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34. 亀裂

 目が覚めたのは医務室だった。運ばれたエヴァはおかしな状態だったらしい。派手に破れた制服に無傷の身体。血の跡も無かったらしい。一体何があったのか?と事情を聞かれ…寮に戻ってヴィアと再会した時、元気そうな彼女を見てすごく安心した。ヴィアの方へ手を伸ばして——過ったのはあの時のこと。


『とても甘くて、いい匂い…甘くてとろけそうで、思わず欲しくなるような…』


(私は…あの時私は…。)


「エヴァ?どこか痛いの?」

「大丈夫。それよりヴィアは?怪我、無かった?」

「ちょっと肘を擦ったくらいだよ。それも治療してもらったからもう平気。」

「そう…。なら良かった。」

「エヴァ?」

「ん?ああ、なんでもないの。」


 不自然に伸ばしたままの手を、ぎこちなく引っ込める。


「ねえ、エヴァ、今日は一緒に寝よっか?」

「えっ?…だめよ。」

「どうして?」


 ヴィアが心底不思議そうに尋ねる。


(いつもと違うの、わかるよね。でも…)


「崖から落ちたばっかりなんだよ?まだ身体が疲れているだろうから、広いベッドで休まないとだめよ。」

「う、うん。そっか…。」


 しょんぼりしたヴィアが、自分のベッドに向かっていった。気まずくて、何となく彼女に背を向ける。こんな風に悲しませたいわけじゃない。けれど、彼女にとって1番危険なのは…いつも側にいて、ヴィアを危険に晒しているのは——『私』。


 ヴィアを『欲しい』と思った。あの時…彼女の血が欲しいと。


 頬を生暖かい雫が伝う。認めたくなかったんだと気づく。人と違うとわかっていても——自分が『危険な化け物』だなんて知りたく無かった…。それでも、気付いてしまった今でも、どうしようもなく…ヴィアと一緒にいたいと思う。


(こんな気持ち、赦されない…)




 ヴィアの優しさに甘えて都合が悪いことには気付かないふりをしてた。赤いジュースもそう。…こんなにも、甘い香りがするのだから——


(自分で指を切っていたの?——どうして…。)


 言葉に出来ない『どうして?』が心に渦巻く——どうして?ヴィア…。何を入れたのか誤魔化してジュースを飲ませようとするヴィアに、思わず強い言葉が出てしまった。悪いのはエヴァだというのに…。

 

 ぎこちないまま時間だけが過ぎていく。時折心配そうにこちらを伺うヴィアの視線をやり過ごして——これでいいのだ。と、言い聞かせて…




*****




 『教材を運ぶのを頼まれたから。先に行っていて?』

 『うん…わかった。またあとでね。』


 また体調が悪い。今なら血が足りていないのだとわかる。あの日魔族に薬を飲まされてからもう2ヶ月。ヴィアには気づかれないように注意している。このままだとどうなってしまうのか…砂になって消えてしまったり?冒険譚に出てくる魔物の最期が頭に浮かぶ。


 ——あっ。

 

 教材を運び終えて考え事をしながら歩いていると、突然クラリと身体が傾く。しゃがみこんでなんとか堪え、近くの柱に身体を預けて目を瞑る。頭がぐるぐるして気持ち悪い。


「そろそろ、限界ではない?」


 ガバッと振り向いて、眩暈がして頭を押さえる。骨の髄まで溶かされそうな魅惑的な声。


「なんの、用ですか?」

「あら?今日は敬語なの。」

「一応、この前は助けて貰ったから…。」

「そう。それで用があるのは貴方の方じゃないのかしら?」

「……。」

「そのままだといつか襲ってしまうわよ?」

「消えるんじゃ?」

「死ぬのと、理性が無くなるの、どちらが先だと思う?」


 まるで困った子に言い聞かせるかのよう。ヴィオルカはあの日と変わらず妖艶な美貌で庭の隅に佇んでいる。こんなに目立つ魔族が居たらすぐ騒ぎになりそうなのに、辺りは静まり返ったまま。


「何が、目的ですか?」

「何、かしらね…。」

「……。」


 ため息を1つ付いてヴィオルカが切り出す。


「私に、お願いがあるんじゃない?」

 

 じっと見つめると、ヴィオルカも真っ直ぐこちらを見つめ返してくる——悪い感情は持っていない。


「……薬が、欲しいです。」

「薬、ねぇ?…まあいいわ。」


 少し目を見開いたヴィオルカ。けれど、この回答も予想の内だったのか、小瓶を取り出してエヴァに差し出す。

 柘榴のような濃い赤色がこの上なく美しく見える。蓋を外して小瓶を傾けると、舌に広がる甘い味…


「そのまま、少し休みなさい。」


 ヴィオルカに囁かれた途端、瞼が重くなる——




 目覚めた時にはヴィオルカの屋敷のベッドに寝かされていて。知らない天井に混乱していると『ちゃんと、学院に戻してあげるから安心なさい。』と言われる。言葉通り学院に戻してくれたのはいいが、時刻はすでに夜になっていた。


(ヴィアに心配かけたかも…)


 恐る恐る扉を開くと、ベッドに腰掛けたヴィアがこちらを向く。


「ただいま。」

「……。」


 返事を返さないヴィア。その表情は硬く、睨みつけるようにまじまじとエヴァの顔を見つめている。


「遅くなってごめんなさい。」

「…どこに、行ってたの?」

「学院の外に…」

「何、してたの?………エヴァ?」

「……何でもいいでしょ。」


 言えるわけない。魔族と会って、血を貰っていたなんて…


「言えないようなこと、してたの?」


 どきりとした。先程の行為がバレているような、責められているような…そんな風に感じて口から溢れたのは拒絶の言葉…


「ヴィアには関係ない!」


 その言葉に目を見開くヴィア。信じられないという顔で唇を噛んで…


「——っ。エヴァのばか!」


 そう叫ぶとヴィアは部屋を飛び出してしまった。すれ違いざまに見えたヴィアの目には涙が溜まっていた。その表情が頭に焼き付いて、心がじくじくと痛む。


「…ごめんなさい。ごめんなさい…」


 そのまま崩れ落ちるように膝を折る。冷たい床が徐々に体温を吸い取るにつれ、エヴァの心も温もりを失って凍える——



早く仲直りして欲しい…

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