表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

おめかし月 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 う〜ん、こうのんびりひなたぼっこができる環境って、つくづくありがたいわよね。

 もう毎日毎日暑くってさ、日蔭で風通しの良いところを伝っていかないと、もうやってられないっしょ。そんな時に、こうグッドポジションのベンチを見つけて腰を下ろすとね、眠気に襲われるのも無理ないと思わない?

 どうも週末になると足がむくんじゃってねえ……あ、なによ、その年寄り見るような眼は。あんただってどっこいどっこいでしょう。

 太陽は絶賛フル稼働中なんだから、私たちは忍びやかに隠れる、地上の星で十分よ。月みたく、大胆に陽光へ当たりに行った日には、落ちる定めが待ってるわ。

 これでも太陽って、全力全開じゃないのよねえ。恐ろしいものだわ。地球のポジションがちょっとでもずれていたら、私たち絶滅もしくは最初から発生していなかった、と聞いたことがあるわよ。まさに奇跡の星ね、地球って。

 そんな天体を巡ったエピソード、私も最近掘り起こして見たのよ。聞く?


 切り立った崖に囲まれたくぼ地にある、小さな集落。そこは月夜になると、崖から見下ろす者たちにとっては、光の溜まった大きな池に思えたらしいわ。

 青白く照らされる大地には、存分に淡い輝きが蓄えられて、家や畑の姿を覆い隠してしまう。その様が底を見渡せない池のおもてのように感じたのだとか。

 たとえどのような形の月であっても、わずかな明かりさえあれば、夜でも問題なく出歩けるほど、村の中は明るかったと伝わっているわ。ただね、そこで暮らす人たちの間では、ある決まりごとが、昔からずっと守られてきたの。

 

 その日の朝は、夜の明るさとは裏腹に、霧がけぶって、十歩先の人の顔さへ満足に確認できないという、悪天候だったらしいわ。出歩く人々の服の袖が、たちまち、しとどに濡れてしまって、雑巾のように水がしぼれてしまうくらい。

 このような天気は、数ヶ月から数年間と、不定期な間隔をあけてやってくるもの。初めて目の当たりにする若い衆が、訝しげな顔をしている中で、年長者が指示を飛ばすの。


「ただちに『野ざらし小屋』から、たきぎを一山分、持ってくるのだ」と。


 野ざらし小屋とは、他の薪小屋とは違う、この集落独自の小屋を指すわ。

 そこにはしめ縄で囲ってあることを除けば、内部はきれいに草を刈っただだっ広い地面と薪の山が存在するばかりの、殺風景な場所。薪の知識がある人からすれば、言語道断の環境を持つ場所だったわ。

 知っているかと思うけど、薪は乾燥が命。雨に濡らさずに風干しにし続けるのが、重要な要素。

 地面に直接置いてしまうのもよろしくない。土も湿気をふんだんに帯びているから、それが木に伝わってしまうのを防がねばならないわけね。

 そのいずれの対策も成されていない「野ざらし小屋」の薪たちは、もはや溺れてしまうほどの水気を、その身に蓄えていることが容易に察せられたの。

 若者たちは、今まで何に使うのかと、首を傾げることも多かったそのブツを、大人たちに指示されるがままに、村の中央へと運び込んだの。

 

 服も身体も霧に濡れる中、大人たちの主導で、村の中央には井桁いげたを組んだかがり火の支度。その周りを囲うようにして、小さなかがり火の準備もたくさんされたわ。

 特に祭りという時期でもなく、ここまでの火の手が必要な事態。若者たちはますます首を傾げるばかりだったわ。ましてや湿った薪ばかりを使うなど、火をおこす準備をしながら、火をおこすという目的につながっているとは、とうてい思えなかったの。

 作業を進めながらも、子供たちは大人たちに真意を問いただそうとしたけれど、彼らは揃って答えるの。

「日が沈めば、わかる」って。


 霧が晴れ始めた時には、すでに日が西へと傾き始めていたわ。交代で家の中へ戻り、湿った服を着替えた人々は、着火の準備を進めていたの。

 もはや子供たちによる、抗議の声も絶えた後。どうしてここまで大人たちが強行するのか、先ほどの言葉を信じて、機を待つより他になかったそうね。

 そして西の山の端を、夕日が赤く照らしながら、その身を沈め始めたのを見計らって、かがり火には着火が試みられたの。

 子供たちが懸念した通り、湿った薪へ火をつけるのは容易じゃなかった。着き始めるまでの手間と時間だけでも、普段扱っている、乾いた薪のそれよりも数倍はかかっている。

 苦心しながら点けたとしても、今度は十分に火の手が回らない。代わりに、薪の山全体を覆い隠すようにして、煙がもくもくと湧いてきた。

 村人全員は、すでに口と鼻を布で覆い隠している。大人たちが予め出していた指示だから、こうなることは前もって分かっていたと判断してよいでしょう。子供たちがさんざん話していたことだから、どこにも感心することはないけど。

 

 最初は灰色の煙を吐き出していた薪たち。けれども、じょじょに空がその暗さを増していくにつれて、煙の色も黒く染まり出したかのような気がしたの。

 吐き出す量さえ多くなり、すでにどこまでが夜で、どこまでか煙か分からないほど、村の空全体を、煙たちがうっすらと覆い始めたわ。口と鼻を守っていた布たちも、濃くなっていく煙の密度に敵わなかったようで、せき込み始める者が増え始めてきたの。


「きつい者は休むことを許す。だが、煙は絶対に絶やすな。弱くなりそうなものがあれば、何度でもあぶってやれ」


 定期的に出される年長者の指示は、おおむねこのような内容だったわ。子供たちも追加の薪を「野ざらし小屋」へ取りにいかされることもしばしば。

 どうしてこれほどまでに、煙が立ち込める中、苦しみながら続けなくてはいけないのか。文句を言う元気もなくなりつつあった子供たちは、もはやひたすら言う通りに動いていくしかなかったわ。


 夜が更け始めても、変わらず煙は吐き出され続けたわ。もはや目がしょぼしょぼして、はっきりとまぶたを開ける者が、どれほどいるか分からないほどだったとか。


「まだまだだ。ここからが大事なところだぞ。くれぐれも……」


 ふざけるな、と毒づきたくなるくらいの無茶な指示は、強引に止められたわ。

 風。日暮れから今まで、こそりとも動かなかった空気が、轟音を伴って吹き付けた。たちまち、中央を囲う小さなかがり火のいくつかが崩れて、立ち昇る煙もその向きを乱されたの。

 すぐに立て直せ、と怒号が飛び交う中、村の空をすっぽり覆っていた煙たちの幕が、かすかに途切れたの。そこから覗くのは、真ん丸に輝くお月様。

 ただ、その色はいつもに増して青みがかかり、ガラス玉のようにさえ思えたんですって。いつもは映る、ウサギさんを模した黒い部分も見えず、いつもは見せない不思議な姿に、子供たちはつい見とれてしまったのだとか。

 けれども、傍へ寄って来た大人たちに、次々とその頭をはたかれる。


「動け。そのままでは沈んでまうぞ!」


 必死に自分たちの腕を引っ張ってくる大人たち。その背は、いつも以上に高く見えたの。その原因と言葉の意味を、視線を落として悟った子供たちは、悲鳴を上げたわ。

 いつの間にか足元の地面は、泥沼になっていたの。すでに各々の両足は水のようになった土の中にほとんど埋まってしまい、自力で持ち上げることができなかったようね。

 助け上げられながら見渡すと、あちらこちらのかがり火も、一部の大人たちも同じような目に遭っている。そこはいずれも煙が途切れて、直に月の光を受ける場所ばかりだったの。

 どうのか助け出された後も、この足元の騒動はしばらく続き、ついには一軒の家が傾くほどの事態に。

 けれども、途切れていた煙が供給され始め、再び煙が天を覆うと、地面は先ほどまでの状態がウソのようにおさまり、固さを取り戻したのだそうよ。


 子供たちは聞いたわ。あれは月がおめかしした姿だと。その月が出てくるのは、決まって朝から霧が出てくる、視界のきかない日。

 けれど、その姿は直に映してはならず、煙で隠さなくてはいけない。なぜならあの姿を見て、興奮のあまりに汗をかいてしまうのは、この大地。

 その肌はすっかり溶け落ちて、表面にいる私たちを、今のように地中へと引きずり込んでしまうのだと。


 今となってはその集落は残っていないらしいわ。

 月のおめかし。それを受け止める態勢を、誰も整えられなくなっちゃったのでしょうね。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ!                                                                                                      近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
[一言] おめかし月。 おしゃれな聞こえとは裏腹に、なんて恐ろしいことが起こるのでしょう。思わずゾクリとしました。 本日もお疲れ様です。 煙たさ、濡れた着物の不快感、夜空にうかぶガラスのような青い月…
[良い点] その土地に伝わる風習や、それが生まれた背景を紐解いていくのは、面白いものですね。 今となっては一見、異様な光景に見えたり、意味のないような行動にも、生きのびる知恵や教訓などが隠されていたの…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ