26. juice
彼女は眠っていた。
時が止まったかのように——精巧な『人形』のように。
授業が終わって部屋へ戻ると、エヴァはベッドにいたのだけれど。その眠る姿が、静か過ぎて不安に駆られる。近づいてよく見ると、うっすらと胸が上下しており彼女が呼吸をしていることに安堵する。
「エヴァ。」
髪を撫でながら呼びかけても反応がない。静かに眠るその姿は、ヴィルシュタットの森の石棺に眠っていた『エーファ』のよう。エヴァの頬を撫でながらあの時のことを思い浮かべる。
(彼女は、どうやって目を覚ましたんだっけ?)
あのとき、倒れ込んだヴィアの頬の血が彼女に付いてしまって、慌てて拭おうとしているうちに瞳が開いて…
その前に…何か。そうだ!唇に血がついて、それでまずいと思って慌てて。そうしたら喉がこくりと動いて、それから…エーファは目を覚ました——血を、飲んだから?
眠るエヴァの唇から目が離せない。ここに、血を垂らせばエヴァは元気になるかな?——そんな、そんなはずないのに。彼女の柔らかそうな唇を見ていると、だんだんと思考がぐるぐるとこんがらがる。
——試してみればいい。少しだけ、それで彼女が目を覚まさなければ、直ぐに拭えば良いのだから。
そろそろと棚まで移動すると、裁縫箱を取り出す。マチ針を手に取り、ゆっくりと指に突き立てる。痛みに顔を顰めて、それでも指先にぷっくりと血の玉ができるまで我慢すると、針を抜いてベッドに向かう。
エヴァを踏みつけないようにそっと彼女に跨ると、顔の横に手をついて自分の体を支えながら、血のついた手をゆっくりと唇に近づける。
オリヴィアを誘うかのような、それでいて咎めるような、柔らかい感触が指に伝わってきてどきりとする。すっと慎重になぞると、紅を引いたように唇が真っ赤に染まる。
彼女の姿にオリヴィアは魅入って動けなくなる。お化粧を完成させた時のような、最後の仕上げを終えたような気持ちになる。赤い化粧を施された彼女の姿はすごく綺麗で、清らかなのに、それでいて妖艶で…
こくり、と喉を鳴らしたのは、オリヴィア?それともエヴァ?——唇を割ってすっと舌が伸び、表面の赤を舐めとる。魔性のような妖艶な仕草にじっと目を離せない。彼女の喉が動いてそれを呑み込むと、少し頬に赤みが差し、ふるふると睫毛を揺らすと瞼が持ち上がる。
「…?」
「エヴァ、おはよう。でももう少し眠ってて。ご飯出来たらまた起こすからね。」
目を瞑らせて、ゆっくり頭を撫でると、彼女はまた眠りにつく。
ヴィアは部屋を出て寮の食堂へと向かう。体調を崩した友人に、ジュースを作りたいと言うと、快く食材を分けてくれた。
「そんなに心配して、あなたも顔色が悪いわ。ここの先生は平民でもきちんと診てくれるから、大丈夫よ。」
「はい。」
どんな顔をしていたのか自分ではわからないけれど、私まで心配されてしまった。部屋に戻る前に一つ息をついて気持ちを切り替える。——とにかく、これで彼女は良くなるはずなのだから。
もらってきたトマトと、皮を剥いたオレンジを布巾に包んで果汁を絞り出し……出来上がった特製の赤いジュースを持ってエヴァを起こす。
「エヴァ、起きて。気分はどう?」
「…うん。少し目眩が治ったみたい。」
「よかった。食欲は?」
「あんまり。」
気まずそうに話すエヴァ。食べないと心配をかけると思っているのだろう。
「そっか。それじゃあ、特製ジュースを作ったから飲んでみて。熱も出てたし、水分は取らないとね。」
「うん。ありがとう。」
エヴァは当然ながら疑うことなく受け取ったジュースを口に含む。こくりこくりと彼女の喉が動く。
「エヴァ。美味し?」
「うん、甘くて…美味しい。トマトと、オレンジと、他にも何か入ってるの?」
「そっか。…美味しいなら良かった。隠し味は内緒。これは私の特別製だから。もしまた具合が悪くなったら、その時作ってあげる。」
「気になるけど…わかったわ。」
飲み終えた頃にはだいぶ顔色が良くなったエヴァ。直ぐに動き出そうとする彼女を、今日はこのまま安静にしているようにと言って休ませる。
空になったコップをじっと見つめる。ジュースの効果はあったようだ——これが、彼女にとっての本当の食事なのだとしたら…
(どれだけ我慢をしていたの?)
倒れるまで食事を抜くなんて。すやすやと眠り始めたエヴァの隣に横になり、血の気の戻った彼女の横顔を眺める。
「エヴァは、私が守らなきゃ…。」
ぎゅっと彼女を抱きしめて、その暖かい体温に安堵してオリヴィアも眠りに落ちる。




