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 別に死ぬつもりはないけれど。一切そんなことは考えてないけど。ただなんとなく、ここから飛び降りたら死ねるのかなって、崩落した橋の上から深い紺色の海を眺めていた。


 ここは懐かしいところだ。橋がまだ川の向こう側とつながっているとき、ちょうどここで俺は好きだった幼馴染に告白してフラれた。

 あの子は今頃、どこでなにをしているのだろうか。気になるけど顔は合わせたくない。恥ずかしいし、気まずい。それに今は過去に浸っているどころじゃない。山のように積みあがった現実を機械のように一つ一つ処理しないといけない。過去を懐かしんでいる暇なんてないのだ。


「あの、すいません」


 声をかけられた。可愛らしくもどこか爽やかさのある、そう水滴がしたたる夏場のオレンジのような声だった。なぜか既知感がある。

 まともな女の子に声をかけられたのは、いつぶりだろうか。ドキっとしながらも、『別に俺は飛び降りようとなんてしていませんよ。ただ、景色を眺めているだけですよ』と言うために振り向くと、片手にゴミ袋、もう一方にはトングを握り、どこからどう見ても安っぽそうなコスプレの制服に身を包んだ少女が、俺のことをじっと見つめていた。


 どこか冷たさをはらんだ生ぬるい風が、海からゆっくりと吹き抜けた。

 彼女の長い髪が揺れている。大きな瞳と抑えめな口元、つんと通った鼻筋、それらを一瞬でコピー機のように読み込んだ俺はこう思った。


 あ、めっちゃタイプの子だ。


 彼女は笑みを浮かべると、「あ、やっぱり?」と呟いた。なにが『やっぱり』なのかサッパリわからなかったが、きっぱり『なにがですか?』と尋ねるのはちょっぴり恥ずかしい気がしたので、

「えっと……」と困った素振りをしていると、

「私のこと覚えてないの? シュウくん……フフッ……ハッハッ!」と彼女は俺のマヌケな顔を見て、お腹を抱えながら一人で大笑いし始めた。


 俺の記憶が正しければ、俺の名前は『東雲 柊』だ。『シュウくん』は確かに、俺のあだ名だ。

 つまり、知り合いなのか? でもこんな可愛らしい子は記憶にない……と思いたかったが、残念ながら心当たりがあった。この馬鹿にするような独特の笑い方。紙を濡らすとじわじわ水が広がっていくように、彼女のこともじわじわと思い出してきた。


 そうちょうど今さっき懐かしんでいた幼馴染だ。

 なんという偶然。そして最悪だ。フラれた子に再会してしまった。


「うーん……」


 わざと悩んでいるフリをした。もちろん恥ずかしかったのと、笑ったことへの仕返しも含んでいる。それに俺はもうあの過去を乗り越えたんだ。なんでまた現れる!


「え! ヒントはね! 五月!」


「あッ、思い出したよ。ほんと、久しぶりだな。なんというか、随分とかわったな、髪型も変わったし、大人っぽくなったな。ヨーコ」

「数年ぶりだよね。久しぶり。って、私はヨーコじゃないよ! セラだよッ! 本当に忘れちゃってたの? これだからシュウくんは……記憶力がチワワ並なんだね」

「セラ? もちろん覚えているよ。そうか名前も変わったのか。ヨーコ」

 セラはため息を吐くと、「そういうのつまらないからやめた方がいいよ」と言った。


 彼女の可愛らしい容姿のせいか、罪悪感が湧いてきたので、平常運転に戻すことにした。


「悪かった。セラ。じゃあ、俺の顔見て笑うんじゃないよ」


 名前は『五月 世羅』俺のことを盛大にフッタ幼馴染だ。


「いやあ、ごめんね。ちょうどシュウくんって人が昔いたよな~って考えてたら、シュウくんがいたもんで……おかしくてつい……プッ」


 セラはまだニヤニヤと笑みを浮かべている。目にも涙が溜まっている。どうやら泣くほど面白かったみたいだ。かなりムカついたが、海が目の前にあることだし、水で流してやろう。


「セラを笑わすことができて、光栄だね」

「悪かったって。もしかして短気になっちゃったの? まあいいや。で、シュウくんはいつこっちに戻ってきたの?」

「先月だよ。セラはその……なにをしているところなの?」


 セラは安っぽいセーラー服に身を包み、手にはゴミ袋とトング。この様子からなにをしているのか察するのは少し難しい気がする。


「ゴミ拾いだよ」

「コスプレをして?」

「まあね。この時間の海岸は人がいないから、恥ずかしくないんだ」

「なるほどね。人生楽しそうでなによりだよ。俺に見られて恥ずかしくないの?」

 セラは笑みを浮かべると、

「さあ、どうだろうね! 人に見られたら恥ずかしいけど、シュウくんは……」

「人じゃないのか?」



**********



 崩壊した橋の根本からは、海岸へと続く階段が伸びている。 

 海と言えば鮮やかなエメラルドグリーンであるが、ここの海は暗いしみすぼらしい。

 俺はセラの横ではなく若干——半人分くらい——斜め後ろを歩いている。


「暇だし、ゴミ拾い手伝ってやるよ」


 なんとなく、本当になんとなく、手伝うのも悪くないなという善意から提案した。もしかしたら、手伝うことで、自分は良い人間なんだって、認識したかったのかもしれないし、久しぶりに再会した幼馴染にカッコつけたかっただけなのかもしれない。自分でもよくわからない。

 するとセラは「なにその上から目線、ちょっとキモイよ!」と鼻で笑った。キモくて悪かったな。やっぱり変なことは提案するもんじゃないな。と後悔していると、

「でも、ありがとうね!」


 セラは優しく微笑んだ。

 こうして俺とセラは浜辺でゴミ拾いを始めた。日は山の向こうに沈み始め、すこしずつ暗さが深くなってきているが全くきにならない。そういえば、よくこの浜辺でセラと遊んだな。なにして遊んでたんだっけ? その頃よりも随分とゴミが増えたような気がする。

 空き缶やビニール袋、何語で書かれているのかわからない文字の入った包装、ペットボトルなど多種多様なゴミを拾っては、セラが持っている袋に入れた。


「シュウくんは高校、どこに通ってるの?」

 俺は横目でゴミを黙々と回収するセラを見た。正直、通ってる学校は彼女に教えたくない。だが、言わないわけにもいかない。

「南高校だよ」

「へえ、そうなんだ。ふーん」


 その反応にはどこか、俺を見下したような、あまり気持ちのいいものではない不純物が含まれていた。


「どうせセラは北高でしょ?」

「正解! 正直シュウくんは絶対、南高校だと思ってたよ」

「あ、っそうですか。他人を見下すのは楽しいのかい。北高さん」

「でた! そうやってすぐ決めつける!」


 北高校は秀才があつまる、この地域で一番頭の良い学校だ。反対に俺の学校は周辺の馬鹿が集まる、地域で二番目に偏差値が低い高校だ。セラは多分、マウントをとっているわけじゃないと思う。きっと自然と無意識に馬鹿にしているのだ。だからより罪深いのだ。


「セラは頭がいいから羨ましいよ」 


 適当な褒め言葉を垂れ流していると、妙なゴミを発見した。

 それはカード状の白いプラスティックの破片だったが、なぜか、そのゴミは注意を引き付け、摩訶不思議なオーラを放っている。


「なんだこれ?」


 手にとってみると、そのゴミには『73』と数字が書かれていた。

 突然、誰かに見られているような視線を感じた。すぐに辺りを見回すも、周囲にはセラ以外、誰もいない。


「どうかしたの? 南高校さん」

「いや、別になんでもないよ。このカードの『73』って数字が、強引に頭に刷り込んできて、変な感じになっただけだ」

「なにそれ」

「多分、数学アレルギーがでたのかも」

「それは大変だね! 安静にしないと!」

 セラは続けて辺りを見回すと、 

「まあ、そろそろ暗いし、もう帰ろうか」

「そうだね帰ろうか」


 海岸を離れ帰路についた。細かい砂が靴の隙間から入り込んだようで、ザラザラと気持ちが悪い。まるで砂に足をくすぐられている気分だ。やっぱり変なことは提案するもんじゃないな。

 足を気にしていると、セラが空を見上げながら、「なつかしいね……」と呟いた。


「そうだな」

「この道、よく一緒にあるいたよね」


 そうだっけ? この道の一番の特徴は田んぼと畑に囲まれていることだが、残念ながらこの道以外のほとんどの道も田んぼか畑に囲まれている。この道だったか、あっちの道だったか、あまり良く覚えていないが、セラがそういうならきっとそうなのだろう。俺は「ああ」と返事をした。


「ハハッ! ひっかかった! この道は最近できた道だから、シュウくんとは一度も通ってないよ!」


 セラはいたずらっ子のような、可愛らしい笑顔を浮かべた。くそ、やられた。だがなぜか許せる。そして同時にムカつく。ムカつくけど、そこに嫌悪はない。だから余計ムカつく。そんな自分に腹が立ってくる。


「まあ、こうやって一緒に田舎道を歩くのは懐かしいよ」


 自分に仮面をつけるように、冷静を保った。

 しばらく歩き、いくつかの住宅街を通り越したある所で、セラは止まった。


「シュウくんは前と同じ家に住んでるの?」

「いや、じいちゃんの家だよ」

「ああ、何回か行ったことあるから知ってるよ。田んぼに囲まれてる家だよね?」

「正解だよ。ここら辺の家はほとんど田んぼに囲まれてるからね。虫がたくさんいて、最高の田舎町だよ」

「じゃあ、ここでお別れだね」

「セラの家ってそっちの方だっけ?」

「私も引っ越したんだ」

「そうなんだ」

「じゃあ、今日はありがとうね! ちゃんと勉強するんだよ!」

「余計なお世話だ」


 セラはそう言うと行ってしまった。その後ろ姿を見ながら、俺はなにかモヤモヤしたものを感じた。これで本当にいいのだろうか。このまま別れれば、俺とセラを結ぶものはなに一つない。セラはムカつく奴だが、嫌いじゃない。


 今日のように偶然出会わなければ、二度と顔を合わせない可能性だってある。

 多分、モヤモヤの正体はそんな感じのものだ。

 また、あの日のように深い後悔に溺れるかもしれない。今でも抜け出せていないのに。これ以上深く沈んでしまえば、いったいどんなクズ人間になり果ててしまうのだろうか。


 俺はセラに一度フラれた。でも……

 少しでも、勇気が欲しい。


「セラ、ちょっと待って」


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