3-9.「幼名か、」
部屋に戻った俺はソファーに座り、家名を考えた。
フラムガル。キシュレポイズン。ダーツ。ガンダーラ。サラスヴァティ。クチュアリ。テンゲンシャ。スピリタス。メダラティ。
と、現在ジークハイル王国に存在する貴族の家名を避けながら候補を紙に記していく。
いや、フラムガルは建国の王の家名だしダメだ。良さげな候補が一つ減った。
もう無難に、前世の名前の内から選択しようかな。
「ジークエンス様、フラムガルを除外しましたが、ダーツとテンゲンシャはイルシックス王国にある伯爵家と公爵家の家名ですので、避けられた方が宜しいかと思います」
「そうなのですか……では、家名を決めるのはまた明日にしましょう。夕食まではまだ時間がありますが、今は一度頭を切り替えたい」
姉様にもじっくり考るよう言われたし、家名以外にやらねばならない事を片付けよう。
悪魔との契約関係と、ガーベラ王女たちとは最近出会っている気がする事と、幼名のはずの『ガーベラ』の名前。
どこかでなくした血の容器と、その夜のレポート。
彼女にも聞きたいことも2つある。
俺は絵を描いた紙を取り出し、ミゲルを呼びつけた。
「おいミゲル、……命令だ。この紙に描いたものが王都の何処かにあるはずだ。宰相殿の力を頼り、見つけ出せ」
「承りました。ではこの絵を使わせて頂きます」
ガーベラ王女に聞こえないくらいの声で指示を出した俺。
イラスト及び大きさの概要が書かれた紙をミゲルに渡し、それを受け取ったミゲルは部屋から出て行く。
自画自賛だがジークエンスは実に多才な身体であり、その一つに模写の才能がある。
記憶に残る容器のイラストをそのまま紙に写し描ける能力がある。つまり頭で考えた事を絵に出来る才能。
統治者にそんな技術は必要ないが、趣味程度にイラストを描いたりしている。
「まさかその絵はジークエンス様が描かれたのですか?」
「そうですよ。興味がありましたら一度、描かれてみませんか? 私が貴方の魅力を伝えますから」
「……宜しいのですか?」
「はい」
「それならば明日。明日の私を描いて欲しいです。セシリア様に頂いた服を美しく描いて欲しいですから」
「分かりました、約束致しますよ」
セシリア母様と陛下からドレスを送られ事に、嬉しそうなガーベラ様。
俺に描かせる事に一度戸惑って見せたが、俺も描いてみたかったので口調で誘導し、ガーベラ王女を描く事に決まった。
予期もせず明日の予定が決まり、俺は今の時間を確認する。
ーー夕食まで4時間程ある。
家名はもう一時間ぶっ続けで考え続けて答えが出ないし、やりたくない。
という訳で聞いてみる。
幼名と聞いていた『ガーベラ』の名前のままの訳。次の名前は何なのか。
ガーベラ王女たちとは、最近何処かで会っている気がすると。
◇
空になったティーカップの紅茶は、メイドのローザが気を利かして追加を注ぐ。
アシュレイ姉様の部屋を出る前に無くなっていた茶菓子は新しい物に変えられ、そのクッキーも変わらず美味しい。
これらの部屋の作業は全て、ジークハイル王城側が行う作業だ。なのでガーベラ王女のメイドのレイランは現在ほとんどない。
これはガーベラ王女が一人でこなすべき事を全てこなせるからであり、自立しているから。
ジークハイル王国の嫡子全員もそうであるが『我儘で、一人では何もできないお金持ちの子』ではない。
才能に恵まれ、特別で最高の地位に相応しい能力がある。
そんな彼女に聞いてみた。
「ガーベラ様、二つほど質問があります。伺って宜しいですか?」
「はい。勿論でございます」
「私は、貴方のガーベラという名前が貴方の幼名であると聞いていたのですが、それは本当なのですか? 本当でしたら貴方の名前を知りたい」
「確かに、貴方にはお伝えしておりませんでした。申し訳ございません、今からお話し致します」
そう言って椅子から立ち上がったガーベラ王女は、態度を目をキリッと真面目モードに変更して深々と頭を下げた。
唐突に驚いた俺は「早く顔をあげて下さい」と促し、顔を崩さない彼女を座らせた。
「事前にジークハイル神仰国には、ガーベラの名前が幼名であると伝えておりました。そして私の名前はレベッカと、なるはずでした」
「レベッカ様ですか。ですが『なるはず』とは、名前は変えられないのですか?」
「ーーはい。我が国の事情で申し訳ございませんが、私の名前はこのまま『ガーベラ』です」
様々な事情はあったのだろうが彼女の名前は変わらない。今まで通りガーベラ王女。
本来の『レベッカ』という名前も可愛いけどね。
「謝る事はありません、私はどちらの名前も好きですから。そして良ければですが、ガーベラ様が呼ばれたい方の名前を教えて下さい」
「ガーベラとレベッカですか? それは何故なのでしょう?」
「貴方との会話では、私はその名前を使います。
でなければ、ガーベラ様の呼ばれたくない方の名前を呼び続けてしまうかもしれませんから」
俺は『ガーベラ』と『レベッカ』のどちらの名で呼んで欲しいかを聞いてみる。
もし俺がレベッカと呼んで欲しいのにガーベラと呼び続けたり、その逆にガーベラと呼んで欲しい彼女をレベッカと呼び続けたりなんて絶対仲が悪くなるよな。
「私のことはこれまで通り、ガーベラとお呼びください。
レベッカと呼ばれるのは慣れていませんし、私には少し可愛すぎます」
「では、これまで通りガーベラ様とお呼びします」
若干自分を卑下したガーベラ王女は、これまで通りガーベラと呼んでほしいとの事。
どちらも彼女に似合う名前だが、自己否定するガーベラ王女。
これは話題を変えよう。
「もう一つの質問ですが、これは質問というより……最近どこかで出会いましたか?」
俺はもう一つの質問の『最近どこかで出会っていないか?』を聞いてみた。
◇
「どこかで……ですか。いて、以前ジークエンス様とお会いしたのは11年前のはずです」
「成る程。ーー私はガーベラ様の他にダン、レイラン、フルマルンの3人も見た気がします。ですが、疲れていたのか少し分からなくて」
「そうでしたか。みんなは分かるかしら?」
話を変える意味で振った、俺の彼女たちに対する既視感。
俺を含めガーベラ王女もピンときていない中で、黒スーツの女騎士フルマルンが一歩前に出た。
「僭越ですがガーベラ様、ジークエンス殿下。私一つ心当たりがございます」
「何かしら? 聞かせてちょうだい」
「はい。一昨晩我らが王城に向かっている道中に……恐らくその時我々を助けて下さった方がジークエンス殿下かと」
主人の近くに寄ったフルマルンは考えを述べた。
一昨晩といえばガーベラ王女達が来る前の夜。丁度俺が悪魔と戦ったり、義理の弟の家に行ったりしていた夜だ。
フルマルンの話の俺は彼女達を助けたと言ったが
「ん? あの時私を助けてくれた方?」
「まさか、あの馬車に乗っていた方でしたか!? 思い出しました。鮮明に思い出しました。
確かに今覚えば、容姿となによりドレスから貴方だと分かる」
「そうなのですね! やはり、私達を救ってくれた方なのですね。あの後、御者とフルマルンから状況を教えて貰いました。ありがとうございます!」
フルマルンの言葉から、やっと思い出した鈍感な俺とその婚約者のガーベラ王女。
そして謎の人物が判明し、救い救われた相手が分かってテンションの上がる俺とガーベラ王女。
そうして使用人置いてきぼりで話が進む。
一昨晩は夜中だったからな、戦闘後で心身ともに疲れていたのだろう。だってその夜はミスが多いし。
「どういたしまして。ですが、救った人がまさかガーベラ様だったとは」
「ええ。私もジークエンス様が命の恩人だったとは」
「ふふ、……では少し話が変わりますが、フルマルンと一度手合わせをしてもよろしいでしょうか?」
唐突だが唐突じゃない。
狙いやすい獲物を狙っただけかもしれないが、ガーベラ王女の馬車と知ってあの盗賊達は襲ったかもしれない。
俺も側で彼女を守るが、いつも近くにいるフルマルンがなす術なくやられてはいけない。幸い時間はある。
そして勿論、そんなことは初耳のフルマルンは
「私と、ジークエンス殿下が?」
と驚いている。
俺は婚約者の騎士の力量を測る為、その騎士に手合わせを申し込んだのだ。