第15話 変遷の前兆
音が聞こえる。
耳の中に響くような……、そんな音。
オレは今、深い闇の中……。
ここはどこだ?
しかし、深いまどろみは徐々にそのやかましく鳴り響く音の所為で深海から浅瀬へとオレを誘う。オレの深いまどろみを解く音……。
それは……。
「要するに目覚ましだろ!」
オレはそう言ってベット横に置いてある目覚まし時計の頭にチョップをかました。ジリリリリ、といった具合に鳴り響いていた音はそれによって瞬時に止む。オレは本日最初の大きな欠伸をした。そして右手でまだ起きてない目を擦りながら呟く。
「眠いな……」
まぁいつものことだが。というかオレは誰にツッコんだんだ? そこまで考えてから、やっと時計の時刻に目をやる。
現在午前8時25分。
……遅刻だ。途端、オレはすぐさまベットから跳ね起きて自分の部屋から出る。次いでそのままの勢いで階段をかけ降りる。リビングに着くと母さんがのほほんとテレビを見ていた。オレは食パンをトースターに乱暴に突っ込みながら母さんに問う。
「なんで起こしてくれないんだよ!?」
「え? もうそんな時間?」
その答えを聞きながら制服に着替えるオレ。もとはといえば起きないのはオレの責任なのだが、そんなこと今は言いっこなしだ。
そうして五分後には制服姿で焼き上がったパンにかじりつくオレ。よく世間には遅刻するからと言って朝ご飯を食べない輩がいるが、それはいけない。そもそも一日の生活はこの朝ご飯を食べないことには始まらないのだ。それに食べたやつと食べないやつとできっと頭の回転も違ってくるだろう。つまりオレは朝ご飯を食べることにより学生の本分たる勉学を密かにサポートしているのだ。だから朝ご飯はゆっくりと味わって食べなければいけない。それが賢いやり方なのだ!
オレはそんな言い訳じみた考えを頭の中で巡らせながらパンをかじり続ける。というかもう急ぐ必要はない。どうせもう確実に遅刻だ。アウトだ。試合終了だ。
もしかしたら間に合うかもしれないというオレの一縷の希望は時計の指し示す現在時刻が綺麗さっぱりと消し去ってくれた。これはもう開き直るしかない。しかしそうは言ってもオレは遅刻日数がなかなか多くてピンチだったような気もする。……どうしよう。
オレが悩んでる間も母さんは熱心にニュースを見ている。母さんがやけに熱心なのでオレも考えるのをやめておもむろにテレビの方を見た。
「昨夜未明、ここ、静かな住宅街で変死体が発見されました」
「まぁ、変死体ですって。最近はなんだか物騒ねぇ」
ニュースを聞いてそう呟く母さん。30代前半に見える地味な顔の現地リポーターが画面内でマイクを片手にさらに続ける。
「死体は発見当初ほとんどの原形を留めておらず、発見者も最初は何かわからなかったとのことです。少し前から近くに住む木村洋平さんが行方不明なことから、この死体は木村さんのものではないかと警察は考えており、事件の可能性もあると見て引続き捜索中です。他にも現場には――」
何か猟奇的な事件が起こったらしい。……確かに物騒な話だ。
オレは食パンの最後の一切れをお茶と一緒に喉に流し込みながら被害者の人に心ばかりの黙祷を捧げた。そしてカバンを持って玄関のドアを開けたのだった。
「まったくもってわからない!」
「……何がだよ」
――昼休み。和正の意味不明な言葉に疑問を持ったオレはそう聞いた。
「お前にはわからねぇのか!?」
「おう。まったくわからん」
そりゃそうだ。まず話の内容がわからねぇ。
「俺は今、猛烈に憤慨しているんだよ!」
「だから何に?」
「決まってんだろ! アレだよ!!」
そう言って和正はオレたちが今いる教室に取り付けられている黒板を指さした。黒板には『吉田25票、美倉4票、無効6票』と白いチョークで、でかでかと書かれていた。
「なんで組長が俺じゃねぇんだよ!?」
天に向かって絶叫する和正。まぁ当然の結果だろう。オレはそう思った。
夏の暑苦しさも何処へやら、10月に入り、季節はだんだん秋に差し掛かっている。といってもまだまだ全然涼しくはないんだが。それはともかくとして、オレたちが通っている高校では二つのビックイベントの開催日が近づいていた。
そう。みんな大好き、文化祭と体育祭だ。
毎年、10月の中旬、つまりあと二週間ほどでそれら二つを一気にやってしまい、全校生徒の気が緩んでいる時にすぐさま中間テストというコンボが待っているのだ。テストの時期を考えると、この学校の教師たちの根性の悪さがそこに滲み出てきているのがよくわかる。
そんな訳でこの時期は恒例のリーダー役が決められることになっている。一般に三年生の『団長』が全ての司令塔になるのだが、オレたちの学校ではそれの他に『組長』という一、二年生の各クラスでのリーダーも選出されることになっている。この職務は『団長』の細かい指示を円滑に伝えるパイプ役となったり、それぞれでの団結のしやすさなどの理由からできたらしい。決して『怖い人たちの頭』という意味ではないのであしからず。
つまり今黒板に書かれているのはついさっき行われた『組長』を決めるクラス投票の結果なのである。まぁ和正にしてみれば惨敗という訳である。ちなみに相手の吉田くんはバスケ部のエースの座を獲得してる好青年でなかなかのイケメンなのだ。
「なんでなんだあ!?」
再び絶叫する和正。それを見たクラスの女子数人が笑っている。なのでオレも笑ってやった。
「笑いごとじゃねぇ! つかお前どっちに入れた!? まさか吉田のやつに入れてねぇだろうな〜!?」
和正が笑うオレの制服の襟を掴んで激しく揺すりながら問う。
「いやいや、オレは二人の名前を両方わざと書いて、無効票に1票くれてやったぜ?」
オレは半笑いでそう答える。
「こ、この裏切り者ぉ!!」
「いやいや、なんでだよ」
和正は半ば突き放すようにしてオレの襟から手を離す。そして両手で頭を抱えた。
「くそっ、なんてこった。俺の『組長になって女子高生選り取り見取大作戦』がこんな形で破綻するとわ……」
こいつはいつもいつも動機が些か不純すぎると思う。つか選り取り見取ってどんな状態だよ。ハーレムか? お前はハーレムを作ろうとしていたのか?
「おのれ……! 吉田のやつめッ!」
そして逆恨み。最悪である。吉田くんにしてみれば堪ったもんではない。
「まぁまぁ、組長なんて大変なだけだって。オレたちはイベントを楽しめたらいいじゃん」
オレはさりげなくそうフォローしてやる。
「……まぁそうかもな。……しっかしこんな僅差で吉田なんかに負けるとはな。くそっ、マジで納得いかねぇ」
それを聞いてオレはもう一度黒板の方を見る。
『吉田25票、美倉4票、無効6票』
…………僅差?
見たところ無効票にも負けてるんだが……。
そんなこんなでオレたちの高校は文化祭と体育祭の準備期間に入ろうとしていた。
「ところで花梨の学校は文化祭いつなんだ?」
そして夜。季節が秋に近付いたことで前よりも幾分早く日が落ちるようになっていた。今の時刻、外はもう真っ暗だ。なので当然、オレたちが今いる場所も街灯以外の光源は頭上の月明かりくらいだ。
「ん〜、どうだったっけ。10月中旬じゃない?」
オレの問いにそう答える花梨。イド退治の後、オレたちは町外れの小さい公園にいた。月明かりがブランコを青白く照らしている。二つあるブランコの内の一つに花梨が乗り、オレはブランコの周りに設置された金属の囲いのようなものに腰掛けていた。
「同じ時期かよ。そいじゃそっちに行くのは無理っぽいか〜」
「なんで女子高の文化祭に呼ばれてもいない男子校生が来んのよ」
「え? オレのこと呼ばねぇの?」
「当たり前。呼ぶわけないでしょ!」
花梨はキッパリと断った。即答である。
「そ、そこをなんとか……」
「ドリンク……無くなったわよ」
そう言って空になった『アクエリエス』のペットボトルをおもむろに差し出す花梨。つまりは捨ててこいということだろう。しかし、オレは行かない。何故ならオレは今、交換材料を持っているからだ。
「じゃあこれ捨ててきてやるからお前のとこの文化祭に誘ってくれ!」
両手を胸の前で合わせながらそう懇願するオレ。
「却下」
「いや、そんなこと言わずに……」
「却下!」
「お代官さま……」
「却下!!」
「どうかご慈悲を……」
「却下ッ!!」
そんなに拒否しなくてもいいんじゃないか? 思わずそう思ってしまった。しかししかし、禁断の花園の為ならばオレは負けないぜ。ファイトだ。花梨を説得だ!
「じゃあさ……」
オレが再び口を開いた瞬間。花梨の目付きが急に鋭くなった。そしてブランコから立ち上がり、右足を少し後ろへと下げる。どうやら花梨は蹴りの臨戦態勢に入っているようだ。なんだか知らんがマズイ。そんなに誘うのが嫌なのだろうか?
「わ、わかった。この件はなしの方向で――ぐぁッ!」
そして見事に蹴られた。花梨の強烈な一撃が腹部にヒット。オレは身体ごと吹っ飛んで地面に転がってしまう。思わず、この暴力女! と言いそうになった。いきなり何の理由もなしに蹴られたと思ったからだ。しかしそれはオレの思い違いだった。
見るとオレがいた地点に例の如く、空間の歪みが出来ていた。そう、イドである。もう少しオレがあそこにいたら怪我を負っていたかもしれない。それを花梨は助けてくれたのだ。……たぶん。
「もうっ! 最近多いわね!」
花梨は少し苛立っているようだ。まぁ出現回数が多いのは事実だし仕方がない。
そんな時。夜の小さな公園にできた闇の歪みからそいつは出現した。余波により風が巻き起こる。
例の如く黒い身体と赤い目、……いや、違う!?
そいつは出現した。黒い大きな身体。そして、黄金色に輝く眼をその身に宿して。