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第17話 人じゃない

「ハオランは俺が怖くないのか」

 エヴァンが不意に問いかける。

 ふたりは縁側に座り、だらだらと過ごしていた。エヴァンはハオランに寄りかかり、顔をすり寄せる。

「怖くないけど。どうしてそう思うんだ?」

「俺が人間じゃないからだよ。たまに、自分が怖くなることさえあるんだ」

 悩ましそうな表情を浮かべて答えた。しかしハオランにとって、エヴァンは怖いというより不安定に見える。

 それを言ったところで、エヴァンが素直に聞き入れるかはわからなかった。

「そんなことない。エヴァンはもう少し、自分に対して素直になればいいだけだ」

「……友好的であろうとしても、媚びへつらうだけの奴だって罵られるだけだ」

 ハオランなりに言葉を選んだつもりだったが、あまり意味がなかったようだ。

 どこか冷め切った様子のエヴァンにそう応えられたことで、次になんと言えばいいのかわからなくなる。

「人間に飼い慣らされた化物だと言われたことがある。家畜と同じだってな、用済みになれば殺される」

「そんな……」

 エヴァンの故郷に理不尽さを感じたが、ハオランはすぐに口を噤んだ。ハオランが生まれ育った国でも、奴隷のように売られる少年少女はわんさかといる。

 なんなら、幼い頃のハオランもそのなかの奴隷に過ぎなかった。いつ殺されて喰われるかなど、誰にもわからない。

 その恐怖を知っているがゆえになにも言えなくなった。それでも、ハオランは口を大きく開ける。

「いやエヴァンは家畜なんかじゃない。それは自分が一番わかってるだろ、言った奴が単に馬鹿なだけだ」

「そう、かもな」

「俺は確かに人間だが、エヴァンを家畜だと思ったことは一度もない。そこらの人間よりよっぽど心がある」

 エヴァンの目を真っ直ぐに捉え、思ったことを素直に話した。きっと奴隷だった頃の自分と重ねでもしたのだろう。

 ハオランの言葉を聞いた途端、エヴァンの表情が歪んだ。

 その歪んだ表情を見られたくないのか、ハオランの胸に顔を埋める。そしてひっそりと泣き始めた。


 ※


 月明かりに照らされた川を見下ろしながら、たばこの吸殻を捨てる。ハオランの隣にはイェジュンがおり、肩を震わせて笑いを堪えていた。

「お前らうぶかよ。することはしても最後までいってないんだなあ、俺でも知ってるのに」

「なにをだよ」

「は? 本当に知らないのか?」

 イェジュンが信じられないものを見るような、驚きの眼差しを向けてくる。つい先ほど、ハオランは「いれたのか?」という質問を否定したばかりだった。

 口をおさえながら「まじかよ……」と絶句している。なにに驚愕しているのか、ハオランには全くわからなかった。

「教えてやるから、俺の手をちゃんと見てろよ」

 そう言って左手の親指と人差し指で縁を作り、右手の人差し指をその円に突っ込む。そして左右に抜き挿しした。

「男には女にあるはずの穴がない。ならばどうする?」

 そこでようやく、ハオランは意味を理解する。たちまち動揺しはじめ「正気かよ」と絶句していた。

「ていうか、なんでイェジュンがそれを知ってんだ」

「以前、裏切り者に報いを受けさせたときのことだ。特別な薬を投与された獣のいる檻に、そいつを閉じ込めたんだ」

 イェジュンの言う獣とは、きっと人間のことだろう。想像すらしたくない為、深くは追及しなかった。

 ハオランの隣では「穴があればどこも一緒」と、ひとりでけたけた笑っている。

「欲のまま本能に従った人間も所詮、野生の動物と変わらない。ハオランがその場にいたら見せてやりたかったよ」

「あぁ、そうか……」

 その場にいなくて良かったと心の中で安堵した。

 長い間を共にしてきた仲だが、イェジュンのこういった部分は未だに慣れないまま。どれだけ一緒にいた仲間でも容易く捨てられる、それがイェジュンだ。

 きっと昔馴染みのハオランとて同じだろう。だが、それでも時折見せる優しさがあるのはたしかだ。

「人間じゃないのなら、せいぜい機嫌を損なうようなことはやめろよ。でももし少年に裏切られて、姿を見たくなくなった時は俺に言え」

「どうも。頭に入れておくよ」

 最後に会話を交わし、ふたりは別れる。が。その直前にイェジュンが「そうそう」と思い出したように口を開いた。

「なにもないからずっと黙ってたが、この密会も筒抜けみたいでな。警戒しないでくれって伝えといてくれよ」

「それは、どういうことだ……」

「さぁな。俺は事なかれ主義だ」

 そう言って、イェジュンは今度こそ引き返していく。

 事なかれ主義とは、いったいどの口が言うものか。そう思いながらもハオランは帰宅した。

 普段通り玄関を慎重に閉めて家の中に入る。靴を脱ぎ忍足で床に足をつけた瞬間、

「おかえりなさい」

「……っ、アマーリ」

 不意に声をかけられた。いるとは思っていなかったため、心臓が飛び出るような思いをする。

 真っ暗な廊下のなか、アマーリが壁際に佇んでいた。

「どうしてここに」

「眠れなくて。そういうあなたもお散歩でしょ?」

「ま、まあ……たしかにそうだが」

 薄ら暗い空間にも慣れ、次第にアマーリの姿を認識していく。可愛らしいパジャマ姿に、手にはくまのぬいぐるみがぶら下がっていた。

「寝なくていいのか」

「いいの。たまにこうして、なにも考えずにいたいの」

 ハオランの問いかけに笑みを浮かべて答える。

 とはいえ、なぜここにいるのかは疑問が募っていくばかりだ。追及する気はないが、アマーリを怪訝に思う。

 心臓はいまだに大きく脈打っていた。それだけアマーリの存在は心臓に悪いと言える。

「そんなところにいないで、部屋に戻ったらどうだ」

「そうね。そろそろ、そうしようかしら」

 アマーリの頭を無造作に撫で、そのまま通り過ぎようとした。が、そこでハオランはふと足を止める。

 先ほどのイェジュンの言葉が不意に脳裏を過ぎった。もしかして、いや、そんなまさか……冷や汗が頬を伝う。

「アマーリ」

「なにかしら?」

 彼女はいまだに廊下の壁際に立っていた。どうやらそこから動く気はまだないらしい。

 ハオランが考えていることに確証はひとつもなかった。単なる考えすぎだってあり得る。


 イェジュンは見られていることに気づきながらも口を噤み、あの時に口を開いた。そして敢えて「事なかれ主義」と言ったとする。

 たどり着いた答えはひとつ、イェジュンはその存在を恐れたのだ。ならば納得がいく。

 だが恐れた存在が何者かまではわからなかった。それでも今までの日々を振り返る中でひとつの答えにたどり着く。


「警戒しないでくれって伝言を預かってるんだが、勘弁してやってくれないか」

「あら?」

 それだけ言って、振り返らずに自室に戻った。アマーリは呼び止めるでもなく、ハオランの後ろ姿を見送る。

 ハオランが部屋に戻ったとき、心臓はさらに大きく脈打っていた。確証はどこにもない、それでも勘がハオランに告げている。

 イェジュンが恐れていたのはアマーリではないかと、確信めいたものがあった。

 先日、アマーリと鉢合わせたときのことを思い出す。その時は他意はないだろうと、深く考えないようにしていた。

 が、アマーリは気付いているのだろう。

 イェジュンとの密会に、聖水のことだってバレてないとは言い切れなかった。もしかしたらエヴァンが家族の誰かに話している可能性すらある。

 今後の展開を危惧しながら、ハオランは布団に横たわった。未だに心臓はばくばくしているが、構わずに目を瞑る。

 案の定、ハオランは寝付くことができなかった。

 どのくらいの時間が経過しただろう。いつまで経っても眠れず、時間は過ぎていくばかりだった。

「はぁ……」

 仕方なしに起き上がって、エヴァンのいる部屋に向かうべく部屋を後にする。気分は乗らないが、意に反して足取りは軽やかだ。

 襖を開け、部屋の中を覗くとエヴァンはぐっすり眠っていた。ハオランが部屋に入っても、軽く揺すっても起きる気配はない。

 試しに、ハオランはエヴァンの隣で横になった。穏やかに眠る横顔を見つめながら目を瞑る。

「……」

 悔しさはあるが、それが事実だ。心は認めたがらないが、頭はすんなり認めてしまっている。

 先ほどはあれだけ眠れなかったはずが、エヴァンの隣で横になった途端に眠くなってきた。抗うすべもなく、ハオランはどんどん夢の世界に引き摺り込まれていく。

 その日もやはり、ハオランはエヴァンの隣で眠りにつくことができた。

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