第18話 意を決して
その話を聞かされたとき、ハオランはその場にいなかった。遡ること数時間前、エヴァンは祖父母に居間へ呼び出される。
「エヴァン、話さなきゃいけないことがある」
祖父の幸助がそう言い、エヴァンに座るよう促した。いつもとは違う雰囲気に、自然と緊張感が高まる。
「来月の中旬には故郷へ帰ることになった」
「……うん」
「いずれこの国ともお別れだ。思い思いのことは事前に済ませておくようにね」
まるで死の宣告を受けたように、それはエヴァンの心に暗い影を落とした。来月には帰国する、つまりハオランと離れ離れになるということ。
幸助の言葉に返事もできないまま、エヴァンはおもむろに立ち上がった。祖父母の呼びかけにも応えられず、居間を後にする。
いつかはこの日がやってくることを心の中ではわかっていた。暗い表情のまま、エヴァンは部屋に閉じこもる。
ハオランは未だに戻ってきていない、いつ戻るのかもわからなかった。悶々とした感情を抱えたまま、エヴァンはハオランの帰りを待ち続ける。
『どうしたの?』
そんな折、不意に頭の中で声がした。エヴァンは眉間にしわを寄せ、閉じられた襖を睨みつける。
「そこにいるんなら普通に話せばいいだろ。びっくりするから頭の中で話しかけないでくれ」
「あらあら、心配してるのにそんな言い草なんて」
襖がゆっくり開いた。そこからアマーリが顔を覗かせ、困り果てたような顔をする。
「幸助くんが心配してたわ、様子がおかしかったって。悩み事があるならこの私が相談にのってあげる」
そう言って、開けた襖を静かに閉じた。
こうなってしまってはアマーリを止めることはできないだろう。エヴァンは肩をすくめながら溜め息を吐いた。
「来月、故郷に帰るって」
「うん、さっき聞いたわ。ここの暮らしも楽しいけれど、やっぱりお友だちのいる国が一番かしらね」
にこにこと笑みを浮かべて答える。アマーリの無垢な笑みを見て、エヴァンは一層暗い表情を浮かべた。
「別に友だちなんていないし」
「そんなことないって! いるでしょ、いっぱい!」
エヴァンの抱える地雷に踏み入ったことに気づき、慌てて上っ面な言葉で訂正する。それがより、エヴァンの心をえぐった。
「はぁ、そんなことはどうでもいいんだ。アマーリには前に話したろ、俺とハオランは付き合ってるって」
「もちろん覚えてるわ。ふたりを見てるとなんだか私まで楽しくなっちゃうのよね」
「……それはさておき、この事はハオランに話さなきゃいけないと思ってる。今後どうするべきか」
そう、故郷へ帰るにしてもハオランとの今後を考えなければいけない。そのためにはハオランの意見を聞く必要がエヴァンにはあった。
このままの関係を維持するか、それともこの関係を終わらせるか、決めなければいけない。
「あなたはどうしたいの?」
「そんなの……離れたくないに決まってる」
アマーリの問いかけにきっぱり答える、それだけエヴァンは本気だ。心から彼を慕っている。
「変な人たちと繋がりがあっても?」
「もちろん」
「愛する人がいるかもしれない人を傷つけていても?」
「……もちろん」
「嘘をついたからと疑って、あなたに聖水をかけたとしても?」
「なんで、アマーリがそれを知ってるんだ?」
元来なら知っているはずがない、聖水の件は誰にも話していないからだ。なのになぜ、アマーリはそのことを知っているのだろうか。
怪訝な眼差しをアマーリに向ける、相変わらずにこにこと笑みを浮かべていた。
「教えてあげるわ。私、ずっとこの家を守ってるのよ……いつどんな危険がくるかわからないから」
「そんな、わかるものなの?」
「えぇ手取り足取り。あなた達がどんないちゃいちゃをしたかだって全部知ってる」
怪しい笑みを浮かべ、これまで秘密にしてきた事実を打ち明ける。手取り足取りわかるということは、見られていないと思っていたことも知っているということだ。
それを理解した途端、エヴァンは顔から火が出るような恥ずかしさを覚える。
顔を両手でおさえ、崩れるようにその場にうずくまった。
「あらあら可愛いわね」
「グランパたちには言った……?」
「言ってないわ。あなた達が過ごした濃密な時間は邪魔しがたいもの」
憎たらしく感じるほど無垢な笑みを浮かべている。その表情を保ったまま、アマーリは更なる追い討ちを仕掛けた。
「でも最後までやっといて、不都合だからって切り捨てるのは薄情よね。見損なっちゃうわ、最後まで責任とらないと」
腕を組み、悩ましげに思っていることを口にする。
アマーリの口から「薄情」という言葉を聞き、エヴァンは心に強烈な痛みを感じた。
エヴァンは顔を真っ赤にしたまま眉間にしわを寄せ、唸りに似た声を漏らす。そして意を決したように口を開いた。
「俺……せきにん、とる」
「あらそう! それでこそあの人の息子よ。彼が戻ってきたら告白してらっしゃいな、ふられたら慰めてあげるから」
エヴァンの背中をバシバシ叩き、親指を突き立てる。アマーリはなにを考えているのか、エヴァンにはいまいちわからなかった。




