〖第六十四話〗私達、絆を深めました
夜の帳が眼前を遮るかの如く、都はいつもより光を失い、静寂に包まれている。
それは嵐の前の静けさに似て、風も無く、淡々と流れる水路の水音が、余計に静けさを演出しているかのようだ。
ディレザリサはそのまま家に戻るでもなく、考えをまとめる為に、中央通りに面する木造のベンチに腰掛け、足をブラブラと揺らしながら、天に浮かぶ星々をじっと眺めた。
星という物はどの世界でも変わらず、当たり前のように小さな光を放っている。
まるで、自分の存在を証明するかのようだ。
あんなに小さな光でも、肉眼で視認出来るという事は、その元は測り知れない光源なのだろう。
ディレザリサは「ふう……」と小さな溜め息を吐き出して、そのままベンチに寝転ぶ。
景色は天から地に戻り、昼間とは一変した、歩行者のいない、石を幾つも敷き詰めて作られた人工的な道と、茶色の煉瓦で組まれた家が並んでいる。
『北地区での暴動事件』後の都の夜は、それまでの夜とはあまりにも変わってしまった。
この時間に出歩くのは、兵士か、無法者達か、野良の獣類しか見当たらない。
然し、それすら視界に入って来ないとなると、巨大な都に一人だけ取り残された気分になる。
ディレザリサはそのまま身体を再び天に向けた。
足はそのままベンチに伸ばし、右手を地面にぶらりと垂れ下げて、左手は下腹部に置く。そして、ぶらりと下げていた右手を徐に空へと伸ばしてみた。
──昔、この星をもっと近くまで見てみたくて、自慢の翼で、上へ、上へと昇った事がある。だが、幾ら翼を羽ばたかせても、上空に浮かぶ星に届く事はなく、薄くなっていく酸素に耐えられずに断念した事があった。
あれから随分と空は遠くなったものだ……と、ディレザリサは伸ばした手の力抜いて、再びだらりと下げた。
そこで、『どうして近くで星を見たかったのか』をディレザリサは考察してみる事にした。
手に入れたかったから、だろうか?
壊したかったから、だろうか?
気に入らなかったから、だろうか?
──どれもこれも、自分が納得行く答えではなかった。
では、自分はどうすれば納得の行く答えに辿り着けるのだろうか……と思案してみて、ある一つの答えに辿り着いた。
それは『羨ましかったから』という、何とも単純で愚直な答えである。
「そうか、羨ましかったのか」と、ディレザリサは失笑した。
世界を恐怖のどん底に叩き落とし、人間達から恐れられた邪悪なる竜の王が、まさか頭上に輝く星に対して『羨ましい』と感慨するとは、夢にも思わなかった。
自分は生まれた瞬間から『恐怖の象徴』でしかないのに、頭上に瞬く星々は、『希望の象徴』として世界に君臨していたのが、羨ましかったのだ。
ディレザリサは今でも忘れられない事がある。
それは、初めて人間と相対した時の、その人間が恐怖に顔を歪める表情だった。
自分はただ珍しい生き物を見つけて近付いただけなのに、その人間は持っている弓で攻撃して来たのだ。
その時、自分が『恐怖の対象なんだ』と理解した。
それとも、竜としての本能だったのかもしれない。
気付けばディレザリサは、その人間を消し炭にしていた。
だから、自分が人間に寄り添うなど、不可能だと悟ったのである。
『自分を拒絶する世界なら、自分の手で壊してしまえばいい』
幼き頃の、とても身勝手な考えを実行に移した結果、気付けば『邪竜』と呼ばれ、戦乱の空を滑空していた。
では、この世界での自分はどうなのだろうか?と、自分に問い質す。
好意を寄せる、馬鹿者がいる。
下衆だが、何故か憎めない者がいる。
鬱陶しいが、拒めない者がいる。
自分が殺した、かつての好敵手がいる。
今まで体験した事の無い出来事の数々や、道中で知り合った者達がいる。
そして──、家族と呼んでくれた友がいる。
そうか……と、ディレザリサは気付いた。
羨望していた『星』は、『とっくに手に入れていたの』と。
「元の世界に戻る、とか、竜の姿に戻る、とか、そういうのは全てが終わってから考えればいい。私はまだ、この世界で欲しい物がある……そう、私は我儘なんだ。欲しい物は手に入れる。それだけじゃないか」
何も解決していない、とても陳腐な答えだが、これがディレザリサが導き出した答えであり、一番の最善策だった。
「さて……そろそろ帰るとするか」
身体を起こして、跳ねるようにベンチから離れる。
「流石に遅くなり過ぎたな……フローラに叱られるかもしれない」
そんな情けない不安を抱えながらも、ディレザリサの表情には微笑が浮かんでいた……。
* * *
石畳の階段を上り、自宅の扉を開けて、飛び入るように玄関を抜けた。
「うわぁッ!? 吃驚したぁ……随分遅かったけど、何かあった?」
フローラはリビングにある椅子に腰を掛けて、本を読んでいたようだ。
あまりにも急にディレザリサが帰宅して来たので、何事かと驚いたらしい。
それは、今まで読んでいたであろう本が、床に転がり落ちているのが証明となっている。
ディレザリサは床に落ちていた本を拾うと、テーブルの隅にに置いて「ただいま」と、なるべく冷静に返した。
「……どうしたの? ディレ」
肩で息をするかのように、荒々しく息をするディレザリサなんて、これまで見た事があっただろうか?
フローラはそんなディレザリサなどこれまで見た事が無い。
自分を抱えて壁伝えに飛び、屋根の上に移動しても息を切らしていないのに、目の前のディレザリサは、あまりにも不自然に見える。
それもそのはずで、ディレザリサはここまでの間、自分の体力のみで走って来たのだ。
いつもの『壁飛び』は自分の身体に魔力を巡らせて強化しているので、体力の消耗はしない。だが、自分の体力だけとなると話は別であり、その体力は年相応なのだ。
幾ら十代の体力とはいえ、東地区からここまでの距離を走るとなると、なかなかに辛いものがある。
「ちょっと……自分の体力の限界を知りたくなってな……」
「何それ」とフローラは微苦笑すると、調理場から水を持って来て、「どうぞ」と、ディレザリサに渡した。
ディレザリサは渡された水をグビグビと喉を鳴らしながら飲み、全てを飲み終えた後、「ふぅ……」と呼吸を整えた。
「それで? 何があったの?」
「ああ、それなんだがな……」
ディレザリサは『ミッシェルが死霊の宴の創設者だった事』と、『ミッシェルの勝負を受けた事』と、『今まで自分が何をしていたのか』を端的にフローラに伝えた。
「嘘……でしょ……? あのミッシェルが……? と言うか、何でそんな勝負を引き受けたの!? あぁもう!! 一気に色々とあり過ぎて頭がごちゃごちゃだよー!!」
そう言ってフローラは椅子に座ると、テーブルに項垂れるように倒れ込んだ。そして、ディレザリサを横目で直視しながら、不満そうな声で「それで? 一人で行くんでしょ?」と訊ねた。
「それが奴の定めた勝負の規則だからな……。勝手に決めて済まないとは思う」
「もう……。分かった」
フローラはテーブルから身体を起こして両手を広げた。そして「ん!」と、ディレザリサを招くように声を上げる。
だが、ディレザリサにはそれで伝わらなかったようで、首を傾げていた。
「いいから! 来る!」
「あ、ああ……抱擁したかったのか」
ディレザリサは膝を床に着いて、フローラの胸の辺りに頭が当たるような姿勢まで屈み、そのまま身体をフローラに預けた。
「ディレ。絶対に死んだら駄目だからね……。私を一人にしないでね」
「うん」
「お願いだから……ね……?」
「うん」
「絶対に……絶対に帰って来てね……? 約束だからね……?」
「分かってる」
フローラの瞳からは、不安と、寂しさの詰まった大粒の涙が溢れ、ディレザリサの頬に降り注いでいる。
出会った時から今まで、ずっと一緒だったのだ。
寂しさもあるだろう。不安だってあるだろう。
一人になって、孤独に苛まれたりもするだろう。
ディレザリサと一緒だったから、フローラは立ち直る事が出来た。
ディレザリサと一緒だったから、辛い事も忘れられた。
「まるで、永遠の別れみたいじゃないか……」
次第に、ディレザリサの瞳にも涙が滲む。
胸が苦しい───、息をするのも一苦労するような、喉を締め付けられる感覚は、生まれて初めての経験だった。
「一緒にいたいよ……ディレ……。離れたくないよ……」
「ごめん……ごめん……」
「一人にしないで……。私も連れて行って……。置いてけぼりはもう……嫌なの……」
「ごめん……本当にごめん……」
どうして自分まで泣いているのか、それを考える暇も無い程に、ディレザリサはフローラと共に涙を流していた。
そのまま時間は流れ、ようやく嗚咽も止まる頃、二人はゆっくりと離れた。
「ディレ、酷い顔だよ……?」
「フローラこそ、言えたものではないぞ……?」
お互いの顔を見て朗笑すると、気分も晴れたのか、フローラは椅子から立ち上がり、「夕飯の支度をしてくるね!」と、軽い足取りで調理場へと向かって行った。
「これが、家族というものか……悪くないな」
ディレザリサは先程までフローラが座っていた椅子に腰掛け、気分が良いので、久しぶりに歌う事にした。
何処かにいる──、食いしん坊精霊の歌を。
「ディレ! その歌だけは駄目ー!」
再び、いつもと変わらない時間が、二人の間で流れ出した……。
* * *
翌朝になり、ディレザリサは朝の日課とも言える、食後のティータイムを満喫している。
「ねえ、ディレ?」
昨日、あんな事があったのに、いつもと変わらないディレザリサを不思議に思ったフローラは、お代わりのスリータをディレザリサのカップに注ぎながら訊ねた。
「結局、いつ旅立つの?」
「さあ? 奴次第だな」
何ともいい加減な……と、思いつつも、フローラは自分のカップにもスリータを注ぎ、ディレザリサの隣で流暢にスリータを啜っていた。
部屋の中はスリータの香ばしい茶葉の香りが立ち込めているが、このままただ待っているだけで良いのか──と、ディレザリサを見つめてみる。
然し、こういう重大な事件が突発した時、ディレザリサが狼狽えるような素振りは、フローラはこれまで一度も見た事が無いので、「まあ、こんなものか」と、時が流れるのを待つ事にした。
そうして、フローラがスリータを飲み終える頃に、ディレザリサは何かを思い出したかという勢いでポンッと手を叩く。
「フローラ! 食事はどうすればいい!?」
「食事?」
「ああ。この姿で一人旅はした事が無い。だが、野宿するにも料理をしなければならないが、私は料理が出来ない!! これは由々しき事態だぞ!?」
「あ、ああ……そうね……」
由々しき事態が『食事問題』というのもディレザリサらしいと言えばらしいのだが、せめてもう少し緊張感を出して欲しい……と、フローラは呆れた。
「じゃあ、簡単な料理でも教えようか?」
「そうして、私が挑戦した結果を知らないフローラではないだろう?」
「確かに」とフローラは頷く。
以前、ディレザリサに料理がどうやって作られているのかを説明した事があった。
その際に簡単な調理を教えてみたのだが、食材の微塵切りを頼めば見事に粉微塵にし、肉を焼くのを頼めば消し炭にするという、とても最悪な結末を迎えた。
「じゃあ、なるべく野宿を避けるか、野宿する事を考えて、事前に食べ物を買っておくしかないね」
「うむ。それもそうだな。では、何か適当な物を買ってくるとするか」
「え? 今から買いに行くの?」
「そうだが……因みに、どんなのが日持ちする食べ物なんだ?」
「不安だから私も行くよ……」
こうして二人は家の外に出て、買い物をする事にした。
【続】
読んで頂きまして、ありがとうございます!
試行錯誤の末、ようやく『自分の書き方』が見えて来ました。ですが、もっと良くなるはず!と、これからも日々成長出来るように、勉強しながら書いて行きます!
そして、いつの日かランキング入りする事を夢見て!!
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ここまで読んで頂きまして、ありがとうございました!!
by 瀬野 或




