第26話 ひととき
窓からさす強い日差しで目を覚ます。寝ぼけまじりにハオランが起き上がる、本人はまだ夢の中にいるようだった。
若干の眠気を感じつつも瞼を開く。そして見たこともない部屋の外観を前に一瞬で硬直した。
たちまち思考が停止し、昨晩の記憶を必死に辿る。しかし、すぐにここはエヴァンの部屋だったと思い出した。
ハオランは昨日からエヴァンの実家に泊まっている。彼の母・あかねの厚意もあって歓迎されているのだ。
隣にエヴァンが寝ていたはずだが、どこにもいない。どこに行ったのだろうと思い、ハオランは部屋を出た。
「あ」
「あ」
ちょうどその時、エヴァンとばったり会う。階段を上っている最中で、エヴァンはどこか嬉しそうにしていた。
「どこに行ってたんだ?」
「義父さんと話をしてきたんだ」
そう答えながら部屋に入る。下でなにがあったのかわからないが、エヴァンは聞いたこともない鼻歌を歌っていた。
きっと、なにか良いことでもあったのだろう。エヴァンが鼻歌を歌う場面をハオランは初めて目にした。
「なにか嬉しいことでもあったか?」
どこか上機嫌なエヴァンに問いかける。すると、わざとらしく「わかるか?」と答えた。
「義父さんと話してきたんだ。今月からでも働きたいって言って、快く引き受けてくれたよ」
たしかに今の状況から察するに、それは嬉しい事のひとつになるだろう。しかしそれだけでエヴァンが鼻歌を歌うようには思えなかった。
その疑問が拭えず、ハオランは「本当にそれだけか?」と首を傾げる。
「他にあるんじゃないのか?」
「……俺ってそんなにわかりやすいか?」
どこまでもお見通しな様子にエヴァンは怪訝な表情を見せた。たしかにハオランは人を見抜く力を持っている。
だがしかし、それ以前にエヴァンはとてもわかりやすい性格をしていた。それがおもしろく、ハオランが本人に告げることは今後ともないだろう。
「どうなんだ? 隠したって無駄だぞ」
「はぁ、わかったよ」
ハオランの問いかけに、エヴァンは観念したように口を開いた。
「義父さんが俺たちの関係を応援してくれるって。普通じゃないってのは言われたけど、たしかに認めるけど」
「嬉しかったんだな」
「うん、嬉しかった。初めて腹を割って話した気がした」
これまでのエヴァンと義父の関係など、ハオランには知るすべもない。だが嬉しそうにするエヴァンを見て、ハオランは安堵に似た感情を覚えた。
「それはよかったな。俺もなにか始めないと」
「ハオランは別に焦らなくていい。この土地にきて間もないんだから俺に任せて」
ハオランの胸元に顔をうずめながら呟く。その気遣いは嬉しいところではあるが、ハオランには背負いすぎているように見えた。
おまけに歳下に権限を握られている気がして、癪に障る部分があるのも否めない。
「無理しすぎてないか?」
「まさか。どうしてそう思うんだ?」
「そう見えるから」
エヴァンの両肩を掴み、緑色の双眸を真っ直ぐに捉えた。本人は首を傾げているが、とぼける事は出来ない。
ハオランを前に嘘をついて誤魔化すなど、エヴァンには百年早いのだ。
「無理なんてしてない。ただちょっと、今後のこととか、いろいろ考えてるだけだ」
「それだよ。エヴァン、少しは気楽にしたらどうだ」
「そんなの、無理だ」
ハオランの励ましを真っ向から否定する。いきなり否定され驚きはしたが、落ち着いて「なんで?」と問いかけた。
「俺がハオランを、俺のわがままで連れてきた。もう後戻りはできない、なら後悔させないためにも俺がやるしか」
「はぁー。いいか、ひとまず深呼吸するんだ」
エヴァンの心情を聞き、途端に溜め息を漏らす。前々から生真面目な性格だとは思っていたが、ここまでくると病的なものすら感じた。
「忘れたのか? 俺はエヴァンと一緒に行くと言った。自分でそう決めたんだ」
「……うん」
「だからひとりで抱え込まなくていい。それに俺たちは結婚するんだろ、こんなとき将来の夫を頼らないでどうする」
「そう、だな。ごめん」
ハオランの台詞に気づかされたのか、小声になりながらも謝る。それを聞き逃さなかったハオランは「いいんだ」と微笑んだ。
「ハオランが将来の夫か。俺も夫になるのかな」
「どっちかっていうと妻な気がする」
「どういうことだそれ」
ふたりは出かける準備を済ませると、エヴァンがドアノブに手をかける。が、その直前になって動きを止めた。
出かける気満々だったハオランが、不思議そうに「どうした?」と問いかける。
「……」
「あ、おい」
最初は応答がなかったが、エヴァンが振り向きざまにハオランにキスをした。不意をつかれ、たちまち面食らった顔をする。
「……愛してる。ふたりで幸せになろう」
「うん。……そうだな、幸せになろう」
エヴァンがドアノブから手を離したのは、部屋を出れば安息に過ごせる日は当分こないと思ったからだ。
だからその前に、この瞬間を堪能しようとハオランに手を伸ばす。頬に触れると、ハオランの手がエヴァンの手を優しく包み込んだ。




