〖第六十話〗私達、ある意味襲われました
どうして他人はこんなにも穢いのだろう。
どうして世界はこんなにも醜いのだろう。
どうして……どうして……。
そう繰り返す度に、頭の中を……脳を抉られるかのような、耐え難い痛みが襲う。
「こんなにも腐ってしまっているのに……臭い……」
窓から眺める都は、まるで腐った果実のようにドロドロと溶けていく。そして、ドロドロに溶けた外角から出て来るモノは、死体で積み上げられた建造物。壁となっている無数の人間達は、苦痛に顔を歪ませながら助けを乞うかのように手を突き出していた。
これを美しいと言うのなら、もう『美』という概念など無くなってしまえばいい……とさえ、その者は思う。
物事の本質とは、この死体の建造物のように醜く、穢い。
溶けだした外角だけを褒め讃えるのなら、そんな物は壊してしまえばいい。
──故に、その者は破壊する事にした。
人間を、建物を、世界を、その全てを壊す『破壊者』として、この世界を救済すると誓った。
この者こそ死霊の宴の創設者にして、この世界の天敵『魔王に一番近い存在』である。
「こんな物に、何の価値があるだ……?」
薄暗い部屋の中にある『国旗』を握り締めて、それを宙へと放り投げると、その者は腰に付けていたナイフで串刺しにし、壁に貼り付けた。国旗はまるで身体貫かれ、項垂れた人間のように撓垂れる。赤い国旗は、まるで自らを染め上げる赤い血のようだ。
「もう直ぐだよ、国王陛下。貴方が崩御する日は近い……」
その者は、壁に貼り付けるように飾ってあった四本の剣に自身から溢れる力を注ぐ。すると、壁に貼り付けられていた剣達は、まるで息を吹き返すようにドクン、ドクンと脈打ち始めた。
──これは、サタンズ・ギフトと呼ばれる魔王の遺産である。
「君が正しかったという事を、証明してあげなきゃね……魔王」
魔剣達は次々に壁から剥がれると、窓を通して散り散りに飛び出して行った。
それを満足そうに眺め、これから始まるであろう宴に、その者は思いを馳せる。
そして───
「〝彼女〟はいつになったら目覚めてくれるのかな……?」
……と、口元を歪めたのだった。
* * *
中央大陸に戻ってから数日が流れた───。
あれからというもの、すっかり姿を見せなくなった五将の面々だが、相変わらずこの家に入り浸っている者が一人だけいた。
「ああ……ディレザリサ様……今日も御身はお美しいです……」
少女の足にスリスリと頬擦りをするという聖職者にあるまじき姿を晒している、ナターニャ・フィクセスは今日も絶好調のようだ。
これでも五将の一人『愛将』と言われる存在で、精霊に愛され、神にも愛されていたこの女は、自らが誰かを愛するという事を知らなかった。だが、ある女性と出会い、そして『恋』に堕ち、その女が死んでしまった今では、ディレザリサを溺愛する程にまで『同性を愛する事』に堕ちている。
「た、頼むから離れてくれ……」
「も、もう少しだけ……ディレザリサ様成分が不足しているのです……」
そんな成分あってたまるかと、強引にでも剥がそうとするのだが、がっちりと掴んだ腕は、ディレザリサの足を掴んで離さなかった。
「すべすべの肌……癒されますぅ……」
「フローラ……助けてぇ……」
ディレザリサは半分涙目で訴えるが、もう見慣れてしまった光景だけに、フローラも動揺する素振りを一切見せない。それ所か「相変わらず愛されてるねー」と、この状況を楽しんでさえいた。
「ナターニャに愛されたくないッ!!」
「そ、そんなッ!? でも、そんな表情も素敵ですぅ……」
「あはは……」
あまりにも平和そうに見えるが、バリアスが抜けたという事で、この国はかなり揺れている。
誰がバリアスの跡を継ぐのか、バリアスをそのままにしておいて良いのか、そういう議論が都のあちらこちらでされているのは、もうお馴染みの光景になりつつあった。
「──それで、結局どう落ち着いたんだ?」
ディレザリサは未だにへばりついているナターニャを、もう片方の足でガシガシと剥がそうとしながら問い掛ける。
「それは国家機密なので、幾らディレザリサ様と言えども、お伝え出来ないのです……」
ナターニャは申し訳なさそうな顔をしつつも、頬擦りを止めない。きっと、レウター辺りが情報漏洩する事が無いようにと口止めをしているのだろう。
それならと、ディレザリサはナターニャを片足でツンツンと突っつき、邪悪な提案をした。
「もう一本……フローラの足でどうだ……?」
「──えッ!?」
フローラはまさか自分も巻き込まれるとは思っていなかったので、瞳を爛々と輝かせているナターニャに、今やっと恐怖を覚えた。だが、腐っても五将であるナターニャは、それでも口を割る気は無いらしく、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら「くっ……もう一声……」と小さく呟く。
「フローラの足二本でどうだ!!」
「乗った!!」
「ちょっとッ!? 嘘でしょうッ!?」
国家機密が、まさか少女の生足三本で漏洩するとは、きっとレウターでも思わないだろう。
「これも修行だ、フローラ」
「こんな修行、絶対嫌……」
ナターニャは並んだ三本の足を抱き締めながら「はぁ……」と感嘆の溜め息を零す。
「ナターニャ様って、本当にド変態ですね……」
思わず口から出た言葉だったが、相手は腐っても五将であり、自分よりも身分が高いので、フローラは直ぐに「すみません!!」と謝罪した。然し、ナターニャは寧ろご褒美とでも言うように、身体を震わせながら、この幸福を何と表現すべしか……と、今にも昇天しそうである。
「ナターニャ。そろそろおしまいだ」
「そ、そんな……も、もう少しだけ……ッ!!」
「私達の生足は、国家機密より高いと知れ」
「───ッ!! 仰る通りです。申し訳御座いません……」
「違いますよッ!? そんな事ありませんよッ!?」
自分達の生足の価値が国家機密より高いなんて事は、絶対にあってはならない。フローラは今度レウターに会ったら、ナターニャにだけは国家機密を話さないように注意しなければ……と心に誓った。
「さあ、話してくれるな?」
その問いかけに、ナターニャは静かに「はい」と返事をして、どうなっているのかを話し出した。
「バリアスの脱退は、五将及び、国の一大事でもあります。何とかしてその穴埋めをしなければと、今、新しい人材を探している最中です。また、バリアスは〝逃亡犯〟として指名手配され、これからは〝ディルダ級犯罪者〟として、私達に追われる事になります」
「まあ、当然そうなるか……」
バリアスはこの国の骨幹を担っていたのだ。他国に漏らされてしまえば、直ぐにこの国は攻め落とされる可能性だってある。故に、早く所在を見つけ、捕獲、或いは、最悪口封じする必要があるのだ。
つまり、五将は『死』以外の理由で抜ける事が出来ない。
それだけ重要な立ち位置にあるのだ。
「でも、かつての仲間なのに……」
フローラにはそれが残酷な話に聞こえただろう。だが、もしこれが他国だけでなく、国と敵対する勢力に情報が渡れば、それこそ最悪な事態に成り兼ねないのだ。
「バリアスの居場所の見当は付いてるのか?」
「いえ……彼は高度な魔法技術を持っていますので、多分結界を張っているのかと……」
「結界魔法は奴の十八番だったな」
「ええ……。不可能と言われていた〝三重結界〟を生み出したのは彼ですからね……、賢者の異名は伊達ではありません」
フローラの頭の上には『?』が幾つも浮かんでいた。
「三重結界は、どうして不可能だったのですか?」
「元々結界という魔法は魔法に非ず、言わば〝魔力の盾〟と言っても過言ではない程に魔力を消耗します。なので、幾ら魔法に長けた者であっても二重が限度だったのです。それを可能にする魔法陣を編み出したのがバリアスで、そのおかげでこの国の魔法技術は激的に進化を遂げたました……」
『物に魔法を定着させる技術』を編み出したのもバリアスであり、その成果も があって暮らしが更に楽になっている。また、その技術を応用して作られたのが『魔装弾』でもあるのだ。つまり、バリアスを味方に出来れば、飛躍的な進化を遂げられる。
然し、一番重要なのがバリアスが反旗を翻す可能性についてだ。
バリアスはレウターを『邪悪な者』と呼んでいるので、国に対して攻撃を仕掛けてくるというより、レウターに対して攻撃を仕掛けてくる可能性が高い。そして、レウターがもしバリアスに敗れた場合『五将総括』が失われる。そうなると国が傾くので、どちらにせよバリアスを放置すると、国に危険が及ぶ事になり兼ねないのだ。
「そ、そんなに凄い人だったんだ……」
「あの魔剣がバリアスの姉ではなかったら、バリアスも後れを取る事はなかっただろうな」
「私はその場にいなかったので分かりませんが、確実にバリアスは勝利したと思います」
男嫌いのナターニャがここまで評価しているのは、バリアスが相当な魔法使いだったからだろう。それ程に『賢者』の称号は伊達ではないという事だ。
「五将は今、全員城に待機しているのか?」
「はい。遠征から帰ってきたグライデンも、今は城に常駐しています」
「グライデン様って、確かこの前の北地区で起きた暴動を収める為に出撃して大怪我をした方ですよね? 怪我はもう大丈夫なんですか?」
「彼は身体が頑丈なので、唾でも付けておけば治ります」
その口調は、あまりにバリアスの事を話す時と違い、かなり強くなっていたので、ナターニャはきっとグライデンが嫌いなんだな……と、察した。
今、五将を城に常駐させているという事は、バリアスが攻めて来ても対応出来るようにしているのだろう。だが、バリアスが攻めて来るのはあくまでも『可能性』の話であり、ここまで警備を厚くする必要はあるのだろうか?と、ディレザリサは考える。きっと、これを手配しているのはレウターだろう。
レウターが何を考えて行動しているのかが、今回の肝になっている気がする。
「私が話せるのはこれくらいです……そんな事より!! 私はディレザリサ様方が監視されているのが納得出来ません!!」
「あぁ……それか……」
南大陸での一件以来、監視をしている兵士が家の付近を彷徨いている。故に、ディレザリサ達は家から出るにも、見張りの兵士に行き先を告げてから出掛けなくてはならない。
「まあ……半分はディレが悪い気もするけどね……」
レンデスでの被害は、実を言うとディレザリサが放った『嚔程度』の火炎球が主な被害で、魔剣の被害はそれ程無かった。
この被害は名目上『魔剣の被害』となっているのだが、町を破壊してしまったディレザリサが無罪放免という事にも行かず、こうして『監視対象』となってしまったのだ。唯一の救いだったのが、この監視任務に付いたのがハイゼルの部下になった、かつて『番犬』と呼ばれた男『ロイス・バーベイル』である事。
ロイスはディレザリサの事情を知らないが、五将と縁の深い間柄という事は知っている。なので、少なからず融通の利く相手だ。今では軽く話をするくらいには、仲を深めている。
「あれくらいで被害と言うには、些か大袈裟過ぎると私は思うが……」と言いかけそうになったが、ディレザリサはその言葉全てを喉に押し込んだ。
竜であった頃のディレザリサなら、あんな町の一つくらい、直ぐに灰燼と化すだろう。それを思えば、あの程度の被害なんて被害の内にすら入らない。
だが、今は違う───。
一人の人間があれ程の魔力を使い、数件の民家に風穴を開けたとなると話は別になってくる。幾ら人間に対して敵対心を持っていないとあっても、それを容認する事が出来ない。
それ程の力を所有している者を、野放しにする訳にはいかない。例え監視が建前だったとしても、そうせざるを得ないのだ。
「私は何度も抗議したのですが……」
「その気持ちだけで充分だ。ありがとう」
「勿体無いお言葉……では、褒美にもう一度御御足を……」
「調子に乗るな!」
この都で、また何か嫌な事が起きそうな予感を抱きながらも、ディレザリサ達はひとときの安らぎに浸ってい‘た……。
【続】
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by 瀬野 或




