クルイ~開演~ 2.女には向かない職業
バタバタと廊下を走る足音が聞こえる。廊下を走るのは禁止だというのに、その校則を無視する者は後を絶たない。僅かに眉を顰めた生徒会副会長、執行響であったが、その足音は生徒会室の前で一旦止まる。
バンッと大きな音を立てて扉が開くと、鬼神もこれを避けるが如き剣幕で扉を開けて入ってきたのは、黙っていれば十人が十人、大和撫子と評するであろう整った容貌の少女である。……残念ながら今現在その美貌は、満面を覆う青筋に損なわれているが。
「ヒビキっ! 説明してもらうわよ!」
掴みかからんばかりの剣幕で響に詰め寄るのは、生徒会で会計を務めるクラスメイトの月代楓。響をSROに誘った張本人である。
「やぁ、お早う、楓。ご機嫌は如何……と聞きたいところだが、お姫さまにはあまりご機嫌麗しくないようだね」
……一言断っておくと、響は別に友人を茶化しているわけではない。大和撫子な友人をお姫さま呼ばわりするのはいつもの事である。立ち居振る舞いがすっかり男役に染まっている――元凶は後輩の女子たち――のが、そして、本人がそれに気付いていないのが、事情を知る友人たちの憐れみを誘う。
楓も一瞬だけ不憫なという思いに囚われかけたが、直ぐに気を取り直して友人に詰め寄る。他人の事や仕事の面ではしっかりしているのに、自分の事となると恐ろしく抜けが多く、無自覚に盛大にあれこれポカをやらかすために、友人の間では密かに「やらかしヒビキ」あるいは「底抜けヒビキ」の尊称を奉られている親友に。
ちなみに、響の密かな渾名には「ナイト」というのもあるが、これは「騎士」の事ではなくチェスの桂馬、すなわち、私事となると斜め方向に予想外の高飛びを連発する彼女の性質を言い表したものである。それはともかく――
「えぇ。誰かさんがとんでもない事をやらかしてくれたお蔭でね。しかも、親友に一言の説明も挨拶も無しに退場――っていうのは、どういう了見かしら?」
「そうは言っても、あのままだと楓、絶対に私の名前を口走ってたろう? それだと折角アバターの容姿を変えたのが台無しだし、第一マナー違反だろう?」
「それは……」
やんわりと、しかしきっぱりと切り返されて、思わず楓も言葉に詰まる。アレは、「容姿を変えた」などという生易しいものではないと思うが、それはそれ。確かに、あのままだったら親友の本名を大音声に呼ばわっていた自信がある。
何しろ、死神がふらりとトンの町に現れた時には、大変な騒ぎが持ち上がったのだ。
「マントのフードで隠せば大丈夫と思ったんだが……まさか、覗き込まれるとは思わなかったよ」
「あれは確かにマナー違反ね。まぁ、長身のエルフの女性が顔を隠していたら、興味を引かれるのは解らないでもないけど……」
溢れる好奇心から余計な真似をしたプレイヤーが金切り声を上げたため、プレイヤー・住人を問わず大騒ぎになった。魔人が侵入して来たのかという声さえ上がったのである。
あまりの大騒ぎになったため、これは出直した方が良いかと響が考え始めたタイミングで、待ち合わせていた楓がやって来た。
待ち合わせの場所と時刻、目があった時の挙動、そして「やらかしヒビキ」の実績などから、瞬時に事情を把握した楓が大声を上げそうになったので、これはアカンと即座にログアウトしたというのが昨日の事であった。
「掲示板、大荒れになってたわよ」
「掲示板?」
住人はともかくプレイヤーたちには、キャラクターに付随するカーソルを見る事で、アレがプレイヤーキャラクターなのはどうにか確認できたようであった。どうやら響のアバターである「クルイ」を【鑑定】したプレイヤーがいたらしく、アレが「エルフの女性」である事は既に知れ渡っているという。
「勝手にキャラを【鑑定】するのはマナー違反なんだけど……あの場合は仕方がないとしか言えないでしょうね……」
「確か……SROでは、【鑑定】してもキャラネームは表示されないんだったね」
「えぇ。個人情報保護のためっていう話だけどね」
「不幸中の幸いかな……」
しかしその一方で、アレは一体どうした事か、呪いか負傷か状態異常か、部位欠損が実装されたのかと、掲示板という掲示板が大騒ぎになっており、恐らくは今も炎上中の筈である。
「さあ、きりきり白状しなさい。何があったの?」
と、詰め寄る友人に
「何と言われても……ああいうキャラメイクをしただけなんだが……」
一拍空けて
「何よ、それ~っ!!!」
――カエデは立腹した。どうしますか――
にげる
たたかう
>せっとくする
「いや……だから、ああいう外見にしただけなんだって」
「説・明・しなさい」
次話は約一時間後に公開の予定です。