第6話 赤と黒と
木たちが軋む。まるで何かに怯えるように。
イドの出現。それは何回見ても信じられない光景だ。
空間が歪み、その歪みの中心に黒い野球ボールくらいの球が出現。同時にその球は一瞬で何倍にも膨れ上がる。そしてその球からイドは這い出てくるのだ。出現するイド本体の大きさに比例して最終的な球の大きさも変化する。
直接見るのはこれで四回目だ。だがしかし、今回は少しいつもと違った。
「………でかい!」
そう。明らかに今までのとは違う大きさに膨れ上がる黒い球。何倍どころではない。何十倍だ。
「離れてッ!」
花梨がオレに叫んだ。しかし、遅かった。
黒い球は巨大なイドを出現させる。
その出現の余波で一瞬にして周りの大木たちが薙ぎ倒され、強烈な暴風が俺たちを包んだ。
……………………。
オレは、どうなった?
そう思い反射的に瞑っていた目をゆっくりと開ける。
……なんということだ。10メートルほど先にはこれまでのイドとは比べ物にならないくらい巨大な影の化け物が君臨していた。その出現地点には砂煙が立ち上り、地面は大きくえぐれている。そんな中、ゾウのような大きさのそれは頭に一本の角を生やし、四肢にもこれまた巨大な爪を宿していた。まるで漆黒の巨獣だ。
「結構危なかったわね。まさかあんなデカブツだったとはね」
よく見るとオレは花梨に抱えられていた。花梨は潰される一歩手前でオレを担いで離脱したらしい。しかし女子に抱えられるっていうのはなんとも情けなくて恥ずかしい。
「結構、力持ちなのね」
恥ずかしさをまぎらわすために花梨に言ってみる。
「……張り倒すわよ」
すみませんでした。
「とりあえずあんたは離れて。これはちょっと骨が折れそうだしね」
無言で何回も頷くオレ。あの巨体に襲われたらいくらオレの逃げ足が早くても人溜まりもないだろう。
巨大なイドは幸いまだ動きだしていない。今のうちだ。
後方へと退避するオレには目もくれず、これから戦うであろう敵を見据える花梨。目付きは真剣そのもの。そこに隙はない。
一応の安全距離まで退避したオレは花梨にわずかばかりのエールを送ってやる。
「花梨、ファイ! オ〜!」
そして右手を空にかざす花梨。
「………イグニションッ!」
大気を震わせて出現する深紅の短剣。影の化け物たちに対して絶対的な力を持つ聖なる刃。それを包んでいる赤はまるで花梨の燃え上がる闘志を体現しているかのようだ。
短剣を静かに構える花梨。それを見た一角を持つイドは遂に動きだした。
地を蹴りその巨体を文字通り突き動かすイド。しかし花梨もほぼ同時に地を蹴っていた。当然、接近してきた花梨を踏み潰そうとするイド。
「ノロマッ!」
一閃。花梨のすれ違いざまの初撃がイドを捉えた。
しかし巨大で強靭な肉体はもはやそれ自体が完全な防具であり、やすやすと傷はつけられない。現に今の攻撃でイドに与えられた傷は微々たるものだった。
だがそんなことお構い無しといった具合に再び攻撃を与えようと接近する花梨。
イドは二本の前足に生える爪を時間差をつけて交互に横に薙ぎ払う。それを花梨はまたもや華麗なステップでかわしていく。そして二撃、三撃と攻撃を加えていく。
「いくら固いと言ってもッ!」
四撃目がイドの首に届き、先ほどよりも明らかに深い傷をつける。
「首っていう弱点があるでしょ?」
グオォォォ!
イドが吼える。効いている。効いているのだ!
「よっしゃ! 勝てるぞ! 花梨ッ!」
思わず叫ぶオレ。そうだ。勝てる。あのような巨体も花梨のスピードには敵わない!
「これでッ、決める!!」
宙を舞う花梨。高い!
そして花梨は短剣に力を与える。自分の深紅の力を。それがあの刃に必殺の攻撃力をもたらすのだ。
しかしだ。宙を舞う花梨に対してイドはその鋭い角を向けた。そして吼える。
するとその角はまるでミサイルの如くイドの頭から離れ、花梨を目指して飛んだ。
「―――――ッ!!」
刹那、光が花梨を包み込む。次いで爆散。花梨に強烈な衝撃を与え、吹き飛ばす。
煙を引きながら傷だらけで空中から落ちていく花梨。
「花梨ッ!!」
オレは何も考えず走り出す。傷ついた花梨のもとへ。
しかし当然、イドも動きだす。おそらく花梨の命を奪うために。
「そんなこと、させるかッ!」
走る。ひたすら全力で花梨の落下地点を目指して。
「見つけた!!」
花梨は木に囲まれた地点に仰向けで倒れていた。
恐ろしい声を上げて爆進してくるイド。歩幅ではあっちに分があるが、距離的にはオレだ。しかも奴はオレとは違ってその巨体のせいで木が邪魔してうまくここまで通れないはずだ。
そう思ったのもつかの間。なんとイドは前進しながら眼前の大木に先ほどのように頭を向ける。すると新たな角が生み出された。そしてそれを発射。
角は見事に進路を邪魔する大木の密集地に命中し、周りの大木をもその爆発に巻き込み、まとめて吹き飛ばす。オレも少なからず爆風を受けて吹き飛んでしまう。
そしてオレは地面に激突。ゴロゴロとそのまま転がる。
身体中を強打したがなんとか生きてる。自分の位置を確認する。あと花梨までは五メートルほどの距離だ。そう思い、痛みなど忘れてすぐに立ち上がり走り出した。
「間に合えッ!」
爆進するイドもオレも花梨まであと少しの位置に来ていた。そのまま脇目もふらずに走り続ける。
オレが花梨の制服を掴んだときにはイドの両足が眼前で振り上げられていた。
「うおぉぉぉぉぉ!!!」
渾身の力を込めて花梨を引っ張って抱え上げ、自身の身体ごと地面に突っ込むような形で攻撃を回避する。派手な音をたてて地面を滑るオレと花梨。
間一髪。だがすぐに追撃の一撃がオレを襲う。
しかし、その激突の瞬間。花梨がオレを庇うように咄嗟に前に出てくる。
「花梨! 止め――――ッ」
凄まじい衝撃。全てが消し飛んでしまうようなそんな衝撃。それがオレたちを襲った。
数メートルもの距離を壊れた人形のように飛ばされて転がるオレと花梨。
「…………ぐッ、がはッ」
全く身体が動かない。痛みも酷い。身体の何ヵ所かは折れてしまっているのだろう。頭などから出血もしていた。身体から変に力が抜けていくのがわかる。どうやらオレはもはや虫の息のようだ。
「…そ、そうだ……花梨、は……?」
必死で繋ぎとめている意識の中でオレは少女を探した。
すると花梨はすぐに見つかった。なにせオレのすぐ横にいたのだ。しかしこれはマズイ。出血はオレよりも酷いのは明らかだし、当然オレと同じように骨も折ってしまっているだろう。動けないことに変わりはない。
イドは尚も迫ってきていた。オレたちの命を刈り取るために。
目の前まで来たイドは赤い眼孔を倒れているオレたちに向ける。そしてゆっくりとその前足を上げた。
こんなもんかよ。オレの人生。まぁ最後の最後は我ながらカッコよすぎたな。
そう思ったとき、イドはトドメとして前足を振り落とした。
山に地響きが響いた。
死んだのか?ここはもう天国か?
しかし痛みがまだ酷い。死んでからも痛みってあるんだな。しかもまだ血が流れて……。
血?
そうオレは生きていた。
「な、なんで…………?」
出血のせいでうまく頭が働かない。なので辺りを見てみる。酷い痛みが首に走るがしかたがない。状況が知りたいのだ。
それで気がついた。オレの前でイドを止めている者がいることを。人間だ。
ガアァァァ!
吼えるイド。何だ? これは?
驚くことにオレの目の前に立つ黒いスーツを着た青年はその右手だけでイドの攻撃を止めていた。そう、あの凄まじいまでの重量を持った一撃をだ。しかも左手はポケットに入れたままで。
オレが混乱しているとイドがもう片方の前足で青年を攻撃する。しかし。
ドンッという肉を打つような音をたてて、逆にイドの方がその巨体を浮かせて遥か彼方へと吹き飛ばされてしまう。地面に再び地響きが鳴り響いた。
「な、なんだ…………あんたは」
「気がついたか」
スーツ姿の青年は顔だけオレに向けて言った。
「せい、や。………あんたがなんで……ここに」
弱々しく言う花梨。意識が戻ったようだ。
「説明はあとだ。とりあえずあのイドを片付ける」
花梨に『せいや』と呼ばれた黒髪の青年は言う。
イドがうなり声を上げながらその巨体を起き上がらせる。
それを見た青年は地面に片膝をつけ、自分の右手で地面に触れた。そして呟く。
「……オルタナティブ」
静かな声。その刹那、青年の周りの大気が震え、花梨の荒々しい音とは違う、静かで清らかな音が辺りに響く。
そしてそれが現れる。花梨と同じ異形の力の結晶が。
現れたのは漆黒の日本刀。刃も、柄も、何もかもが黒。しかしその黒はイドの黒とは全く違う。そう、何かが違う。そう思わせる雰囲気を黒い刀は醸し出していた。
驚くオレと花梨に背を向けて青年はたった今出現した刀を手に取る。その眼前にあるのは巨大なイド。
オレとあの花梨をも瀕死に追い詰めた異形の権化。
「どうやら中々の数の同族をその腹の中に納めたようだな」
黒い巨獣に対して静かに呟く黒い青年。
「ご苦労なことだ。なんせこの一戦でそれらを全て葬ることができるのだからな。こちらにすれば都合がいい」
青年は尚も喋り続けている。オレは訳がわからなかった。どうしてそんな平然としていられるんだ? あんな化け物と対峙しているこの状況で。
そう思った。だってそうだろ。あの化け物に花梨も負けた。あの花梨が。
「どうした? 来ないならこちらから行くぞ」
そう言って歩き出す青年。あくまでもゆっくりと。
その行動に警戒したイドはまたもや吼える。そして角を発射。
迫る『角』という名のミサイル。
それが青年へと届こうとした瞬間。黒い刀が動いた。
鋼鉄を切り裂くような音を響かせてミサイルを両断する黒い力。二つに割れたミサイルは目標を失い、青年の両側を通過していき、離れた地点で爆発。
イドの能力を物ともせずにただただ前進する青年。爆発により引き起こされた炎の光を背に受けて。ただただゆっくりと。
それを見たイドは恐怖したのだろうか。咆哮のままに突撃してきた。
だがしかし、その突撃をまたもや正面から受け止める青年。今度は左手一本で。
「恐怖したやつの元に女神は舞い降りない。それは人間でも化け物でも同じこと……。残念だったな」
空間がねじ曲がる。黒い力が刀へと集まっていく。
そして青年はただ両断する。その眼に映る巨大な影の化け物を。
凄まじいイドへの攻撃の衝撃は轟音と風となってオレのところまで届いていた。
「立てるか?」
戦闘が終わった青年はオレに手を差し伸ばしながら言った。
「……無理っぽいです」
オレは正直に言った。身体は動きそうにない。精神論的にも、肉体構造的にも。
「そうか。なら花梨を車に運んだあとで君も運ぼう」
それだけ言って血だらけの花梨を抱いて何処かへ行ってしまう。
………まぁ待ってろ、ということなんだろうけど。なんだか随分マイペースな人だ。
そう思ったところでオレの意識は遠のいた。
花梨と同じ力を持つ人間。それは静かに、しかし確実に、オレの非日常をも変えていく気がした。
はいはい、第6話です。
やっとちょっと本格的な戦闘でした。しかし書いてて思ったんですが作者のボキャブラリーがあんまりないことに気がついてしまいました(笑)いやなに、皆さんに指摘される前に言ってしまおうかと。ハッハッハ。
まぁそれは置いといて。新キャラ登場です。この先いったいどうなるんでしょうか?気がついたらアイディアが独りでに溢れてきたのでいい感じです。幸輔がいうところの「……なんていうことだ」状態です(笑)
長くなりましたがこれからもよろしくお願いします。
次話更新は明日2/5です。
ではではッ。