序章 3
駆ける。駆ける。駆ける。
景色を振り切るように。
恐怖を振り切るように。
…仲間を振り切るように。
応急手当てを済ませた筈の右手は、
傷口が完全に開き、血塗れであった。
痛みに悲鳴を上げる気は無かった。
止まれば絶望に追いつかれると思えば、
幾らでも我慢出来た。
幸か不幸か、男のスキルは走りに特化しているようで、
スキルの連続使用による不調は見られない。
しかし休憩も無く走り続ける身体は、
とうに限界を超えていた。
駆ける速度が遅くなる。
…それでも、脚は止めない。
7日間。男は走り続けた。
都市に辿り着いた瞬間、男は意識を手放そうとし、
…出来なかった。
何かに突き動かされるように都市を駆け抜け、
自身が所属する企業本部に辿り着いた。
男の異様な様子に、誰もが息を呑んだ。
服はボロボロ、眼は血走り、右手は血塗れ。
男を知る者さえ、同じ人物とは認識出来なかった。
研究所所長を呼び出し、持ち帰った全ての成果を渡し、
あの場であった全てを伝えて、気絶した。
目が覚めると、男は病室にいた。
栄養失調、脱水症状、右手指の欠損に、複数の骨折…
誰が見ても重症患者である。
絶対安静以外を許すまいとする看護師に懇願し、
所員に連絡、その後の顛末を確認した。
それはそれは、地獄のようであったという。
調査チームは壊滅、生還者は全企業の中で一人、
襲ってきた怪物の脅威と対処法等、連日会議は紛糾し、
5日経った今でも終わる気配が無いという。
持ち帰った成果物に関しては男の手柄になったと聞いたが、
それに対する反応は持ち合わせていなかった。
噴火寸前の看護師に病室に戻され、一人になった。
心にぽっかり穴が空いたような感覚のまま、ふと左腕の時計を見た。
いつの間にか壊れたらしく、長針が細かく揺れていた。
違和感を感じた。そしてすぐに答えに至った。
それは―――男の時計では無かった。
男は滂沱の涙を流し、咆哮した。
看護師が素っ飛んできたが、気にも留めなかった。
短い間ではあった。どんな過去があったかも知らなかった。
しかしそこで過ごし、育んだ絆があった。
あの日あの場所に残った者達は―――正しく友であった。
声が枯れるまで叫び続けた男は、決意した。
必ず災厄を解き明かし、撃滅すると。
自分を逃す為に命をかけた友に報いると。
やがて男は、企業の幹部に登り詰めた。
友に託された成果が、男を導いた。
男は、周囲から尊敬と畏怖を込めて、
プロフェッサーと呼ばれた。
次回より本編です。