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私、元は邪竜でした  作者: 瀬野 或
四章 邪竜と賢者 〜東大陸 観光地レンデル 地獄の炎編〜
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〖第五十九話〗船旅、最後の夜でした


 すっかり日が落ち、夕暮れの太陽が海を赤く染める。

 潮風も昼間より冷たくなり、ディレザリサが甲板にやって来て右肩を叩くまで、フローラは一人、静かに甲板に佇んでいた。


「レウター達の事は、もう心配無い。後はアイツらが考えるべき事で、私達が首を突っ込むのはお門違いだ」

「そうだね」


 フローラはいつの間にか『少女化』の解けたディレザリサを見て、何だか可笑しくなりクスリと笑う。ディレザリサはそれに「ん?」と小首を傾げながらも、取り分け気にする事なく、フローラと一緒に夕日を移す海を眺めた。

 夜には中央大陸へと到着するだろう。観光をする暇も無く、慌ただしい三日間だった。心残りがあるとするなら、果物商のエドガーに会えなかった事で、フローラは「会えなかったね」と、お世話になった知人を想うように囁いた。


「また来ればいい。そんなに遠い場所でも無いしな」


 この船の原動力はどうやら魔力らしく、普通の船よりも早い。なので、普通の船で二日は掛かる船旅も、この船でなら一日で行ける。ただ、この船は『軍』の所有船であり、次に南大陸へと渡る時は、民間の船を利用しなければならない。


「それもまた、旅っぽくて良いかもね」

「そうだな。次は〝観光目的〟で、違う大陸に行ってみたいものだ。竜だった頃(以前の私)なら、翼でひとっ飛びだったんだが……」


 それを聞いたフローラは「背中に乗せてくれる?」とディレザリサに質問すると、ディレザリサは思わず吹き出してしまった。


「剰え〝邪竜〟と呼ばれた私の背中に乗りたいと言った人間は、フローラが初めてだ」


 あの頃の自分を想像してディレザリサは再び笑うと、フローラは少し真面目な表情で答えた。


「例え邪竜の姿になっても、ディレはディレだし、私の大切な家族だよ」

「それは私の姿を見た事が無いから言える事だと思うぞ? 普通の人間なら逃げ出すくらいだからな」


 然し、フローラは笑顔で答える。


「それでも、だよ。ディレは私の大切な家族だもん。私に残された唯一の家族、だよ」

「──そうか。なら、その言葉を信じよう」

「うん。私はディレが大好きだから……家族として、ね?」

「……ありがとう」


 これでは、どちらが慰めに来たのか分からないな……と、ディレザリサは苦笑いを浮かべながらも、自分にはよく分からない『家族』という絆が、きっと自分とフローラの間には出来ているのだろうと、心の中が暖かくなるような感覚を覚えた。


「そろそろ戻ろう。風も冷たくなってきた」

「部屋に戻る前に、ハイゼル様の容態を見に行ってもいい?」

「あ、あぁ……。じゃあ、私は先に部屋に戻っているよ」

「……?」


 まさかフローラに先程の事を伝えられるはずもない。今、ハイゼルと顔を合わすのは、何となく気が引ける。なので、ディレザリサは戦略的撤退を選んだ。

 


 * * *



 自分の部屋に戻ったディレザリサは、ベッドに倒れるようにして寝転ぶと、濃すぎるこの三日間を振り返る。

 ディレザリサが一番腑に落ち事は、過酷な旅になると知って、フローラを同行させたレウターについてだ。

 必ず戦闘が発生するであろう場所に、戦闘経験が乏しいフローラを導入するなど、レウターは何を考えている?……と頭を巡らせて、確証は無いが、レウターなら考え兼ねない最悪な答えを導き出した。


(まさか……フローラを使って魔剣を再び封印しようとしていたのか……?)


 結果として封印せずに終わった事件だったが、もし、あの場にディレザリサがいなかったら、レウターはバリアスにフローラを代償にして、再び封印させようとしていたのかもしれない。


(まさかな。奴もそこまで外道ではないか……)


 然し、それはあまりにも想像が容易く、そして、レウターが考えそうな最も最悪な手段である。

 バリアスはレウターの事を『邪悪』と呼んでいたが、では、『邪竜』と呼ばれていた自分はどうであったのかと想像すると、行き着く先はレウターと同じ答えになっていたかもしれない。


(そんな事、有り得ない……と、言い切れるのか?)


 大空を駆け回り、破壊の限りを尽くした人間の天敵、邪竜ディレザリサなら、レウターの考え方を理解出来てしまう。それが、堪らなく嫌だった。

 自分はどうして人間の肩を持つのか?

 劣等種族である人間を庇い立てするのは、フローラ・カジスという人間の影響が大きい。

 彼女の優しさや温もりは、今まで殺伐とした世界で生きてきたディレザリサにとって、とてつもなく大切な存在になっている。

 では、もしこれが元の世界、アレキアだったとしたらどうだろうか?

 やはり自分は、フローラを喰い殺すのではないだろうか?

 それでも彼女は、自分を家族と呼んでくれるのだろうか……。


(痛い……苦しい……心臓が、張り裂けそうだ……)


 自分はあまりにも人間を知り過ぎてしまった。

 自分が、あまりにも人間に近付いてしまった。

 それが、ディレザリサにとって恐怖でもある。


 自分の中の自分が再三問い掛けて来るのだ。

 本当に、竜の姿を取り戻すべきなのか、と───。


 

 * * *



 気が付けば、いつの間に眠ってしまったらしい。

 毛布が身体に巻き付いているのを見ると、寝惚けながらに毛布の温もりも求めていたのだろう。

 そう言えば、あの山小屋でフローラに助けて貰った時も、確かこんな事があった気がする。あの一件以来、ディレザリサは毛布が気に入って、寝る時はいつも毛布を自分の身体に巻き付けるようにして眠る。

 暫くボーっとしながら部屋の天井を眺めていたが、お腹の虫がぐぅーと鳴り、そう言えば昼食を食べていない事に気付いた。


(しまった……何とも勿体無い事をした……)


 人間になってから、一番の変化は『味覚』だとディレザリサは感じている。無論、一番の変化は『容姿』なのだが、それ以上にディレザリサは『食事』に関して重きを置いている。だが、取り分け『美食家』という訳ではない。寧ろ『雑食』であり、それは竜の頃から変わっていないようだ。

 ギュルギュルと鳴り続ける腹の虫を何とか抑えながら、ディレザリサは食堂へと向かった。だが、食堂に辿り着いて、ディレザリサは目の前にある光景に絶句してしまう。


「閉まっている……だと……」


 道理ですれ違う者もいなければ、物静かだと思っていたが、もう食堂で調理をする料理人は、眠ってしまったようだ。


(叩き起すか……いや、それはあまりにも可哀想だな。ではどうする……!? 自分で調理するか……いや、私には無理だ……この空腹を抑えるには、一体どうすれば……!?)


 無情にも扉に掛けられている『クローズ』という文字に、ディレザリサは落胆の溜め息を吐いた。

 「致し方ない……部屋に戻ろう……」と、肩を落として部屋へと戻ろうとした矢先、意外な人物と鉢合わせた。


「──こんな所で何をしてる?」

「何だ。白銀か……。お前こそ何をしてるんだ?」


 ゼルは右手に持っている空になった水差しを差し出し、「酒を割る水を取りに来た」と答える。


「酒? 何か上物でも掴んだか?」

「──蜂蜜酒だが、果物を漬けてあってな……確か名前は〝フルーティミード〟とか言ったか。南大陸特産の酒だが……その顔は何だ」

「い、いや……実に美味そうだと思ってな……」

「……呑むか?」

「是非ッ!!」


 ディレザリサの見た目は16歳程度の少女だが、もう何百年と生きて来た竜でもあるので、「まあ、いいか」とゼルは食堂に入り、水差しに水を入れると、ディレザリサを部屋に招いた。


「ふむ……これがその酒か……」


 見た目は普通の蜂蜜酒だが、中に果物がぎっしりと詰められている。


「──これは〝ミックスミード〟という種類の酒らしい。普通のフルーティミードとは違い、果物の香りと風味が強いそうだ。俺もまだ呑んでなくてな……ほら」


 コップに数センチ酒を入れて、そこに水を入れてかき混ぜて完成した『ミックスミード』という蜂蜜酒を受け取り、ディレザリサは先ず香りを嗅ぐ。

 これは確かに普通の蜂蜜酒とは違う。

 蜂蜜の香りと、中に漬けてある果物の香りが混ざり合って、爽やかな印象を受ける。

 次に、一口だけ口に含み、口の中で転がすように味わうと、まるで南国の海辺を連想するような、果物の甘い口当たりが口に広がり、鼻から抜ける。


「──どうだ?」

「これを開発した者は、酒の神か……!?」


 「そんな馬鹿な事があるか」と、ゼルも一口含み「なるほど」と言わんばかりに頷いた。


「──レイバーディンで流行るのも頷けるな」

「……何? レイバーディン(あっち)でも呑めるのか!?」

「──女性を中心にかなり流行っているらしいぞ。ちょっと割高になっているがな」

「幾らだ……幾らくらいだ……!?」

「──酒場なら一杯40ルーダくらいじゃないか?」

「ぐぬぬ……高い……あと20ルーダ足せば宿に泊まれるではないか……」


 一般的な蜂蜜酒は相場で20ルーダで、この『蜂蜜漬け果物酒(フルーティミード)』は、その倍の値段と、かなりぼったくり価格ではあるが、それだけの価値がこの酒にはある……と、酒場では飛ぶように注文が殺到するらしい。

 だが、ディレザリサは喉が渇いた訳ではない。酒を呑むにも腹の虫は鳴り続けている。


「──腹が減ってるのか?」

「夕飯を食べ損ねてしまってな……」

「──空腹で人間を喰われるのは厄介だ、コイツでも食え」

「笑えない冗談はやめろ……ん? それはッ!?」


 ゼルは棚から干し肉を取り出し、それをナイフで丁寧に切り分けてディレザリサに渡した。


「──〝(ボアール)〟の干し肉だ」


 ディレザリサはゴクリと生唾を飲み込み、皿の上にある干し肉を右手で摘むようにして取り、それをパクっと一口で食べた。


「う……うみゃぃ……」

「──これは良いあてになるだろ」

「噛む度に肉の旨みが……これは、野うさぎとはまた違う風味だ……野うさぎよりも硬いが、それ故に弾力も良い……」


 干し肉、酒、干し肉と無我夢中で食らいつくディレザリサを見て、ゼルは思わず苦笑いを浮かべた。


「──まさか、お前と酒を交わす日が来るとはな」

「そうだな……。あの頃よりお前は、ある意味人間らしくなったじゃないか」

「貴様がそれを言うか?」

「それもそうだな……」


 いつもなら一呼吸置いてから発言するゼルだったが、こればかりはツッコミを入れずにいられなかったらしい。

 二人の小さな宴会は数時間続いたが、ついに酒が二瓶空になったので、そろそろディレザリサは部屋に戻る事にした。


「馳走になった。久しぶりにこういう会話をした気がする」

「──俺もだ。ここの所、厄介な事が続いているからな……」


 ランダの事件以降、頻繁になりつつある犯罪に、五将達もだが、国全体が忙しなく動いている。いや、もしかする時代が動きを見せているのかもしれない……と、ゼルは言う。


「どちらにせよ、私は関係無い……傍観していたい所ではあるが、そうもいかなくなるんだろう?」

「──察しがいいな。その通りだ」

レウター(やつ)が私を放置する理由が無いしな」

「──ディレザリサ。奴は危険な男だ。絶対に気を許すなよ」

「……分かっている」


 この先の出方次第では、レウターと直接対決しなければならない事態も有り得る。そうであって欲しくない……という気持ちは強いが、竜である以上、争いは避けられないのだ。

 それが、竜としての運命であり、竜が竜たる所以だろう……と、ディレザリサは心の中で呟き、部屋を出た。


 船は明日、中央大陸に着くだろう。

 そこに待ち構えているのは争いか、はたまた平穏か……。

 どちらにせよ、何かあるに違いないと、ディレザリサは気を引き締めながら、少しばかりふらつく足で、部屋へと戻って行った……。



【続】

次から新しい章が始まります。

楽しみにお待ち下さい。

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