〖第六十三話〗私、喧嘩を売られました
夕暮れ時のレイバーテインは、水路の水面に映る夕日がとても美しく、道をキラキラ照らしているかのように反射していてた。
所々から夕飯の支度をしているのだろう、家庭料理の良い匂いが風に乗ってディレザリサの鼻を擽ると、ギュルルと腹の虫が鳴った。
隣にいるミッシェルを見ると、彼は前を見つめて歩くだけで、こんなに良い香りが漂っているのに、特に気にも留めていない様子だ。
暫く道なりに進むと、ミッシェルは思い出したかのようにディレザリサを横目で一度覗き込み「送って貰えると思ってなかったです」と微笑んだ。
ディレザリサは目線を前に向けたまま、「夕方になると危ないからな」とだけ返した。
然し、本音は「送るとは思っていなかった」と言いかけたのが正直な所で、それを喉元に押し込み、取り留めのない返事だけで済ませた。
「北地区の事件もありましたし、ディレさんも夜道は気を付けて下さいね?」
気を付けて……か、ミッシェルがディレザリサを慮るのを見て、自分はやはり、人間の女にしか見えないんだなと再確認しながら「そうだな」と、一言だけ返した。
実年齢はとうに忘れたディレザリサだが、現在は齢十六くらいの少女にしか見えない。
それを嘆くような事も無いが、それでも──こんな男だか女だか分からない者に心配されるくらいには、幼く見えるのだな──と、今更ながらディレザリサは苦々しく笑う。
然し、それを不愉快とは思わなくなった。
それは、ディレザリサが『人間』という種族を理解し始めてきた証拠なのだろう。
もしも──、これは絶対にあり得ない『もしも』だが、元いた世界で、自分が人間を理解しようと歩み寄っていたら、殺伐とした日々を送る事にはならなかったのではないだろうか……? と、一考してみたが、竜という存在は人間にとって恐怖の象徴であり、自分も竜としての誇りがあったので、そんな鬱屈した心情など有り得ないだろう。
その頃の自分が今の自分を見たら、『腑抜け』と呼ぶに違いない。
「腑抜けか……。確かに私は腑抜けたかもしれないな」
「ディレさん? どうかしましたか?」
ディレザリサは「何でもない」と一言すると、ミッシェルはそれ以上踏み込む事をせず、視線を外した。
やがて進んで来た道が二手に分かれる。このまま進めば東地区に辿り着くのだが、ミッシェルは「ディレさんがいるので、裏道からの近道を通っても良いですか?」と提案してきた。
この世界でディレザリサの脅威となる存在は今までいなかったので、特に臆する事なく二つ返事で承諾する。
「ありがとうございます。じゃあ、行きましょう」
光り輝く水路の横にある、建物と建物の隙間、人が一人通れるくらいの幅の道を進む。
こんな道、よく知っているものだ……そう思ったが、この都に住んでいるなら抜け道の一つや二つ知っているのは当たり前だな、と、特に警戒する事無く進んで行く。だが、少し変だ──と、ディレザリサは疑念を抱いた。
裏路地には少なからず無法者共が蔓延っている。そんな道を、こんな子供が通るものだろうか?……と。
この道を知っているという事は、即ち、以前から利用しているという事であり、危険だと思われる道を子供一人が通行するというのは、あまりに不自然ではないだろうか?
ディレザリサは「この道を普段から使っているのか?」と、道の半ばで立ち止まりミッシェルに問う。
「はい。別に怖い事もないですから」
自分が襲われる確率の高い裏路地に入って、怖くないという事はあるのだろうか? それは自分が『襲われても捩じ伏せる事が出来る』自信がある……という事になる。
ミッシェルはそんな強さを持っていないはずだ。
もし、そんな力を持ち合わせているのなら、複数人に囲まれたとしても自分の力で対処出来る。
「お前、本当にミッシェルか?」
この疑問は、実はこの路地裏に入った時から思っていた。
人気の無い路地裏に、微かに漂う『魔』の臭い。鼻を劈くような『死臭』が、ほんの僅かに漂っている。
この臭いの正体を、ディレザリサは知っている。
これは、魔の者が放つ『瘴気』特有の臭いだ。
「何言ってるんですか。僕はミッシェルですよ。ミッシェル・バークレイズです」
「この道に来てから、若干だが瘴気を感じる。裏路地には無法者共が蔓延っているから、そいつらのものかと思ったが……この道にはお前と私しかいない。つまり、この瘴気はお前から溢れているという事になるが……もう一度問うぞ? ──お前は本当にミッシェルか?」
ミッシェルはディレザリサの前を歩き、適当な所で立ち止まるとゆっくり振り向いた。その表情は変わらず、今まで接してきたミッシェルそのものだった。
然し、ディレザリサの知るミッシェル・バークレイズは、こんな禍々しい力を纏っていない。
「やっぱりバレちゃうか……。流石、邪竜・ディレザリサだね」
ディレザリサはそれを聞いて、焦りと共に後ろへ飛び、ミッシェルから距離を取る。
知っているはずがないのだ、ディレザリサが竜である事を。
然し、ミッシェルはそれを言い当てた。
まるで、以前から知っていたかのように──。
「──誰だ、貴様」
目の前にいる男は、以前の、自分が見知っているミッシェルではない。ミッシェルの皮を被った、ミッシェルに似て非なるものだ。
「僕? 可愛い可愛いミッシェル・バークレイズだって、さっきから言ってるよ?」
「嘘だな。その瘴気は覚えがあるぞ。差し詰め、魔王の遺産とかいう骨董品だろう」
「骨董品……? あはははッ!!」と、ミッシェルに似た何かは嘲るように笑った。
「当たらすとも遠からず──かな? 僕は死霊の宴の創設者、ミッシェル・バークレイズだよ」
「その創設者さんが私に何用だ? 私を竜と知って臆さないのは褒めてやるが、場合によっては消炭にするぞ」
「いやいや、怖いなぁ……」と、まるで恐怖を感じていない素振りで、ディレザリサを見下すように嘲る。
「どうして私に近ずいて来た。あんな芝居までして……何が目的だ」
「僕の目的は君だよ、ディレザリサ」
「私に会うのが目的か? 私に近付くのなら、他にも手段もあったはずだ」
「ただ会うだけじゃつまらないだろう? 僕は芝居が好きなんだよ。だから、少し演技ってものがしてみたくてさ。ねぇ、どうだった? 本気で僕があんな雑魚に恋してると思った? まあ、異性になるのはちょっと興味があるけどね」
「悪趣味な奴め」と、ディレザリサは蛆虫を見るような軽蔑の目を向ける。
ミッシェルは退屈になったのだろうか、大きな欠伸をすると、「あのさ」と切り出した。
「そんなに警戒しなくても良いじゃん。僕は君の〝御主人様〟なんだよ?」
「──何を言っている?」
ミッシェルは「分からないの?」と、少し呆れ顔になりながらディレザリサに質問を投げかける。
「じゃあ、君はどうやってこの世界に来たの?」
「それは、私がいた世界で人間共が転移魔法を──」
「──その魔法を使ったのは僕だよ」
「ば、馬鹿を言うなッ!!」
ディレザリサの心臓が畝るように脈を打つと、額からは焦燥の汗が垂れた。
ジリジリとした空気が喉を通る度に、焼け付くようにへばり付く。
そんなはずはない──と、ディレザリサは否定しよとするが、否定するだけの証拠が何一つ無い事に気付いた。
頭の中が真っ白になるくらい、動揺を隠しき切れないディレザリサは、もう一度、ミッシェルの言った事を整理する事にした。
もし、ミッシェルが言っている事が真実だとするなら、ディレザリサが探していた『元の姿』と『元の世界への帰還』の手掛かりを握ってるのは、目の前にいるこの男という事になる。
そうなると、ミッシェルを殺す事が出来ない。
もしこの場でミッシェルを殺してしまえば、ディレザリサの所願を成就する事は出来なくなってしまう。
「僕の言いたい事が大方理解出来たかな?」
「つまり、私を元の世界へと還すのを条件に、何かさせようという魂胆か……」
ミッシェルは「ご名答だよ」と、芝居染みた拍手を数回する。
「これから君には破壊の限りを尽くして貰うよ?」
「生憎だが、それは無理な相談だ。今の私にそこまでの力は残っていない」
「本来の力の半分を失ってるから……だよね? それなら心配無い……僕が〝持っている〟から」
そんなはずは無い……そう言い切れるのだろうか?
自分の力の半分を奴が持っているとして、では、それをどう所持しているのだろうか?
それを察したのか、ミッシェルは「これを見てくれるかな?」と言って、胸元から掌に収まる程度の大きさの紅に輝く宝石を取り出した。
その宝石の内部では、青い炎が所々でその宝石の内壁を打ち砕こうと、激しく燃え盛っている。
「僕はこの石を竜の息吹と呼んでいるんだけど、これは、君の力の半分を封じ込めた魔石なんだ」
「どうして……お前がそれを……!?」
「僕は君の召喚者だよ? 君を召喚する際に、君の力の一部を封じ込めたんだ。僕の言う通りの動いて貰う為に、ね?」
(要するに、人質代わり……か)
「本来なら死霊の宴の本拠地に召喚するつもりだったんだけど、ちょっとこっちでトラブルがあってね……でも、見付けられて良かったよ」
「……」
ディレザリサは再び考えた。
あの力は本来ディレザリサの物であり、ディレザリサが渇望していた物だ。然し、アレを手に入れると引き換えに、人間に使役されるというのは、誇り高き竜として、良しとするだろうか……?
──答えは、否、だ。
確かに提示された物は魅力的だ。
だが、それは『奪われた物』であり、既に『ディレザリサの物』では無い。
全く、本当に腑抜けたものだ……と、ディレザリサは我に返った。
奪われるくらいの力なら、そもそもそんな力は不要。アレは奪われる程度の力だったのだろう。そんな力、こっちから願い下げだ……と、ディレザリサの眼に再び光が戻る。
「この力があれば、君は、本来の姿を取り戻せる。どうだい? もう一度竜として君臨して、破壊の限りを尽くしてみたいと思わない?」
「──断る。翌々考えれば、私はこの姿が気に入っているんだ。それに、この世界もなかなか面白い。多少不便ではあるがな。 故に、そんな力は貴様にくれてやろう」
思わぬ事態に吃驚したミッシェルは目を丸くするが、そこはやはり死霊の宴の創設者である。
こういう事態に陥っても取り乱す事無く、不敵な笑みを浮かべた。
「やっぱり駄目か……。まあ、想定の範囲内だけどね……あーあ、振られちゃったよ。でも、君を動かす策はまだあるんだ」
それは何だ──と言い掛けたが、ミッシェルはディレザリサの言葉を遮るように「フローラって、可愛いよね……」と呟き、意味深に笑う。
「彼女が大切なんでしょ? 君の唯一の弱点を、僕が突かないはずがないじゃないか。君の返答次第で、フローラの命がどうなるか……分かるよね?」
「……」
ミッシェルはディレザリサに近付くと、肩を叩いた。
「これで、君は〝僕のペット〟って事になったわけだ」
「……」
「さあ、ついておいでよ。 君の新しいお家に案内してあげる」
もう、限界だ───。
「何か言った?」
「限界だ、と言ったのだ。貴様は私を怒らせたぞ? フローラが弱点? 笑わせるな。フローラは私の弟子だぞ? 言わば〝邪竜の魔女〟だ。ああ見えて、魔力だけは人一倍ある。それが弱点だと……? 片腹痛いわ」
「……あの子に、そんな力があるとは思えないけどね」
ディレザリサは肩に触れているミッシェルの手を払い除けた。
「ならば試してみるがいい。貴様のお友達を、あの家に送ってみれば分かるはずだ」
「ふぅん……。君がそう言うのならそうなんだろう。それで、僕を殺す? そうすれば元の世界へ帰るなんて夢のまた夢になるよ?」
「殺す……? 私も随分と舐められるようになったな」
ディレザリサは殺意をその眼に宿し、ミッシェルを睨みつける。
「──ッ!?」
「臆したか。なら貴様はその程度という事だ」
「フフフッ……アハハハッ!!」と、ミッシェルは暫く高笑いをして表情を一変させると、まるで憎悪に満ちた笑顔をディレザリサに向けた。
「最高だよディレザリサ!! ねぇ、僕と勝負しよう?」
「ここでか?」
「違うよ。 僕はこの前〝四本の魔剣〟を各地に飛ばしたんだ。それを〝君一人〟で破壊してみせてよ。それが出来れば君の勝ち。僕を煮るなり焼くなり好きにすればいい。もしそれが出来なければ、僕に従ってもらうよ。どう?」
「私はいつでも勝負を受けて来た。いいだろう」
「場所は後日教えてあげる。待っててね?」
そう言い残して、ミッシェルは裏路地の影に溶け込むようにして、その姿を消した。
残されたディレザリサは、何事も無かったかのように踵を返して、来た道を戻って行く。
気付けば夕暮れの太陽は沈み、夜の闇が辺りを包み込んでいた。
【続】
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by 瀬野 或




