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第27話 朝

 月日は流れ、二年の歳月が過ぎた。

 エヴァンは義父と同じ仕事に就き、着実に実績を伸ばしている。ハオランも繁華街の酒屋に勤めていた。

 そしてふたりは現在、都市部のアパートにひっそりと暮らしている。


 暮らし始めたばかりの頃は大変なことも多々あった。だがそれを乗り越え、現在は平穏な日々を送っている。

 しかしエヴァンは危険と隣り合わせの仕事に就いているため、生傷を負うことがしばしばあった。長期間家を留守にすることもあり、仕事の大変さがうかがえる。

 それでもエヴァンが家に帰るたび、ハオランは笑顔で出迎えた。せめて時間が合う時だけでもとエヴァンを出迎え、そして見送るようにしている。

 エヴァンもその優しさが嬉しく、どんなに辛い事があっても乗り越えることができた。


 その日、ハオランは早朝に仕事から帰宅する。

 家に入ってコートを脱いでいると、起きたばかりのエヴァンと鉢合わせた。「おかえり」「ただいま」と軽いキスを交わし、エヴァンは洗面所に消えていく。

 ハオランはこっそりとその後を追いかけた。

「なぁエヴァン、だいぶ前にした約束を覚えてるか?」

「あー……今度市場に行く約束だっけか」

 鏡と向き合うエヴァンの背後で、ハオランは扉の背面にもたれかかる。唐突な質問にエヴァンは困惑したが、思い当たる約束を当てずっぽうに答えた。

「違う。二年前にした約束だよ」

「……あぁあれか、覚えてるよ。もしかしてだけど、準備は整ったのか?」

 髭を剃りながら応えていたが、不意にエヴァンの動きが止まる。そして背後にいるハオランと鏡越しに目が合った。

「あぁ。随分と待たせたな」

「……ふっ、待ちくたびれたよ」

 剃刀を洗面台の端に置いて、ハオランのいる背後に向き直る。ふたりは二年前に、ある約束を交わした。

 ハオランは勿論のこと、エヴァンが忘れたことは一度たりともない。長いこと待ち続けた、それだけ大切な約束だ。

 ──初雪が降った日、ふたりはお互いの薬指に結婚指輪をはめ合う。

 その行為にどんな意味があるのかエヴァンは知らない、知るつもりすらなかった。だがハオランが望むのならと、その行為に意味を見出すつもりでいる。

「今週あたりには初雪が降るらしいぞ」

「今週だな、わかった。初雪が降ったときに、あの教会で落ち合おう」

「うん。……はぁ、俺たちもようやく結婚するんだな」

 ハオランがぶっきらぼうに呟いた。たしかにそれはエヴァンも同じで、不思議と実感を持てずにいる。

 その日のためにふたりは個別に貯金をしてきた、この日のためにふたりは互いの結婚指輪を用意した。

 すべては初雪が降る日のためだけに。なのに、いざ目の前にすると拍子抜けしてしまうのを感じた。


「本当に、俺について来て後悔はしてないか?」

 今度はエヴァンが唐突に質問をする。この二年、ふたりの間でいろいろな事があった。

 意見が合わなくて喧嘩もした、意地の張り合いで会話をしなかったことも今では笑い話になっている。ハオランが女性に言い寄られ、修羅場になったこともあった。

 それらを乗り越えて、ふたりはいま互いを見つめ合っている。

「後悔なんてしてない。もし神様がいるのなら、エヴァンと出会えたことには礼を言いたいくらいだ」

 そう言ってエヴァンに歩み寄り、彼の髪に手を伸ばした。出会った頃と一切変わらない、お堅い性格を表したような髪に触れる。

 だが髪が全体的に少し伸びてきている、前髪も目にかかりつつあった。

「今度髪を切るか。バリカンはどこにやったかな」

 髪に指を通しながら、不意をついてエヴァンにキスを落とす。エヴァンは一瞬だけ面食らった顔をするも、呆れ気味に鼻で笑った。

「朝食は食べるか? 朝ごはんは大事だぞ」

「仕事帰りで疲れてるだろ。俺のことは気にしなくていいから、いい加減休んでたらどうだ」

 ハオランの気遣いは嬉しいところだが、エヴァンは心から休んでほしいと思っている。

 なんせハオランは夜の酒屋で働いている、おまけに酒屋は基本的にいろんな人がやってくるところだ。

 礼儀正しい人もいれば、もちろんその逆も然りだろう。

 ハオランは後ろ指をさされることもあるが、酒屋の店主にはその腕を買われているそうだ。ゆえに従業員のほかに、用心棒としての役割も担っているらしい。

「いいって、気にしなくていい。たしかに仕事の疲れはあるけど俺はこの通り元気だ」

 だから、そんなハオランには休んでいてほしかった。どんなに元気に振る舞おうとこの気持ちは揺るがない。

「いいよ。休んでなって、朝は食欲がわかないし」

 ハオランは普通の人より強いのだろうが、所詮はただの人間にすぎなかった。もちろんエヴァンは人じゃない、この差は何ものにも変えがたい。

「いーや、食べてくんだ」

「いいって。俺に構わず休んでろ」

 仕事に就きはじめたばかりの頃、上司から散々人間について叩き込まれたことがあった。

 きっと、その時の影響が大きいのだろう。おまけに仕事を通して、人の脆さと化物の頑丈さを知った。

 だからできるだけ人の側に、人に寄り添って、人を労って、人を尊敬して。その感覚が体にすっかり染み込んでしまっているのだ。

「いいや食べてけ。俺は近々エヴァンの夫になるんだ、夫が最愛の人を気遣わなくてどうする」

「はぁ……わかった、食べてくから」

 だがエヴァンが根負けしてようやく、些細な痴話喧嘩は終わりを告げる。ハオランは心底満足そうな表情をして、その場を離れていった。

 しばらくすると、キッチンからにわかに物音が聞こえ始める。きっと、朝は食欲がないエヴァンにでも食べられそうなものを作っているんだ。

 ワイシャツの袖に腕を通し、ボタンをはめていく。知らず知らずのうち、エヴァンはある童謡を鼻歌で歌っていた。

 本当はパートナーの優しさに喜んでいる。しかしエヴァンがその本心に気づくことはついぞなかった。

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