01. 出会い
『大丈夫。きっと大丈夫よ。』
『もう、まだ何も言ってないよ。どうしてわかるの?』
——落ち込むといつも励ましてくれたお母さん。
話も聞いてないのに『大丈夫よ。』ってよく言っていた。まだ話してないのにわかりっこないじゃん! と返すのがお約束みたいになってた。
けれど何があったのか話すと、いつだってほんとうに『大丈夫』になるように一緒に考えてくれた——大好きな、お母さん…
(大丈夫だよね、お母さん…)
お母さんの『大丈夫』を思い出してちょっとだけ落ち着く。——これからのことを考えないと。
私が帰って来ないと分かれば、村の皆は心配するだろう。
捜索もしてくれるかもしれない。けれどここは危険な『魔の森』。みんな森の浅い場所を探すだろうし、そもそも彼らも深い場所には入れないのだ。
だから、最低でも村の近くまでは自力で戻らないと助からない。——足が痛くても、体が疲れていても…
(何か森を抜けるための目印になるものを探さないと。)
空は見えないし、周りは木ばかりだし。他には森にある物はなんだろう? 土に、魔獣に、川に…
——川。森から村の近くへ続く川があったはず…
(下流に向かって歩けば、いつか森を抜けられる筈だよね?)
川沿いに歩きながら少しでも安全に夜を越せそうな場所を探す。思いついた「出来る事」はそのくらいで。後は周りを見ながらひたすら歩き続けるしかない。
いくら大きな森でも終わりはある。いつかは外に出られるはず。——さっきの奴らに見つからず、魔獣にも出会うことなく、食糧が底を尽きる前に辿り着ければの話だけれど…
(この調子で、辿り着けるのかな…)
生きて戻ることさえ絶望的かも知れない——
薄暗い森の雰囲気に心が引き摺られるように暗い考えが浮かび、涙が溢れそうになる。
ブンブンと首を振って暗い気持ちを追い払い、何か水場に繋がる手がかりがないかと周りを眺める。悪い方に考えたって仕方ない。とにかく進むしかないのだから。
パンパンと軽く自分の両頬を叩いてもう一度気持ちを切り替える。
それからは足を引きずって進み、息が切れたら周りと見回す、という作業を何度も繰り返した。
何度目かに足を止めた時、ふと他より光が強く差し込んでいる場所を見つける。転がり落ちてから初めて見つけた大きな変化。
(なんだろう)
夏の夜に松明の明かりに群がる昆虫のように、一等甘く香る花の蜜を見つけた蝶々のように——薄暗い森で唯一光が差し込むその場所へ吸い寄せられる。
——そこは辺りで唯一空からの光が届いており、薄暗い森で光っているかのようだった。
遠い昔には、立派な建物が建っていたのだろう。それは見たこともないくらい立派だったに違いない。森の拓けた場所にはぐるりと一周、人の手が加わった石が並んでいる。
それはかつての建築物の柱の跡。
積み上がった石は角が風化しており、辺りに崩れ落ちて高さもバラバラ。けれど、崩れた石には所々に文様が刻まれた跡があり、飾り彫も施されている。この建造物が手の込んだ造りだったことが伺える。
小さな遺跡のようなその中を覗くと、大きな石でできた箱が置かれている。
下の方が土に埋もれて、周りは蔦植物の蔓が巻き付いた棺のように見えるそれ——
人工物が無いはずの森で見つけた不思議な光景。今の自分の状況も忘れて、吸い寄せられるように近づく。
傾いて取れかかった石棺の蓋を思い切り押してみると、ズレ落ちるように蓋が滑り——
そこでふと、ミイラでも入っていたら? と思い至り、さっと目を閉じた。しかし、特に物音もなく時間だけが過ぎていく。何も変化が感じられないので恐る恐る目を開けた。
そうして視界に入ってきたものに息をのむ——
目に映るのは、透けるような銀色に煌めく髪に、陶器のような白い肌——綺麗に整った面立ちの女性を象った——ナニカ。
貴族様が集めるという芸術品は、目の前の彼女のようにキラキラとしているんじゃないかと思う。空から一筋差し込む光を受けて、淡く輝く様は神秘的で。
瞳を閉じて眠るように微動だにしない彼女は浮世離れして見える。
(人間、なの?)
人形だと言われた方が納得できる。それとも天使? 棺のような石の箱に、静かに横たわる彼女。
彼女の周りだけ、時の流れから切り離されているかのよう。
惹き込まれる様に見惚れてしまっていた——この場の異常さに気づけない程に。
(瞼の下にはどんな色の瞳があるのかな?)
気になって近づいた時、ずきりと足首に痛みが走り、体制を崩す。
「あっ…」
彼女に被さる様に倒れ込んでしまう。顔の両脇に手を突いて、慌てて身体を起こす。下敷きにしてしまった彼女を確認すると、頬から流れていた血が唇に付いてしまっていた。
「ごめんなさいっ!」
生きているかも定かではない天使様に謝りながら、血を拭き取ろうと指を這わせていると喉がこくりと動き、ゆっくりと目が開く——
今まで彫像のように微動だにしなかった彼女。『静』の美しさに見惚れていたからか——相手が動き出したことに心臓が飛び跳ねそうな程驚く。
さっと自分の手を引っ込めるが、その弾みでまた足に痛みが走り今度は後ろに尻もちをつく。
「痛ったー。」
痛む足とお尻。咄嗟に付いた手は、さっき森で転んだ時に擦りむいていた。ずきりと痛みが走る。目に涙を溜めながら、ゆっくりと顔を上げると、起き上がった彼女と目が合った。
瞼の下に隠れていたのは、心の奥まで見透かすような深い紫の瞳だった——