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存在し続けるということ

作者: 侑

 世の中に存在しているものは全て作品ではなかろうか。マンション、公園とそこで早朝から行われている野球、電車、駅そしてこのような風景そのもの…。全てわれわれが作り出した芸術作品である。

思えば2009年4月にまたもや劇的なターニングポイントが訪れた。私は生まれも育ちも新宿区でありいわゆる都会っ子となる。そんな私が群馬大学に入学する事になったのだ。青天の霹靂だった。そんなわけもあり、4月になっても相当な焦燥感、不安に駆られていた。

 私は高校の途中から陸上をやっていた。長距離を走るのは本当に楽しい。身体上の理由もあり、私が唯一極め続けているスポーツだ。しかし私は様々な問題により大学では部に所属したかたちではやれなかった。そのことに後悔は大きいが、大学生活を終えて振り返ると幼い頃に良き指導者や理解者に出会っておけばランニング漬けの毎日となり、箱根駅伝やオリンピックなどの檜舞台への憧れは現実的になったかもしれない。でも受験勉強のようにランニングの楽しさを忘れさせてしまったに違いない。それでもただ楽しいだけで走るというわけにはいかず、成人になってからはランニングへのモチベーション低下は避けられず競技会の事ばかり考えがちであるが、本文の結論に書かれている授業で得られた走った思い出と人生への生かし方又は残すという観点を忘れずに今後も体を動かしたいと思う。

 よって必然的に毎日一人で練習し続けて速く走れる為の練習プランもひたすら考えるしかなかったわけだがそんな過去から気が付くのは、一人だとただひたすら決めた距離を全力で駆け抜けるばかりになってしまう事である。無論楽しい気持ちになれなかったが、当時は不思議と私は走る事を止めなかった。自分への唯一の清涼剤だったのだ。そう「ジョギング・マラソン」のオリエンテーションで山西先生の講話を聴くまでは。山西先生の走る事への見方には正直驚きを隠せなかった。「景色を楽しみながら走れ。ゆっくり楽しみながら走れ。人が走るのは走りたいと思うからだ…」正に私が気づかなかった走る事への未知なる世界観がそこにあった。

 5月頃から本格的な練習が始まった。陸上競技場とは別にキャンパス内を一周できるマラソンコース(遊歩道)も走った。遊歩道は松やクヌギ等の木々に囲まれていた。ここはまるで一面に敷かれたスポンジの上にいるような感触を醸し出していた。このマラソンコースを走った後、私の知っている疲労感は皆無であった。長距離を走った訳ではなかったが不思議な感覚にとらわれていた。心から走るのが楽しいと感じた瞬間でもあった。

 6月からは12分間走の結果から70%もしくは80%の力で走った場合でのタイムを割り出し、そのタイムで走る練習を行うようになった。私はそれまで自己ベストのタイムで走る練習を続けていた。しかしこれが伸び悩む最大の原因だったのだ。走る速さはすぐには速くなるものではないのにタイムばかり気になってしまい、焦りを生み、結果としてやる気が空回りする。そして体にはペース配分という野生の勘も身に付かず無駄骨になっていたという事である。ゆっくり長い距離を走り続ける事が最重要ポイントであるのだ。又この頃から心の動揺もだいぶ和ぎ、日曜日には長距離を走るようになった。ずっと自分なりに基礎体力不足に注目した、長い時間走る練習以外はし続けていたので意識しなくても脚が前に 自ずと出ていくような感覚になっていた。だからもっと先まで走りたいとい う気持ちになったのである。どんどん距離を延ばし、7月上旬には自宅から埼玉県川口市や戸田市まで走った。知らない所に行きたいという強い欲求が私を後押しさせたのであろう。だが常に走り続けてはなく、帰りはほとんど歩いてしまっていた。

 夏休みになった。私は陸上に関する本等を生かして、この暑い時期こそ特に走り込むようにしようと計画していた。皇居の周りを走る事にした。ところが皇居にたどり着くまでに一苦労した。人が多く、狭い歩道が約6㎞も続くのだから。しかしこの経験はレース本番で役立ったのだ。大勢の人を縫って走る時に。

 さて最近のマラソンブームの影響なのか皇居の周りではどの時間帯でも年齢関係なく多くの人が走っていた。個人的に走る上でそういう環境に遭遇したのはあまりなかっただろう。かなりの刺激があった。ゴールのないマラソンをやっている感じになったのだ。レースではないので人は皆同じ距離を走る訳ではない。結局自分との闘いをする事になったのである。人との競争がありそうで全く感じられない、そんな環境であった。焦りやすい自身のメンタル面が随分と成長した。夏休み中は大学では2回練習したがその時に実感した。持久力は県民マラソン当日よりも至らなかったもののとにかく自分のペースで走れていたのである。

 10月になった。新学期の翌日にいきなり練習があった。この日は雨が降っていてコンディションも悪い中練習を強行した。私の心も天気とさほど変わらなかった。しかし走る時、気持ちの切り替えが完全に出来ている自分がいた。10月中は全員そろって練習出来なかったのは残念だった。こうして全体で走る本格的な練習自体はほぼ終了した。

 10月24日、スタート地点である正田醤油スタジアムからマラソンの下見に行った。スタジアムへの集合時間は8時15分であった。ここで新たな不安が生まれていた。果たして当日間に合うのだろうかと。11月3日は絶対にバスが混み乗れず、前橋駅から正田醤油スタジアムに行くのは不可能だとも考えていた。だから群馬総社駅から歩いて行こうと考えた。当日を想定して気を引き締めていた。時間との闘いのプロローグである。電車にトラブルもなく群馬総社駅に到着し、予め用意していた地図を見ながら正田醤油スタジアムへと歩を進めた。途中仲間と遭遇し、一緒に行動出来たから良かったが定刻には間に合わなかった。それから皆で走るコースの重要なポイントだけを回り解散した。

 県民マラソンを明後日に控えた日曜日に私は実践を踏まえて、軽く20㎞くらい走って体を慣らしておこうと考えた。しかし何と20㎞も走れなかったのである。体も気持ちも下降線をたどった。不思議でしょうがなかった。思わず「どうして!?」と自分自身に問い質した。そこでもう一人の自分が出した答えはこれである。

 「無心になれ!!本番少し前の失敗こそが最大の課題だ」

 そう力がついていないのではないのである。何事も最終的には気持ちが影響させるのである。この教訓をプラスに解釈した。本番前日を迎えた。私は前日も当日も時間の関係上ゼッケンを受け取れなかった。だから前もってある友人に頼み、私の代わりに行ってもらう事にした。それで余裕を持って明日の準備が出来た。更に父親が車で翌日私を連れて行く事にもなった。このような気遣いに本当に感謝している。しかしこの時点で100%の状態ではなかった…。

 ついに当日を迎えた。落ち着かないまま出発の準備を始めた。外は真っ暗で太陽が姿を見せる気配は全く感じられなかった。しかも寒波の影響なのかこの時期とは思えない寒さであった。又ここ3日ほど便秘の事が気になっていた。不安になるくらいではなかったが頭の片隅には残り続けてはいた。練馬インターに着く頃空は明るくなってきた。朝ごはんを食べ始め、食後に胃薬を服用した。高速道路の渋滞はなく前橋インターに予定時刻より早く着いた。天気は快晴であり、上毛三山もはっきりと視界にとらえられた。同時に気持ちに余裕も出てきた。だがここからだった。大渡橋から車が数珠つなぎだったのだ。結局駐車場に行く前に公園の入り口辺りで車から降り、両親と別れた。そこから集合場所へと歩き始めた。その途中に便秘が治り、気持ちが一段と楽になった。15分ほど早くだったであろうか、集合場所にたどり着いた。

 本番10分前になった。出席確認を終え、私を含め皆スタート地点に向かう。しかし既に長蛇の列が出来ていた。そのほぼ最後尾からスタートする事になった。いよいよレースが始まった…がなかなか前に進めない。2分くらいたってからようやく走れる状況になった。すると母親の声が聞こえてきた。「もっと前に!前に!!」実は後で分かったのだが、速く走りたい人は横から入り込んで前に進めたらしい。それ でも私に焦りはなかった。私はとにかく前にいるランナーを抜かしていった。意図的にではなく自ずとそうなった。今回はレース中チェックポイント等に全く気にもならなかった。だが途中にあった給水ポイントで水をうまく取れずに飲めなかった。それでも完全に自分の世界の中に入り込んでいて、まるで他人事かのように思えていた。初の公認レースがマラソンでなく駅伝のようであった。走るにつれ楽しくなってきたぐらいだった。最後の2㎞は精神的にきつかった。利根川沿いを走るのだがアップダウンや辺りの風景にあまり変化がなかったからである。往路とは全然違った。その時から初めて周りの人を意識し始めたように思える。最後までモチベーションを下げず、オーバーペースにはならなかった。結局最後まで一度も抜かされる事はなかった。タイムは1時間36分2秒、順位は407位であった。自分の力を最大限に発揮したが、まだまだ上には上がいる。これからも授業の一部始終を忘れずにより一層トレーニングを続ける。

 今回この授業を通してマラソンについて考え直す事が出来た。そこで気付いたのは冒頭に挙げたように全ての物事は作品ではないかという事である。作品というものはどんなものも終わりがある。例えば小説、映画の話は最終的に終わってしまう。建築物、建造物は出来上がってしまえばもう後は傷つきなくなっていくものだ。生き物はいつか死ぬ。スポーツ(マラソン)も競技自体をやっているのはほんの一時である。大会等は受け継がれてはいるが、毎回限られた期間しかないだろう。以上を踏まえて私は全てを作品と見なした。更に決して存在自体は無くなる事はなく、常に発展しているとした。死んだり、壊れたり、又は時が経つにつれて世間的には忘れられたりしていても…。なぜなら誰かがそれらを覚えていて生かし、違う形に変化していたりするから。似て非なるものになっているかも知れない。同様に今回の私の県民マラソンを走った記録及びレース前の記憶も自分すらいつか忘れてしまうかもしれない。でも人生の中で何かに生きそしてどこかに潜んでいくに違いない。私自身と関わる事でたとえ形として見えるものでも残り続ける確率は極めて低いが…。ただこの地球上は古人が耕してきた精神の大地そのものである。これからは宇宙空間にも広がっていくのだろう。その精神自体は変わらずに…。私も皆も日々何かを求めつつ、いつかはなるその古人の事を考え、人生を歩みたい。







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