54. 懐中
「ラザ。」
透明感のある声が耳を打つ。いつもと違う呼ばれ方に戸惑う。
それは確かに聞き覚えのある声で——けれどいつもより凛とした響き。
見慣れた黒い制服の上に、絹のように艶やかな白銀の髪が流れてキラキラと光を弾いている。エヴァとそっくりの面立ちをした彼女の身長はエヴァよりも大分と高く、少女というより大人の女性という方がしっくりする。
何より違うのは、周囲を圧倒する存在感。
エヴァもハッと目を引く、綺麗な容姿をしている。けれど目の前の彼女の場合はさらに何処か人間離れしていて、いっそ恐ろしくもあるような…そうゆうタイプの美貌でこちらを見据えている。
学院の端の人気のない一角に置かれたベンチに2人で腰を下ろす。ヴィアたちから事の経緯はいろいろと聞いていた。今の彼女がエヴァとしての記憶も持っている事も……
「エヴ、エヴァンジェリン…」
「戸惑っている…」
「そうだね。君はエヴァなの?」
聞かれたって彼女も答えようがないだろうに。咄嗟に出た言葉に自分で落胆する。僕は一体何を確認したいんだか…
「それは……それを決めるのは私じゃない。」
「そう、だね…」
「違いすぎて、ショックを受けてる?」
「そうじゃない。」
その言葉はすんなりと口に出た。『そうじゃない』んだ。自分で言ったことなのに新鮮に感じる……そう、僕は違うことがショックだったわけじゃない。
じゃあなに?という目をする彼女。
「…ねぇ、エヴァは変わる事を怖がっていたけど…今はどんな気分? 君は不安になってはない?」
ピクリと彼女の肩が揺れる。心配されるとは思わなかったんだね。案外、素直な人なのかもしれない。
「…それは、エヴァに聞いたら?」
「うん、でも君はどうなのかと思って。」
「…ラザも物好きだな。特にどう、ということはない。これが本来の自分なのだから。…まぁ、エヴァの記憶を得て、少し気恥ずかしく感じるとこもある。」
「そうなんだ。辛くないなら、良かったよ…」
他に聞きたいこと——エヴァが今どんな状態なのかは勿論気になる。ヴィアがまた会えると言っていたから、大丈夫なんだろうけれど、やっぱり気になるものは気になる。でもそれを彼女に聞くのはどうなんだろうか?
「エヴァは今眠っているだけ。また会える。」
「——っ。」
「気になっていたんだろう?」
ホルテンジエの花弁のような紫の瞳と視線がかち合う。嘘は通じないな、と直感的に思った。
「うん、気になってた。でも、その時君は…」
「ラザも…お人好しなんだ。」
そう言って目の前の麗人はわずかにクスリと微笑んだ。「なに?」と聞くと、こちらの話だと流されてしまう。エヴァよりも表情に乏しい彼女。冷たい美貌がわずかでも崩れたことで、身に纏う近寄りがたい雰囲気が少し薄れた。
彼女がもし満面の笑みを向けたなら——落ちない男はいないんじゃなかろうか?きっと破壊力が半端ない。
(あ…これはエヴァと一緒だ。)
思わぬところで2人の共通点を見つけてしまった。この子たちの破壊力抜群な笑顔をしょっちゅう受け止めているヴィアは、ある意味凄い子だと思う……本人はそうゆう自覚なんてないんだろうな。
魔族であるエヴァンジェリンを味方につけたという事実だけで、ヴィアは十分に異質な存在だと言える。本人がどう捉えていようとも、周りは放って置いてはくれないだろう。これから2人は多方面から狙われることになると思う。その時、危ないのはエヴァンジェリンよりもヴィアの方だろう。普通の人間であるヴィアの方が近づき易いから。
お兄ちゃんポジションとしては頭が痛い。僕も早く力をつけないと——
いつの間にか、思考が明後日の方向に向かってしまっていた。
「ねぇエーファ、僕は確かにエヴァに会いたいと思ってる。だけどうまく言えないけど、君に消えて欲しいわけじゃないんだ。白々しく聞こえると思う……まだ自分でも整理がついてないし。でも…」
わかっている、というように頷くエーファ。
「そう言ってくれるのは悪くない——けど、ラザ、私もエヴァも魔族だ。人間じゃない、別の生き物。エヴァに…私に関わるということは、そうゆうことだよ——それを忘れるな。」
(そんなこと……)
わかっている!とは言葉に出来なかった。彼女の方が良く知っているはずだから。勢いだけで否定すべきじゃないと思った。反発する気持ちがない訳じゃないけれど。
なんとなく空気が重くなって——ちらりと、横目にエーファを見る。
僅かに目尻を下げて愁いを含んだ表情の彼女。そこには教会に並ぶ宗教画の一幕のように完成された美しさがあった。
(君は今何を考えているの?…)
誰にも手出しができない程強いのに、今隣にいる彼女は不躾に触れたならば壊れてしまうように思えて…何となく目を逸らす。
どうしてそんな表情を?——口に出せない問いが僕の頭の中をぐるぐると巡る。黙って俯く僕に対して、エーファはやがて口を開いた。
「……今度、エヴァにも会ってくれる?」
「うん、もちろん。」
エーファ自身はもう1人の自分をどう受け止めているんだろうか?
『私に関わるということは、そうゆうことだよ』——この言葉は、僕のためだけに言ったんじゃないと思うんだ。
君はエヴァのこと——
そんな僕のモヤモヤをわかっているのか、いないのか……エーファは一転してスッキリした表情に戻る。そこにはさっきまでの儚さはなくて、ただただ見惚れるような人外の美貌があった。
ふと、彼女の横顔にエヴァの顔が重なって見える。記憶を取り戻したエヴァは不安な気持ちになっていないだろうか?——早く彼女の声も聞きたい。
そうやってぼんやりしていた僕の頭をエーファはくしゃりと撫でると、すっとベンチから立ち上がる——それはもう流れるように自然な動作で。
固まったままの僕をからかうような目で見た後、僅かに微笑むと颯爽と来た道を戻って行く。やっぱり無表情を崩した彼女の破壊力は抜群で——
(カッコイイかよ!)
ポカンと間抜けに彼女の後ろ姿を眺める。僕の周りだけ時の流れから取り残されたみたいだ。颯爽と歩き去ってく姿には気品に溢れていて、エヴァとは違うカッコ良さがあった。
——きっと今、顔が赤くなってる…
彼女が消えた先を眺めながら、撫でられた頭に手をやる。それからペシリと自分の頰を叩く。
まったく『君』は——こんなことしておいて、忠告なんて耳に入るわけないだろ……
僕はもう一度、君に恋をした——
***
「シア様、殿下方に助言なさってましたよね?」
「どうかしたの?」
「どうって……。」
不思議かしら?と聞くと、こくりと頷くディエ。彼女はたまに目敏い時がある。
(でもそうね、普段の私を見ていたら不思議に思うでしょうね。)
精霊は本来、人の世に関心を持たないものだ。私も正直この国がどうなろうと構わないのだけれど……ディエが気に掛けている相手だからね。
「お節介、だったかしら?」
「そ、そんなことはありません…」
ふふっ。微かに頰を染めて慌てる姿も愛らしい。きっとディエは私がバルト王国の力になったわけではないこともわかっている。
「ねぇシア様、どうしてシア様はそんなに私に良くしてくださるんですか?」
「ディエのことが好きだからよ。」
この答えでは納得出来ないのかディエの顔は曇る。世の中には、自分の頼みを叶えてくれ!加護を与えてくれ!と傲慢に迫る輩も多いというのに……ディエはどうしてこうなのかしら?
——ああ、そんな不安そうな顔をしないで。
『どうして良くしてくれるのか?』
彼女は時々この質問をする。愛されることに戸惑うかのように——きっと私がそうさせている。彼女が納得するだろう答えも持っているけれど、それを言うつもりはない。
貴方のことが好きなのは本当だから嘘は言っていないのよ?
「さぁ、もうお休みなさい。」
こくりと素直に頷いて瞼を閉じるディエ。私が納得のいく答えをくれないのもわかっていて、それ以上は聞いてこない優しい子。ベッドに腰掛けて寝付くまで頭を撫でてやる。
小さい頃、ディエは膝の上で頭を撫でられるのが好きだった。
怖い夢を見た日は、いつもの畏まった態度を崩して『シア、シア〜、どこ? 一緒にいて』と素直に甘えて来て可愛かったものだ。小さな手で私の服を引っ張って座らせて。でも、精霊様のお膝に乗せて?とは言いにくいのか、服を掴んだまま上目遣いでこちらを見てくるのよね。とっても可愛かったなー。最近はそんなことも無くなってしまって少し寂しいのよね。
立派なレディになった、ディエの成長は嬉しいのだけど、少しだけ寂しくもある。
「…シ、ア。」
「なあに?」
すでに寝ぼけているディエに返事をする。
「……いなくならない…ね…」
「ふふ。心配しなくてもここにいるわ。」
「ん…」
彼女は安心したようにスヤスヤと眠り始めた。
(ディエはわからないままでいいのよ…)
私の事情に振り回される必要はないのだから。けれど『約束』だから……離れてはあげない。
貴方がいつか誰かと結婚して、幸せな家庭を築いて、老いて命を終えるまで——私はいつだって貴方の味方でいるから……だから、いいでしょ?
それにしても…ふふっ。置いていかれる心配をするなんておかしな子。置いていくのは貴方なのにね? ずっと、ずっと会いたかった……
——私の愛しい子。
眠る彼女の額にそっと唇を寄せる。親愛を込めて。
精霊の祝福が『貴方に幸せをもたらしますように』。もう何度やったかわからないそれに、今日もまた祈りを込める——




