第23話 帰郷
故郷から最も近い駅に着いたのは次の日だった。朝方に駅を降り、都市部から郊外へと歩き続ける。
その途中で親切な老人に荷馬車に乗せてもらい、実家から最も近い場所で降りた。わずかな礼金を渡し、そこからふたりは目的地に歩いて向かう。
エヴァンの実家まで、あともう少しだ。
「なぁ、エヴァンの家族構成を聞いていいか?」
「なんで?」
不意にハオランが訊ねる。エヴァンは不思議そうにしているが、素直に「知っておきたいから」と応えた。
「……母さんと義父、兄と弟がひとり。それと歳の離れた妹がひとりだ」
「大家族じゃん。いいな」
「ただの複雑な家庭だよ」
感心するハオランを振り返らずに一蹴する。話を聞く限りエヴァンは義父と仲が良くないのだろう、ハオランはそれだろうと思った。
ふたりは夕方ごろに実家に着く。
敷地の門は空いており、エヴァンはずかずかと芝生のうえを歩き始めた。その付近には『芝生を歩くな』と書かれた看板が建っている。
置いてかれまいと、ハオランは慌てて後を追いかけた。
「すごいなぁ。なにしたらこんな邸宅に暮らせんだか」
「義父が元々由緒ある家系の出でな。この家も築、百数年は経ってるらしい」
ハオランは「へぇ」と感心しているが、エヴァンはこの家を嫌っている。築百数年とだけあって、家中の至るところはきしんでばかりでうるさかった。
越してきたばかりの頃はそれが怖く、夜も眠れなかったのを未だに覚えている。
玄関もこれまた豪華で、エヴァンは獅子の頭がついたドアノックを叩いた。しばらく待つと、扉がゆっくり開く。
そこから女性が顔を覗かせ、ふたりの顔を交互に見た。黒髪を団子にまとめた妙齢の女性、使用人だろうか。
「ただいま、母さん」
エヴァンがその女性を呼んだ、その瞬間にハオランはひどく驚いた。てっきり女性は使用人だと思っていた、同時に恥ずかしさを覚える。
「おかえり、無事に戻ってきてくれて嬉しいわ。えと、こちらは……手紙に書いてあった恋人さん?」
「そうだよ。彼はハオランだ」
エヴァンの左手がハオランの背中に回る、そして恥ずかしげもなく密着した。この関係を包み隠さない仕草に、ハオランはほのかに嬉しさを感じる。
「李浩然です。どうぞよろしく」
にこやかに笑みを浮かべて、エヴァンの母親・あかねに手を差し出した。あかねも嬉しそうに差し出された手を握り返す。
「ふふ、私のことはお義母さんって呼んでくれていいから」
「もちろん。そう呼ばせていただきます」
「そ、そういうのいいから、ほら中に入って」
満更でもないふたりを前に、エヴァンは恥ずかしそうに顔を赤らめた。そして急かすようにふたりを家の中に押し込める。
「手紙が届いたときはびっくりしたわ。でもよかった、こんなに素敵な人と出会えたなんて」
あかねはあいも変わらず微笑んでいる、ハオランはのほほんとした雰囲気に若干ながら気圧されつつあった。ここまで危機感のない、天然そうな人物は初めて見る。
「この荷物、俺の部屋に置いてくるから」
「使用人さんに頼まなくていいの?」
「自分でやる」
「そう、置いてきたらリビングにいらっしゃい。お茶にしましょうか、長旅で疲れてるでしょ」
ハオランを連れて、エヴァンは二階にある自室へ向かった。その後ろで、「後でね」と軽く手を振るあかねに見送られながら。
「なんというか、凄いな……エヴァンのお義母さんは」
「母さんはいつもああだよ」
「俺、あんなに歓迎されたの初めてかも」
エヴァンの部屋は二階の角にあった。床に荷物を置き、中央にあるベッドに腰を下ろす。
そこでようやく、ふたりはひと息つくことができた。
「歓迎されないものだと思ってた。拍子抜けしたっていうか、ああいう人もいるんだな」
「母さんは基本的に優しい人だよ」
部屋は基本的に物が少なく、年頃の少年はこんなものだったかとハオランは疑問に感じる。机のうえにはインクとペン、あとは本が数冊あるだけだ。
壁にポスターなどはなく、あとはクローゼットだけ。味気ない部屋、そんな印象が根付いた。
「なんだ、なにか面白いものでもあったか?」
ふと、ハオランが部屋を眺めていることに気づく。エヴァンは忍び寄るように彼の背中に抱きついた。
「んや、殺風景っていうか、エヴァンはここでどうやって過ごしてたんだろうって思って」
ハオランでも、エヴァンくらいの時期はもう少し味気のある部屋にしていた自信がある。それくらい、この部屋はほとんどなかった。
写真立ても、バットやボールもない。部屋自体はそこまで広くないはずなのに、やけに広く感じた。
「察してるだろうが俺と義父の仲はよくない。だからこの家を早く出たくて、出て行きやすいように物はあまり揃えなかったんだ」
再婚した家庭ではよくあることだろう。義親、または義子と折り合いが悪い話はどこにでもある、よく聞く話だ。
エヴァンと義父の関係もそのなかのひとつでしかない。
「なら俺たちが住む家はいろんな家具を揃えよう。壁には絵画とか写真を飾って、観葉植物を育てるのもいいかもな」
気がつけば、ハオランはそんなことを口走っていた。味気ない部屋のせいだろうか、それともエヴァンを哀れに思ったからだろうか。
それでも、エヴァンはどこか嬉しそうに「そうだな」とうなずいた。
「下に行こう。お義母さんが待ってる」
「あぁ。ていうか順応しすぎだろ」
部屋を出る前にふたりはキスを交わす。触れるだけの優しいキスをすると、その流れで抱きしめあった。
ゆっくりできるのは今だけだろう、これからどんどん忙しくなる。そうなる前に、ふたりは最後の余韻に浸った。




