第25話 満足したか
浴室を後にして、髪を乾かしながら部屋に戻る。今しがた浴室から出てきたのはハオランだ。
部屋に戻る途中、ハオランはリビングの前を再び通る。先程は扉が閉じられていたが、今は扉が少しだけ開いていた。
その隙間からわずかにだが光が漏れ出ている。
(誰かいるのかな……)
何気なしに、ハオランはリビングを覗いた。部屋の明かりはついており、扉を背にしたソファには誰かが座っている。
背格好から察するに義父だろう、疲れているのかうたた寝しているようだった。
彼を起こすでもなくそっと、忍び足でリビングの前を通り過ぎる。幸いにも気づかれることはなかった。
久しぶりに浴びたシャワーは心地よく、さっぱりした気分にハオランはご満悦になる。
鼻歌を歌いながら部屋に戻ると、部屋の明かりは消えていた。廊下から差し込む灯りで見える範囲では、エヴァンがベッドに横たわっている。
「エヴァン、もう寝るのか?」
「んー」
すでに眠り被っていたのか、ぶっきらぼうな言葉が返ってきた。溜め息を吐きつつ、ハオランもベッドに腰を下ろす。
「なぁエヴァン。聞きたいことがある」
「んー、なんだよ」
夢の世界に入りつつあったのに名前を呼ばれ、エヴァンは少しだけ目を覚ました。そんなエヴァンを見下ろすようにハオランが覆いかぶさる。
「浴室の鍵が壊れてた。あれエヴァンがやったのか?」
「ん、違う。あれは母さんがやった」
相当眠いようで、鬱陶しそうにハオランを押しやった。しかしハオランも負けじとエヴァンに密着する。
「もぉなんだよ」
「弟がエヴァンに言ってた、風呂場で居眠りをするなってどういう意味だ?」
その質問をした途端、エヴァンの動きはぴたりと止まった。ハオランはキスを落としながら「どうなんだ?」と本題に触れる。
ハオランはその意味をずっと、夕食の時から疑問に思い続けていた。どれだけ考えても当事者ではないため、わかるはずもない。
ゆえに、ここは大人しくエヴァンに尋ねることにした。
「な、教えてくれよ。教えてくれたら満足して、このまま大人しく眠るかもよ」
風呂場で居眠りをしただけなら、単なる死にかけた話で済まされるはずだろう。
だが、あかねやエドガーの振る舞いがハオランには気がかりだった。まるでエヴァンが風呂場でやった出来事をタブー視しているような、そんなふうに思える。
エヴァンは寝返りをうちながら「どうでもいいだろ」とつっぱねた。この話を続けたくないのか、枕に顔をうずめる。
「どうでもよくないから聞いてるんだよ。教えてほしいな」
耳元でそう囁きつつ、服の中に手を忍び込ませた。人差し指で背中をなぞるが、振り返ったエヴァンに睨まれる。
「俺は寝たいんだ。やめてくれ」
「ちぇっ、つれないな」
冷たくあしらわれ、ハオランは拗ねたように口先を尖らせた。そんな彼をよそに、エヴァンは眠りにつこうとする。
「……風呂場の件でみんなが敏感になってるのは、俺がそこで死のうとしたからなんだ」
しかしハオランを冷たくあしらった罪悪感から、エヴァンは自ら話し始めた。感情に呑まれないように一度深呼吸をして口を開く。
「浴槽に水を溜めて、睡眠薬を飲んで、水に浸かりながら剃刀で手首を切った……らしい」
「らしいって、エヴァンが自らやったんだろ?」
「記憶がないんだ。睡眠薬を飲んだ影響で、俺がなにをしたのか記憶が全くない」
ゆえに、その日の覚えている記憶はほとんどなかった。
ただふと我に返ったとき、燃え広がる畑を尻目に首を絞めていた場面は覚えている。その瞬間に「あぁ死のう」と思ったことも記憶に残っていた。
「俺は浴室の扉に鍵をかけて、発見を遅らせようとしたみたいなんだ。でも俺の異変に早く気づいた母さんが鍵を壊して救いだしてくれた」
「俺と同じように救われたんだな」
「あぁ、もう二度とあんな馬鹿なことはしない。薬が抜けきるまでも大変だった」
そこまで語って、ハオランに「満足か?」と問いかける。ハオランはお望みの話を聞けて満足したが、満面の笑みで「まだ」と答えた。
「いい加減寝かせてくれよ」
「まだ起きててくれよ」
背筋をなぞる手を、今度は下に少しずつずらしていく。だがエヴァンから本気の声で「やめろ」と言われた為、大人しく寝ることにした。




