第2話 目覚め
路地裏で発見した男を連れ帰った後、空いていた部屋に寝かせる。そして近くの診療所まで行き、医者を呼んだ。
男を診療した医者いわく、傷は大したことない。
が。出血のしすぎで、エヴァンが見つけていなければ今頃は死んでいたそうだ。そのせいか、医者から絶対に安静で居させるように言いつけられる。
最後はいくつかの痛み止めを処方してもらった後、医者は診療所に帰った。
ひと段落つき、疲れきったエヴァンは廊下の壁にもたれかかる。そして深い溜め息を吐き出した。
お気に入りのカーディガンは血ですっかり汚れ、洗っても綺麗に落とせないだろう。もう捨てるしかないと、イラつきにも似た感情を覚えた。
「そこにいたのねエヴァン。落ち着いた今だから聞くけど、なにがあったの?」
不意に現れた恵里香が訊ねる。男を家に運び込んだとき、エヴァンを最初に出迎えた恵里香はひどく驚いていた。
しかし問い詰める暇もなく、あれよあれよと今に至る。
「正直あんまり覚えてない……でも帰りにあの男が路地裏にいたのを見つけた。構うなって言ってたけど連れてきた」
男を発見してから、落ち着くまでの間を覚えている限り答えた。あの状況を目の当たりにすれば、誰もがエヴァンと同じ状態になるだろう。
「そうだったのね。あなたは困ってる人を助けた、だからそんな顔をするのはおよし」
「うん」
「私たちはなんとも思ってないから」
エヴァンの頭をおもむろに撫で、恵里香は「これからご飯よ」と告げた。
その時、エヴァンもお腹が空いていたことに気づく。
思えば朝、おにぎりをひとつ食べたきりだった。それを自覚した途端に腹も音をだして訴えだす。
「ふふ、聞こえたわよ」
「わかってるよ」
からかうように笑う恵里香に、エヴァンは顔を赤らめて言い返した。「行こっか」と恵里香に促されるまま、エヴァンはその場を後にする。
※
あれからまる二日が経過した。特にこれといって事件もなく、平和に時間が過ぎていく。
その間、男が目覚めることはなかった。いっときは死んだんじゃないかと誤解するほどに。
しかし、エヴァンが軽いビンタをした時は反応を示した。そのため死んではいないらしい。
が。一向に目覚める気配がないのは確かだった。
男を連れてきた責任として、エヴァンは彼が目覚めるまで見張るように言いつけられている。
名前も知らない男のお目付役を任せられ、渋々男の近くで過ごしていた。まったく目覚める気配のない男を隣に、エヴァンはあやとりで遊ぶ。
「……」
何気なしに男のほうに視線を向けた。規則正しい呼吸の音だけが、男は生きているのだと教えてくれる。
それ以外はなにも知る術がないまま、男は未だに眠り続けたままだ。
一見すると、男は島国の住人と変わらない顔立ちをしている。が、どこか違った雰囲気があるのを感じた。
きっと男はエヴァンと同様に異国からやってきたのだろう。これもただの憶測に過ぎないわけだが。
顔にかかった前髪を掻き分け、男の顔を眺める。
出会った瞬間は顔を直視することができなかった。が、眠っている今ならできる。
眠っている顔はひどく整っていて、エヴァンは嫉妬心すら覚えた。
「ん……ん、うぅ」
「ん?」
不意に男がうめき出す。突然のことに驚き、咄嗟に男の顔から手を離した。
「うわっ!」
「う……ここ、どこだ……」
うつろな双眸が天井を捉える。起きたばかりで状況が掴めないのか、男は微動だにしなかった。
「ちゃんと生きてたのか……」
進めていたあやとりが床に落ち、男のそばに寄る。エヴァンの(酷薄な)ぼやきが聞こえ、男はそちらに目を向けた。
「な、なんだ?」
布団から手を出し、エヴァンに手を伸ばす。そして今にも消え入りそうな声で「水」と言った。
男が意識を失って二日以上は経っている、喉が渇いているのは当然だろう。
「水だな、わかった。ちょっと待ってろ」
男の言葉をどうにか聞き取り、水をとりに台所へと部屋を飛び出す。そして数分も経たずに、エヴァンは男の元へ水を持ってきた。
慎重に水の入った湯飲みを渡し、ちゃんと飲めるようにと加えて男を介抱する。
「ありがとう。もう大丈夫、自分でできる」
「そうか」
声を出そうにも出ないため、男は苦しそうに咳き込んだ。そして咳き込みながらもエヴァンに礼を言う。
あれからまる二日経ってようやく、男は目を覚ました。
何杯目かの水を飲んで一息つく。男は目覚めたばかりのため、どこか上の空だった。
ふたりの間に会話はない。エヴァンもなにをするでもなく、視線を逸らしながらも男の様子を窺っていた。
「えと、助けてくれてありがとう。あの時は本当に死ぬんじゃないかと思った」
取り繕ったような笑みを浮かべ、エヴァンに再び礼を告げる。エヴァンは「別にいいよ」と素っ気なく答えた。
「まだ傷は痛む?」
「ちょっとだけね……でも大丈夫だ、世話になった。俺の着てた服はどこか知ってる? もしかして捨てた?」
「待て待て! 怪我人なんだから立つなよ!」
怪我した箇所をおさえながら男が立ち上がる。男の服裾を掴み、エヴァンは慌てて引き止めた。
怪我人のわりには力が強く、少しだけ引きずられる。それでも負けじと踏ん張った。
「服が伸びるから離してほしいんだけど」
「じゃあ横になれ! 今さっき起きたばっかだろ!? また傷が開いたらどうすんだよ!」
「大丈夫だ。俺はそんなやわじゃない」
「そういうことじゃないんだって!」
エヴァンの努力も虚しく、邪魔だと判断され簡単に吹っ飛ばされる。怪我人とは思えない力強さだが、それでもエヴァンは諦めなかった。
男は廊下に出ると左右を見渡し、真っ直ぐ玄関に向かい始める。服のことは諦めたのか、探すそぶりもなかった。
「わっ」
「きゃっ」
一室の前を通ったとき、男と他の住人がぶつかる。可愛らしい声が聞こえ、男は咄嗟に「ごめん」と謝った。
「君のご家族かい? ぶつかってしまって申し訳ない、それにいろいろとありがとう。世話になった」
背後にいるエヴァンに語りかけつつ、ぶつかった相手に改めて謝罪する。一室から出てきたのは、明るい緑髪と緑目が特徴的な少女だった。
少女は男を見上げ、怖気ついたのかおし黙ったまま。
しかし、エヴァンが「アマーリ!」とその名前を呼んだ。そして「そいつを家から出すな!」と叫んだことで、少女ことアマーリは豹変する。
ほんの一瞬だけ、男は背後から殺気を感じ取った。咄嗟に振り返るがすでに遅く、アマーリが男の背中に抱きつく。
それだけの動作で、男は強烈な眠気に襲われた。脚に力が入らなくなり、その場に崩れ落ちる。
「いい子はおねんねしましょうね」
小声で歌うように、アマーリは楽しそうにささやいた。
歪曲していく視界の中、耳元でささやくアマーリを横目に睨みつける。が。その反抗もむなしく、男は一瞬で深い眠りに落ちた。