第4話 心を閉ざした
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怪我は順調に回復していき、数日後には完治した。しかし怪我が治ってもなお、ハオランは家に居続けている。
聞くところによると、ハオランは行く宛がないようだ。このまま家を出ても、宛もなくふらつくのは目に見えている。
それを踏まえ家族会議で話しあった結果、行く宛のないハオランに当面はあの部屋を貸すことになった。
雀の鳴き声が聞こえる朝。障子の隙間から差し込む光が眩しく、エヴァンは気怠そうに起きた。
喉の渇きを覚え、台所に向かう。その途中、居間にいた恵里香に「ちょっといいかしら」と呼び止められた。
「なに?」
「頼みたいことがあって」
居間には恵里香の他に祖父とアマーリがいる。だがハオランだけ見当たらなかった。
きっと家の前で掃き掃除でもしているのだろう。
「悪いけど豆腐を買ってきてくれる?」
「えー」
目覚めて早々にお使いを頼まれ、エヴァンは心底嫌そうに声を漏らした。
恵里香に「他の人に頼めばいいじゃん」と言おうとして他のふたりをちらりと見る。
しかし他のふたり、アマーリと祖父・幸助は手作業をしていた。到底、丸投げできるような状況ではない。
「あなた、味噌汁好きでしょ?」
「好きだけどさぁ……わかった。でもその前に水飲ませて」
恵里香から圧を感じ始め、エヴァンは逃げるようにして台所に避難した。背後から「ボウルと財布は棚の中にあるからー」と恵里香の声がする。
「他に必要なものはー?」
「特にないわね」
水を飲みながら棚にあるボウルと財布を手に取った。そして気が進まないまま玄関に向かう。
下駄を履いて外に出ると、外にはほうきを持ったハオランがいた。ここ数日、ハオランは朝になると家の前の掃除を率先してやってくれている。
「おはよう」
「あぁおはよう」
日課と化した挨拶を交わすが、ふとエヴァンが持つボウルにハオランは首を傾げた。
「これからボウルを持って散歩に行くのか?」
「ボウル持ちながら散歩か。なかなかの狂人だな」
「冗談だよ、おおかた豆腐でも買いに行くんだろ。少し待ってほしい俺も一緒に行く」
「わかったよ」
そう言って、ハオランは残りの落ち葉を掃き始める。エヴァンは石塀にもたれかかって待つことにした。
「お待たせ。待ちくたびれて怒った?」
「怒ってないよ」
片付けを終えて来たハオランの言葉に真顔で返す。
ハオランと親しくなるにつれ、こうした会話も徐々に増えてきた。エヴァンが気の利いた返事をしているかは別だが。
ふたりは敷地を出ると表通りに向かった。
「そういえばエヴァンのお祖父さん、居間でなにしてるのか知ってるか? 昨日の夜からあそこにいる気がする」
「祖父ちゃんは仕立て屋なんだ。どっかから服の依頼でもきたんじゃないか」
そうは言いつつも実際のところ、エヴァン自身もよく知らない。知っている限りのことで説明をすると、ハオランは「そういうこと」と納得した。
朝の表通りは人が少ないせいかやけに静かで、普段は耳にしない音もよく聞こえる。
暑い昼間とも違い朝は涼しさもあって、吹き抜ける風も心地よかった。
「そうだ。エヴァン、明日の夜は空いてるか?」
「空いてるけど」
「どっか飯食いに行こう。俺が奢るよ」
突然の誘いに思わず立ち止まる。しまいにはボウルも地面に落としかけた。
ハオランが不思議そうに「どうした?」と首を傾げる。エヴァンは慌てて「なんでもない」と平静を装った。
「行こう。明日が楽しみだ」
「ちゃんと空けとけよ」
会話はここで終わったが、それからエヴァンはそわそわし出す。普段通りに振る舞おうと努めても、ハオランを横目に何度も見た。
帰っている間も気が気でなく、道中もなにを話していたかよく覚えていない。その状態は食卓についても続き、食べた朝食がどんな味だったかも記憶になかった。
「大丈夫?」
縁側で呆然としていると、不意に声をかけられる。後ろを振り返るとアマーリの顔が近くにあった。
アマーリがそっと手を伸ばし、エヴァンの顔に触れる。そして熱があるかどうか確認した。
「熱はないみたい、でも今日はなんだか調子が悪そう。休んでたほうがいいんじゃない?」
「いや大丈夫だよ。ちょっと考え事をしてただけ」
「そうなの」
心配するアマーリをかわし、その場を去ろうと立ち上がる。しかし肩に置かれた手で圧力をかけられ、エヴァンは床に尻もちをついた。
尋常ではない力を前になにも出来ないまま、アマーリがエヴァンの隣に腰を下ろす。
「悩み事なら相談に乗るよ」
アマーリは何事もなかったように満面の笑みを浮かべ、親戚を気遣う優しい人物を振る舞った。
しかし、エヴァンは逃げられないとすぐに悟る。そして観念したように口を開いた。
「ハオランに明日の夜、ご飯を食べに行こうって誘われた」
「それで悩んでるの?」
「悩んでないって」
アマーリのこじつけるような言葉に若干ながらも苛つきを覚えた。この時のエヴァンは少しばかり、情緒が不安定になっている。
「悩んでない。ただ……」
「ただ?」
ハオランとふたりきりになれる、嬉しいはずなのにどこかで緊張する自分もいた。
明日を楽しみにしている反面、逆に恐れている自分も確かにいる。そのもどかしさがなんなのかわからず、エヴァンは頭を抱えた。
「もしかして、エヴァンはあの人のことが好きなの?」
「別にそんなんじゃ……」
何気なしにアマーリが思ったことを口にする。咄嗟に違うと反論しかけたが、エヴァンは口を閉ざした。
ハオランと一緒にいるとき、自然と彼の姿を追っていることがある。退屈な時間ですら、ハオランと一緒であれば楽しさを見出すこともあった。
逆にハオランがいない時は寂しさを感じることがある。今はどこにいるのか、思考を巡らすことも多かった。
家族を相手にですらそう思ったことはない。エヴァンにはそれが不思議でならなかった。
アマーリの言葉を受け、エヴァンはふと気づく。
ハオランは親しい同居人だと思っていた。が。実際のところ違う気持ちを抱いているのでは、と。
その気持ちを初めて認識し、締めつけられるような痛みを胸の中で感じた。同時に苦い過去の記憶も鮮明に蘇る。
「俺、気持ち悪いんだろうな」
何気なしに思ってみたことを言った。
アマーリが咄嗟に「そんなことない」と反論するも、エヴァンには届いていないように思える。
「エヴァン、そこにいたのか」
襖を開く音がした、同時にハオランの声も聞こえる。後ろを振り返ると、ボウルを抱えたハオランがいた。
「どうした?」
「恵里香さんから海老剥きを頼まれてさ、手伝ってほしい」
「わかった。今行く」
今度こそ立ち上がり、その場所を後にする。ハオランの顔をちらりと見て、すぐに視線をそらした。
ハオランに抱く感情を自覚した途端、苦しさは一層に増していく。それを決して悟られないようにと、エヴァンは自分の心を固く閉ざした。
いつもと同じだと言い聞かせながら、二度と同じ目に遭わないように自分を守るため。