第1話 重傷の男
晴れ渡った空の下、そよぐ風によって風鈴が音色を奏でる。そんな風景を眺めながら、ひとりの少年は縁側でだらだら過ごしていた。
縁側でくつろぐ少年こと、彼の名前はエヴァンという。
彼は一ヵ月前に遥か遠い異国から島国にやって来た。現在は祖父母と伯母の四人で、しがない日々を過ごしている。
祖父母たちはいま市場に出かけているため、エヴァンは留守番を任せられているところだ。
うちわを扇ぎながら退屈な時間を過ごす。部屋には退屈しのぎになるものはなく、大体が持ってきた荷物だけだ。
おまけに今は留守番を任せられているため、出かけるわけにもいかない(祖母を怒らせると怖い)。
「はー……退屈で死にそう」
ここに来たばかりの頃は初めて触れる異文化に心を躍らせたものだ。しかし三日経った頃には慣れ始め、気難しい性格が災いしてか友人も未だにいないまま。
おまけに島国はほんの数年前まで閉鎖されていた。そのため異国からやってきた者は避けられている節がある。
祖父母はうまくやれているようだが、エヴァンは息苦しささえ感じていた。
そんな日々が続いてちょうど一ヵ月、エヴァンは引きこもりに近い状態で過ごしている。
たまに外へ出るとしても、なにかしらの理由で頼まれた物を買いに行く程度だけだ。
無限に思えるような退屈さのなか瞼を閉じる。
そのとき心地よい風が吹き、エヴァンはそのまま微睡みの世界に沈んだ。
「いい加減に起きなさい。もう夕方よ」
「ん……んん……」
額をぺちぺちと叩かれ起こされる。空はすでに朱色に染まり、目を開くと祖母の恵里香が視界に入った。
「ちょっとそこまでお使いに行ってきてくれる? たまには外に出るいい機会よ」
「え、うそっ」
恵里香の言葉を聞いて慌てて飛び起きる。またこうして一日を無駄に過ごしたことを悟り、途端に絶望した。
「うぅ……お使いって、なにを買いに行けばいいの?」
「マッチをお願い。さっき使い果たしちゃったから」
「わかった。あぁ頭が痛い、寝すぎたかな……」
「寝すぎよ」
倦怠感のある体を起こして立ち上がる。そして出かけるための準備を始めた。
「あれ、俺のカーディガンどこ……」
そう呟いて部屋のなかを探し始める。恵里香は「済んだら居間に来て」と言い残し、部屋を後にした。
エヴァンは倦怠感に苛まれながら上着を探す。結果的にカーディガンは押入れの中で見つかった。
「ふぁ〜、ねむ」
カーディガンを片手に、欠伸をしながら居間に向かう。
居間で恵里香から財布を受け取り、上着を羽織った。そして散歩がてら、エヴァンは近くの商店まで出かける。
家は表通りの裏にあり、人が通ることは滅多になかった。たとえ人に出くわしても、近所に住む高齢の住人程度で若い住人はほとんどいない。
商店は家からさほど遠くない場所にあり、エヴァンも何度か訪れたことがあった。その商店にマッチが売られており、その便利さから需要も高い。
「やぁこんにちは。元気にしてた?」
商店の戸を開けると店主の男がエヴァンを快く出迎えた。エヴァンは彼の問いかけに「普通」とだけ答える。
「そっけないねぇ。いつもの?」
「うん。マッチ箱ふたつ」
「はいはい。恵里香さんによろしく言っておいてね」
商店に通い始めて一ヶ月だが、店主とはたわいない会話をする程度の仲だ。単に店主がお喋りな性格なだけだろうが。
「どーも、そんじゃ」
「あぁまたおいで」
別れ際にも軽く会釈して店を出た。店主もいつもと同じようにエヴァンを見送る。
外に出ると朱色だった空は若干暗くなりつつあった。暗くなる前に帰ろうと、エヴァンは家路を急ぐ。
通りは昼間と比べて人数は少なくなっていた。
しかしこの通りは夜でも賑わう、これから先もここが無人になることはきっとないだろう。
通りゆく人々を避けながら角を曲がった。いま入った小道を少し行けば、エヴァンの住む家にたどり着く。
ふと、地面に点々とした跡があることに気づいた。
「なんだ、これ?」
それは数メートル先まで続いており、好奇心に駆られて辿っていく。その跡は裏路地まで続いていた。
恐怖心もあるが好奇心が勝っている。エヴァンは恐る恐る路地裏を覗き込んだ。
「おいあんた大丈夫か!?」
路地裏で広がっていた光景に息を呑む。エヴァンは咄嗟に声をあらげた。
そこには腹から血を流した男がおり、顔色も悪くただ事ではないのがわかる。
とうの男は「大丈夫だ」と息も絶え絶えの状態で笑みを取り繕って答えた。
「いや大丈夫じゃないだろ!」
誰か手を貸してくれそうな人がいないか、エヴァンは周辺を見回す。しかし此処は人通りの少ない小道、都合よく人が通っているわけがなかった。
「なぁあんた立てるか?」
「だから大丈夫だって……あの、いいからほっといて」
「怪我人がつべこべ言うなよ! いいから立てって!」
仕方なしに男の肩を担ぎ、近くにある家まで運び始める。
途端に男が抵抗しだすが、エヴァンが鬼のような形相をしたことで黙らせた。
「家はすぐそこだから踏ん張れ」
「俺は大丈夫だから」
「うるさい」
家までそう遠くない。が。男は思ったよりも重傷らしく足取りもおぼつかなくなっていた。
しまいには意識を失い、エヴァンにもたれかかる。
服が血塗れになっても構うものかと男を運び続けた。この状況を目の当たりにして、冷静でいられるわけもない。
エヴァンのなかにあるのは焦燥感だけだ。男が死んでしまわないか、まだ間に合うだろうかと。
このまま男に死なれたら夢見が悪いと考えながら、エヴァンは家路を急いだ。