第16話 異形なる者
月明かりの中。そいつは姿を現した。
丁度、オレの身長の倍ほどの大きさの黒い身体。一見人間のような体型をしているが、両肩から伸びる極端に長い腕のおかげでやたらと不恰好な姿に見える。明らかに身体と腕の長さの比率が合っていない。まぁ人間だったらばの話なんだが。
そして何よりも、黄金色の三つの眼光。その内の二つが頭に。そして残る一つが胴体の中心部、人間で言えば鳩尾の辺りに付いている。ギョロギョロと蠢く三つの黄金の目玉が、見た者に化け物じみた印象と恐怖を与える。
オレは思わず後退った。なんだか知らんがやけにおっかない姿をしてやがる。素直に怖い。なのでオレはなるべく静かに、しかし急いで自分の後方に設置されていたジャングルジムの後ろに隠れる。些か心もとないが、何もしないで突っ立っているよりは安全だろう。
「が、がんばれ花梨」
そうして小さい声で花梨のやつを応援してやる。花梨は「当然でしょ」と答えながら三つ眼のイドを睨んでいる。
花梨の手にはまだ先の『アクエリエス』のペットボトルが握られていた。花梨はおもむろにそれから手を離す。
ペットボトルがゆっくりと地面に落ちていく……。
それが土に触れた瞬間、戦闘は始まった。
先手必勝。花梨は三つ眼に急接近する。するとその進路を断つように、三つ眼が自身の長い両腕を勢いよく地面に叩きつける。砂煙が派手に舞った。それと同時にオレは花梨の姿を見失う。それはヤツも同じようで、三つ眼は花梨を探してるのか、その瞳を様々な方向へと忙しなく動かしていた。
「……イグニション!」
その声でオレは気付いた。上だ!
花梨は三つ眼の上空でその力を解放していた。生身の人間では決して届かない高さの空中で、一人の少女が赤い風を巻き上がらせている。そして出現した『深紅の短剣』を掴み、重量のままに再び地上へと突き進む。
轟音。化け物の攻撃以上の砂煙を落下地点に立ち上らせ突進した花梨。そしてすぐさまバク宙を決めながら砂煙の外へと出てくる。それを追って三つ眼が片腕による鋭い攻撃を繰り出す。それを短剣で横にいなす花梨。次いで今度は花梨が相手の胴体部を刃で切りつけようとする。しかし三つ眼はそれをもう片方の腕で防いだ。瞬間、両者は同時に後ろへと跳躍して一先ず距離をとる。
花梨に怪我はなし。しかしながら三つ眼にも大した損傷は見られない。あるとすれば最初の一撃目によってついたであろう肩の傷だけ。
「……硬いわね」
花梨が静かに呟く。それはオレも三つ眼が『深紅の短剣』を腕だけで防いだ辺りでわかった。今日の相手は強敵だ、と。
『……オマエ……カ?』
その時、しわがれた老人のような聞き取りづらい声が聞こえた。オレは一瞬その声を発したのが誰だかわからなかった。だがしかし、その声は三つ眼が花梨に対して言ったものだった。その証拠にヤツは今、花梨に指をさしている。
その事実を認識したオレは仰天した。それは花梨も同じようだ。
「……驚いた。最近のイドは喋ったりもするのね」
そんな冗談みたいな軽口を三つ眼に向かってたたく花梨。しかしその表情は軽口をたたく雰囲気のものではない。真剣そのものだ。それもその筈だ。イドが喋るなどあり得ないのだから。
『……シャベル? ソウ、……セイカイ』
嫌に聞き取りづらい声でまたもや応答する三つ眼。どうやら花梨の言葉を理解しているようだ。
『……オマエ……カ?』
そして再び最初と同じ質問をする。しかしオレにはヤツがいったい何を言いたいのかよくわからない。
「あんた、意味不明よ! イドのくせに喋ったり、戦闘中断させたり、いったいなんなのよ!?」
花梨は警戒しながらもそう問う。
『……イミ……フメイ? 我ニハ……ナイ。我……イド……ヒテイ』
そうしてる間に三つ眼の身体の損傷部は瞬く間に癒えていった。あれはもしかして再生能力ってやつか? 正確にはわからないが、もしそうなら厄介そうな敵だ。
「あぁ、もうわかんないっ! 考えるの終わり! かかってくるならさっさと来なさいよ!!」
意味がわからない事態に思考するのをやめた花梨は三つ眼にそう言い放った。そして自身の持つ短剣を強く握る。そこでまたもや三つ眼が喋った。
『……オマエ……イニシェーター……カ?』
相変わらず聞き取りづらいが、どうやら三つ眼は花梨に「お前はイニシェーターか?」と聞いているようだ。花梨もそれを理解したのか、短剣を構えたままで答えた。
「そうよ! それがいったい何!?」
『………ソウ……カ』
途端、その場の空気が変わった。まるで三つ眼の身体から何か禍々(まがまが)しいものが放出されたような……そんな感覚だ。それを感じた瞬間、オレの手足が震え、汗が噴き出す。
なんだ? この感じは……。
その焦りとも恐怖ともとれない感覚は明らかにオレに危険信号を発していた。そんなことは考えなくてもわかった。
「花梨! 気を付け――」
オレが言い終わるよりも遥かに速く三つ眼は花梨の方へと接近していた。
金属音を鳴らして花梨は長い両腕により放たれた初撃を短剣で受け止める。しかしだ。
『オアアアアアアア』
恐ろしい雄叫びをあげながら三つ眼はさらに自らの両腕に力を籠める。それにより次第に後方へと押されていく花梨。
「こんな、ぐらいッ!!」
花梨は押してくる三つ眼の腕を半ば無理やり下に逸らす。すると腕に大きな力を籠めていた三つ眼は力を下方へと向けられたことで前のめり状態になってしまう。花梨はすかさず三つ眼の肩の上を通るように跳躍。そしてすれ違い様に短剣で首を切りつけた。
ある程度の距離を空けて着地する花梨。これだけの行動で息一つ乱れていない。さすがは花梨だ。
「戦法はただの力押しだけ? それじゃ、あたしには勝てないわよッ!?」
そう言って三つ眼に再び接近。それを見て、両腕を大きく横に凪ぎ払う三つ眼。しかし花梨はそれをギリギリのところでしゃがんでやり過ごす。
「……終わりよ!」
刹那、『深紅の短剣』が赤く煌めく。花梨は必殺の剣と化したその深紅の刃をしゃがんだ状態から右斜め上に向かって一気に切り上げた。
必殺の一撃は轟音を撒き散らしながら真っ赤な軌跡をイドの身体に刻み付ける。その凄まじいまでの威力により右肩もろとも頭を吹き飛ばされた三つ眼の身体は宙を舞ってから地面へと落下した。
「ふぅ……」
思わずオレは安堵のため息をついた。花梨が強いことはわかっているのだが、どうしてもヒヤヒヤしてしまう。まぁ勝てたんだからよかった。
「お〜い、怪我はないかぁ?」
花梨とは少し距離があいているのでオレは少し大きい声を出して聞いた。
『……フセイカイ』
「なっ!?」
オレは驚愕した。なんとオレの質問に答えたのは花梨ではなく、倒れたままの三つ眼だったのだ。
『……ソンショウ……ソンショウ……』
なにやら呟く三つ眼。頭がないため、何処から声を出しているのかわからない。かなり不気味だ。
その時、三つ眼が再生を始めた。潰れた右肩から腕が気持ち悪い音をだしながら生えようとしている。
そこで花梨が動いた。横たわったままの三つ眼に向かうため、地面を蹴る。そして『深紅の短剣』を未だ死んでいない相手の胸を狙って振り下ろした。今日三度目の砂煙が舞う。僅かな沈黙のあと、金属音が響いた。
「ちッ!」
花梨が跳躍で煙から逃れ出てくる。見ると、その左頬には切り傷がついていて血が滲んでいた。どうやら攻撃を受けてしまったらしい。オレが花梨に声を掛けようとした瞬間、風が砂煙を晴らし、異形が再びその姿を現した。
「なんだよ……あれ」
オレは思わず呟いてしまう。何故ならば、砂煙の中から現れた異形はその姿を大きく変えていたからだ。
『……オマエハ……ショウキョ……ショウキョ、スル』
そう言い放つ三つ眼。いや、正確にはもう三つ眼ではなかった。
花梨の攻撃によって失った右肩は再生していたが、頭はどういうわけか再生されておらず、結果瞳は胸にある一つのみ。しかしオレが驚いたのはそこではない。
ヤツの背中からは新たに三本の鋭い槍状の触手、両肩上部には短くいくつもの角が生え、両腕の先端部もまるでナタの刃ように鋭く変化していたのだ。
その姿は先ほどよりも更に恐怖的で、何よりも戦闘に特化した形状になっていた。
三つ眼、もとい一つ眼はその五つに増えた刃を構えた。胸の黄金色に輝く瞳が花梨を不気味に睨んでいる。それを見た花梨は左頬の傷から出た血を手の甲で拭ってから、相手と同じように短剣を構える。
「今までは本気じゃなかったってこと?」
花梨が一つ眼にそう問う。
『……セイカイ』
「なら、ダッサイわね。あんた」
『……? 我……リカイ……フノウ』
花梨の言葉に対して理解不能の意を表す一つ眼。すると花梨はそれに静かに答えた。
「余裕と見てた相手に本気を出させられるなんて、無様だって言ってるのよ。……まぁ、そんなことはもういいわ」
花梨が短剣の柄をさらに強く握り締める。
「速攻で、終わらしてあげるッ」
花梨の足が土を散らし、その身体を一気に前進させる。
第二幕が、始まった。