60. モヤモヤ
「っ——!」
アレシュがヴィアを突き飛ばす。彼女が炎の軌道から外れたことにホッと息を吐き出し、振り返った彼の目の前にはもう炎が迫っていた。
両手をクロスさせて顔を庇った彼はそのまま炎に包まれる。
学院に入ったばかりの少女が感情に任せて放った魔法。そんなものがうまく制御できているはずもなく、テーブルの上のパイを目掛けて放たれたはずの炎は、彼を丸ごと飲み込んでしまった——
「うそ……アレシュ君っ!」
「——あ〝ぁっ!」
炎の中からは呻き声。
「あっ…そんなつもり…」
直撃した炎の塊は次第に勢いをなくし、燃えかすから立ち昇る煙を残して消えていった。炎が引いて再び現れたアレシュ君は、気が抜けようにズルズルと崩折れる。
「アレシュ君!アレシュ君っ!」
「だっ、い…じょぶ。僕の属性も火だから…」
しゃがみこんだままじっと動かない彼に駆け寄って、思わず目を背ける。炎を受け止めた両腕の制服はすっかり焼け焦げていて、中から覗く肌は真っ赤に腫れ上がって痛々しい——
咄嗟に魔法を使って防御をしたおかげで大事には至らなかった。けれど、アレシュ君は生まれ持った魔力量が少ない。彼が精一杯の魔法を使っても、貴族令嬢の炎を抑え切ることはできなかったみたいだ…
「あっ…アレシュ君、腕が…っ」
こんなに真っ赤になって。防御が間に合わなかったら、命だって危なかったかもしれない。私を庇ってアレシュ君が…
(死んでしまう…ところだった——?)
「ヴィア、ちゃん…泣か、ないで?ぐっ——」
「だって…アレじゅぐんが…」
(どうしよう?どうしよう!?アレシュ君、すごく辛そう…水!水だよね!?早く冷やさないと…)
ドクンドクンと心臓が変な音を立てていて——焦ってる、焦って…集中できない。さっきの令嬢みたいに自分も制御を誤ってしまったら? 傷ついたアレシュ君に、暴走した水魔法を向けてしまっては大変!そう思うと、魔法を使うのが怖くて仕方ない。
「何があったのですか?——え、アレシュ君っ?!その腕…」
温室から見えた火の手に駆けつけたアレナ様が、アレシュ君の腕を見て口元を抑える。
ボロボロと泣くヴィアの横で、真っ赤な腕を庇うようにしゃがみ込んだ彼。相当辛いのだろう、ぐっと唇を噛み締めたまま冷や汗をかいている。彼の制服はボロボロで、髪の毛の先も少し焦げ付いている。
彼の後ろのテーブルには焼け焦げた跡がしっかりと付いており、向かい側には唖然としたままの緑のネクタイをした令嬢たち。
何が起こったのかは大体わかる。アレナ様はすぐに新入生たちとの間に障壁を張った。動転した令嬢にこれ以上何かされては困るから。
「ヴィアさん落ち着いて。すぐにリーデさんもいらっしゃるわ。光魔法で癒せば大丈夫。だから、応急処置をしましょう?」
「アレナさま…」
「大丈夫。私と一緒にやってみましょう。まずは小さな水球を作れるかしら?大きさは両腕で抱えられるくらい」
アレナ様が私の背を励ますように撫でてくれる。彼女に指示されたことだけを思い浮かべて、水球を作り出した。
「そう、上手よ。その調子。ヴィアさんは癒しの魔法を使ったことは?」
「少しだけ。」
「それじゃあ、今浮かべた水がお薬になるようなイメージで、少し魔力を込めてみましょう?」
(え…?)
光属性ほど強力ではないけれど、水属性にも癒し系の魔法がいくつかある。その中でもヴィアが使ったことがあるのは初級の魔法。火傷を治すなんて無理だし、今作った水の性質を変えるなんて応用はやったことがない。
「大丈夫ですよ、ヴィアさん。無理に習った通りの魔法を使おうとしなくて良いの。魔法って人の願いから生まれたものでしょう? だからね、痛みが和らぎますようにと、今の気持ちを込めるの。そうすれば、何もしないよりずっと良くなりますよ」
アレナ様は、またパニックになりそうになった私を安心させるように励ましてから、アレシュ君の腕を取り、ゆっくりと水球の中へ導く。
(アレシュ君の火傷の痛みが治りますように…)
少しでも楽になるようにと願いながら、目の前の水球に魔力を注ぐ。ゆっくり、優しく——
「——っ!……はぁ〜」
火傷に水が触れた瞬間、ビクッと体を震わせたアレシュ君。しっかり腕が水に包まれる頃には眉間のシワも緩まり、はぁ〜と息を吐く。
「…どうかしら?」
「はい、痛みが落ち着いてかなり楽です。ヴィアちゃん、ありがとう」
「はぁ〜よかった!」
「ヴィアさん、よくできましたね。このまま、もう少しがんばりましょう」
アレナ様が頭を撫でて褒めてくれる。
「アレナ様のおかげです。私、動転してしまって……」
「びっくりしたわよね…しかたないわ」
「アレナ様はとても冷静でしたね、驚きました」
アレシュ君が感心したように言う。私も驚いた。アレナ様は荒事とは対極にいるようなイメージを持っていたから。
「冷静に、見えましたか? 実際はとても驚いていたんですよ? でもそうですね、演習で怪我をする生徒もいますから、2人よりは見慣れているかもしれません。…それに、グスタフ様の…ザイーツ家は武門の家系ですから…」
ザイーツ家に嫁いだ時に困らぬように、応急手当ての仕方は一通り習ったことがあるのだそうだ。アレナ様、グスタフ君のために頑張ったのかな?
そう思って聞くと、少し恥ずかしそう目線を下げたアレナ様——
(グスタフ君、愛されてるね…)
アレナ様のおかげで応急手当てをすることが出来た。このままリーデちゃんが来てくれれば大丈夫!逸る気持ちが落ち着き、緊張が解けてゆく——
「——いのよ」
(……?)
ぼそりと、呟きが聞こえて振り返る。アレシュ君に、怪我をさせた子——
「そこの平民が悪いのよっ!!」
「え——?」
何を言っているのだろうか、この子は。
「卑しい事をしているのに堂々とお茶会だなんてしようとするから!」
「私の友人達の、何が卑しいというのです?」
アレナ様が堅い声で詰問する。
「貴方、この平民が友達だって言うの?伯爵家の令嬢として恥ずかしくないのかしら? そこの平民たちは、盗んだ茶器でお茶をしようとしていたのよ!卑しい以外のなんだというの!その上私の言うことに楯突いて…」
(…そうだった。この子は盗んだと勘違いしたままだった…)
「盗んだ?ティーセットの事を言っているなら私が持ち込んだのですけど——え…アレシュ君!?」
言い返そうとアレナ様が声を出すより早く、リーデちゃんが割って入る。そしてアレシュ君の怪我に気づいて顔色を変えた。
「リーデちゃん!お願い…」
頼むまでもなくリーデちゃんが癒しの魔法をかけてくれる。王国屈指の光魔法の使い手であるリーデちゃんの治療を受けて、アレシュ君の酷い火傷はみるみると消えていった。
なのに…私の胸の奥ではモヤモヤしたものがくすぶって…だんだんと膨れあがってゆく——
(平民だったらいけないの? 全然信じてもらえなくて。こんな——こんな…簡単に傷つけられてしまうの?)
目の前のこの子が自分のした事に驚いていることは、わかってる。ここまでするつもりじゃなかったことも。引けなくなってることだって。
でも、手を振り降ろしたときこの子は……
「どうして…笑いながら人を傷つけられるの…?」
「口答えばかりするからよっ!」
「だからって! なんであんな危険な魔法を使ったの? なんで…笑えるの!?」
「ヴィア……」
笑ってた——少なくとも私たちの心が傷つく事はわかっていたはずなのに。傷つく姿を思い浮かべて、笑っていたんだ。
『貴族様ってのは気位が高いのが多い。嫌な思いをすることもあると思うが、それでも行きたいかい?』
初めて魔法学院の事を教えてくれたおじさんの言葉を思い出した。ギルお爺さんにも学院での『平等』が言葉通りではないと教えられた。
理解していたはずだ、身分の差があるんだって。嫌な思いをする事があるものなんだって。
(なのに…こんなにも嫌な気持ちになるなんて…)
昨年、課外授業でグスタフ君に攻撃された時は、ここまでモヤモヤした気持ちにならなかった——今、やっとわかった。グスタフ君は違ったんだと。
彼は不機嫌な顔をしていた。平民だと私をあざ笑う顔は、どこか苦しそうに歪んでいた。
でも、この子はそうじゃなかった——
これが、貴族至上主義者というやつなんだろう…平民は、私たちは人ですらないのかもしれない。
(…平和ボケ、していたのかな…みんな優しいから…)
アレシュ君がもういいんだよと言ってくれても、気持ちが落ち着かなかった。また込み上げそうになる涙を抑えようと目を瞑る。モヤモヤが消えてくれなくて。そんな今の自分も、嫌だった…
フワッと風が髪を揺らす。顔に掛かった横髪を耳に掛けてようと手を挙げたところで、背中に暖かいものが触れた。よく知っているその温もりに安堵すると、またホロリと涙が溢れる——
「ヴィア…」
「……ん」
「沢山、泣いたのね…」
「……。」
こくん、と首を縦に振る。ここで嘘ついたって仕方ないもんね。ハンカチで優しく涙を拭ってくれたエヴァにありがと。と、お礼を言う。
「あのね…アレシュ君が怪我して、それで——エヴァ…?」
「ん?…なぁに?」
「えと…ううん、なんでも…それでアレシュ君が辛そうで…だから……その…」
何となく、言いづらくて言葉が尻すぼみになる。
「うん。アレシュが怪我をするのは嫌よね。それで……あそこいる子たちが、ヴィアを泣かせたということで——間違いない?」
落ち着くようにと背中をポンポンしながら聞いてくれていたエヴァが、そっと頬に手を添えて覗き込んできた。
「——っ!…う、ううん…」
鋭い雰囲気をただ酔わせ始めたエヴァを見て、咄嗟に否定の言葉が出てくる。
「でも、アレシュ君に怪我をさせたのは彼女達でしょう、ヴィア?…もしかして、ヴィアも傷つけられたの…?」
アレシュ君がいなければ怪我では済まなかったかもしれない。それが、伝わってしまったのだろう。エヴァの雰囲気がどんどん冷たくなって、底冷えするような寒気を感じる。いつもは穏やかな碧色の瞳に朱が混じり始める。
(前に街で襲われた時のエーファみたい…ううん、あの時とも違って、もっと——)




