返事が返ってくれば、そのまま学校に情報を提供し、対処してもらう。返事がなかったときに備えて、学校がなにかアプローチを試みたか変化を調べるため、SNSで情報を集める。具体的には、いじめっ子のアカウントを探し出し、フォローして、投稿などから情報を集めるというものだ。
作戦の前半は俺がおこなうことになった。比較的難易度も低く、成功する可能性も高い。一方でぬっきーと星川さんは作戦の後半を申し出てくれた。情報収集は難易度が高く、不確実性が大きい。俺がやろうとしたが、該当のSNSをやっていなかったので、任せることにした。
俺はメロンソーダを飲みながら、学校に送るメールを作成する。
ぬっきーと星川さんの厳しいダメ出しを受けてようやく完成した。
件名:いじめについての報告
『北高校 ご担当者様
はじめまして、南高校の東雲と申します。
先日、ショッピングモール内で北高校一年の、
五月世羅さんがいじめられているのを目撃しました。
その報告で今回、このような形でご連絡いたしました。
いじめているのも北高校の生徒でしたが、名前はわかりません。
いじめは社会からなくすべきことです。
早急なご対応をお願いいたします。
詳細につきましては、後ほど連絡を致しますので、
このメールを確認したら、必ずご返事くださいますよう、
お願い申し上げます。
東雲』
この内容のメールをネットで公開されていた北高校のメールアドレスに送信した。もう夕方なので、返信があるとすれば早くても明日の午前中になるだろう。
なんとか、作戦の前半は上手くことが運んだ。
嬉しいことにぬっきーと星川も、セラをいじめていたグループの一人のアカウントを見つけることができた。アイコンを自分と彼女の顔写真にしていたからだ。
この猿顔は俺もはっきりと覚えていた。グループのリーダー格のやつだ。名前は『猿木』というらしい。まさか名も『猿』がつくとは。
猿木のアカウントを見つけたのはいいが、やはり鍵がかかっていた。どうやら今日できるのは、フォローリクエストを送ることくらいだ。
「ちょっと、トイレ行ってくる。ついでに何か飲み物持ってこようか?」
「じゃあ、ぬっきーはコーラでよろしくにょ」
星川さんはストローで一口ジュースを飲むと、
「私は大丈夫」
席を立ってトイレに行く。
そういえば、似たようなことが以前にあった。たしか、セラがトイレから戻ってくるついでにコーラを俺に注いできてくれたんだ。でも実際はコーラでなくコーヒーだった。コーラだと思い込んで飲むコーヒーはまずかった。
そうだ。ぬっきーにも同じことをしてやろう。
手を洗ってからトイレを出て、ドリンクバーの機械に向かう。ソフトドリンクのコップに、ジュースではなく、コーヒーを入れる。もちろん、砂糖はいれない。口を付けて飲むと、香りでバレてしまうかもしれないので、ストローを差し込む。
これで完了だ。
ぬっきーはどんな反応をするだろう。
「ほれ、コーラだ」
「お、ストロー付けてくれるなんて、ありがたいにょ。仮面をずらして飲めるにょ」
ぬっきーは仮面の隙間にストローを入れると、黒い液体がストローの中を登っていくのが見えた。ゴクゴク。
なんと、ぬっきーは何も反応しなかったのだ。ただ飲んだだけ。
俺は黙ってぬっきーを見つめるが、彼は反応して俺に怒るどころか、こちらを見向きもしない。ぬっきーはあっという間にコップの半分ほどコーヒーを飲んでしまった。
コップを机に置くと、ぬっきー立ち上がった。仮面で表情が読めとれないため、何を考えているのかがわからない。
「ぬっきーもトイレ行きたくなってきたにょ」
そう言うと、席をあとにした。
まさか、無反応だなんて。恐ろしいし、底が見えないやつだ。
いたずらをした俺がいたずらをされた気分になった。
ぬっきーがトイレに行っている間、星川さんがコーラを注いできた。なぜか、ぬっきーが飲んだコーヒーとほとんど同じ量で、ストローがさしてある。
星川さんはそれを一瞬口にくわえると、ぬっきーのところにあった、コーラ(コーヒー)と交換した。
なにやってるんだろうと思ったが、口出しするのもなんか嫌なので、俺は星川さんの変態行為を横目で眺めた。
星川さんは、ぬっきーが口をつけたストローをちゅうちゅうと吸った。
ああ、やったよこの人。
黒い液体が口に入ってった瞬間、
ブフッ
星川さんはコーヒーを吹き出した。
「なにこれ?」
星川さんはぎろりと睨んできた。
「コーヒーだよ。お互いぬっきーにいたずらしたんだから、お相子で」
「絶対に言わないでね。バラしたら呪い殺すから」
「大丈夫」
俺と星川さんは急いで机をおしぼりで拭いた。真っ白だったおしぼりはみるみる茶色く染まっていく。
ぬっきーがトイレから戻ってきた。
「あれ、なんかコーヒーの匂いがするにょ」
やっぱりぬっきーは俺のことを試しているのか?
席に着くと、今度は星川さんの口づけコーラを飲んだ。星川さんも俺も、じっとぬっきーを見つめた。
ゴン、と机から鈍い音が響いた。きっと星川さんが机の下でガッツポーズをして、拳が机に当たったのだろう。
「おかしいにょ」
「どうしたぬっきー?」
「さっきは苦いコーラだったのに、今度は甘いコーラに変わってるにょ」
やっぱり、ぬっきーがなにを考えているのか、さっぱりわからない。意味不明だ。苦いコーラなんてあるわけがないだろ。
やっぱり、俺のこと試してるのかな?