第16話 絆されていた
あれからというもの、エヴァンはずっと部屋に引きこもっている。ハオランと顔を合わせたくないのか、襖も障子も閉じられていた。
まだ昼を過ぎたばかりだが、このままで今日を終われるはずがない。ハオランは口実作りのために動き始めた。
台所を綺麗にした後、周辺を物色する。棚に素麺があるのを見つけ、手を伸ばした。
素麺なら口実作りも使えるだろうと考え、早速鍋に水を注ぐ。水が沸騰すると、なかに素麺を多めに入れた。
ハオラン自身、料理を作ることは滅多にない。が、出来ないというわけではなかった。
こっちに来たばかりの頃、この国の食文化について触れたことがある。ほんの嗜み程度だったが、ここにきて役立つとは思いもしなかった。
大葉などを切った後は皿に盛り付け、居間に持っていく。
セッティングを済ませると、そのままエヴァンの部屋に向かった。そして襖越しにエヴァンへ呼びかける。
「エヴァン、聞こえるか。今さっき素麺を茹でたんだ、一緒に食べないか……なあ」
しかし、エヴァンが返事をすることはなかった。単に寝ているのか、それとも無視しているのか。
もう一度呼びかけて、返事がなければ強硬手段に出ようかと考えた。が、そうなる前に襖が少しだけ開く。
そこからぶすくれ顔のエヴァンが顔を覗かせた。警戒するようにハオランをじと目で睨んでいる。
「……また聖水を混ぜたりしてないだろうな」
「しない。それに瓶はエヴァンの部屋に忘れてきた、例えやろうとしても無理だ」
「……」
渋々、といった感じでエヴァンが部屋から出てきた。その際に彼の頬にキスをする。
迷惑そうに睨まれたが、とくに反抗してくることはなかった。内心、嫌ではないのだろう。
が。昼食を食べている間、ふたりの間に会話はなかった。なにを話せばいいのかもわからず、黙々と麺をすする。
食べ終えた後も会話はなく、気がつくとエヴァンはいなくなっていた。
いつもなら必ず、視界の端っこにいるはずなのに。だが、ハオランはそれだけのことをしたのだ。
それでも寂しさを感じずにはいられない。あんなエヴァンを見るのは初めてで、さらに胸が痛むのを感じた。
その寂しさと胸の痛みは、理不尽にも不満へと変わる。
もう一度、ハオランはエヴァンがいる部屋に向かった。
先ほど、少しだけ開いた襖は再び閉じられている。ハオランは半ばやけくそ気味に襖を開けた。
さっきは開けるのを躊躇ったが、不満を抱いている今なら躊躇うことはない。
「エヴァン」
不機嫌さを醸し出した声で少年の名前を呼んだ。
エヴァンは驚いた表情でハオランを見る。ハオランの顔はこれまで見たことがないほどに不機嫌な表情をしていた。
「なんだよ」
喧嘩腰で返事をする。その声を聞いて、エヴァンはまだ許す気はないのだと感じた。
だが今のハオランにとって、そんなことはもうどうだっていい。怯えながらも身構えるエヴァンを、有無を言わさずにきつく抱きしめた。
「な、なんだよ」
体勢を崩し、ハオランが覆い被さる形になる。エヴァンの体はすっぽりはまり、抜け出せなくなった。
抱きしめた途端に寂しさも不満も消える。おまけにエヴァンを抱きしめる力はどんどん強くなっていった。
同時にエヴァンは苦しそうに表情を歪める。
エヴァンから感じる温もりや匂いを嗅いで、ハオランは深く実感した。
これまで散々おちょくってきたが、ハオランこそがエヴァンに心酔していると。
絆されていたのはハオランのほうだった。
「悪かった。本当にすまないと思ってる」
「だからなんだよ」
ハオランの台詞にエヴァンはなおも悪態つく。その仕草ですら愛おしく感じた。
「もう二度としない、約束する。腹はもう大丈夫か?」
エヴァンから身を離し、腹の具合を確認する。
腹には手形の腫れが残っているも、エヴァンの振る舞いからして大した問題はなさそうだ。
「俺が馬鹿だった。許して、とは言わない……でも今はこのままでいさせてくれ」
そう言ってエヴァンの背中に手を回す。流石にこの状態では、喧嘩腰だったエヴァンもなにも言わなくなっていた。
誰がこの展開を想像しただろう。先ほどまであった怒りも忘れ、大人しくハオランに身を委ねることにした。
「愛してる」
初めてエヴァンの耳元で囁く。エヴァンも初めて聞く言葉に嬉しさを感じ、つい「愛してる」と返した。




