〖第五十八話〗私の環境、色々変わりそうです
レウターがフローラの後を追って出て行った後、ゼルは一つ咳払いをすると、物言いたげな表情をディレザリサに向け、ただ一言「いつからだ」と質問をした。
「へ?何の事?」
突然そんな事を聞かれても、何の事だか検討も付かないディレザリサは、キョトンとした顔でゼルを見る。
「──どうして性格がこんなに変わっているのか、それはいつからだと聞いているんだ」
どうやらゼルはディレザリサの『少女化』について聞きたいらしい。
だが、ディレザリサには『少女化』している事に自覚がない為、その質問にどう答えたら良いのか分からない。
「えーっと……」と悩んではみるが、自覚が無い以上、悩んでも解が出るはずもなく、ディレザリサは「分からない!」としか言えなかった。
そもそも『少女化』というのはフローラが言い出した事なので、この質問をするのならディレザリサではなくフローラに向けるべきだろう。その旨をゼルに伝えてみたが、ゼルは「フローラではなく、今はお前に聞いているんだ」……と、ディレザリサを逃してはくれなかった。
「最初はフローラから〝人間の雌らしさ〟を教えて貰った時かなぁ……」
「──それはいつの話だ」
いつだっただろうか。もう、随分昔のように感じる。
まだディレザリサがこの世界に慣れてなくて、何もかもが新鮮に感じていた頃だ。
あの頃はフローラが必死になって『雌の習性』を、ディレザリサに叩き込んでいたので、『そういう話し方』しか許してくれなかった。フローラは教育熱心なんだなぁ……と、当時は思っていたが、熱意の方向性が少し……いや、結構ズレていた気もする。特に『乙女心』についての授業はかなり熱心に諭された。
その影響が『少女化』に繋がっているのかも知れない……と、ゼルに答えてみるが、ゼルはそれも納得していないようで、「ふむ……」と何やら考え込んでいる。
「──フローラは、他に何か言ってなかったか?」
他に何か……と、思い出すべく記憶を辿ってみて「あ、そう言えば」と、一つ言い忘れていた事がある事に気が付いた。
それは『二つの心』について。
自分が魔法を使うと、どうやら『人間』としての心が表に出て来るというのを、以前フローラが言っていた……気がする。
「──それを早く言え。馬鹿者」
「ば、馬鹿じゃないもん! ちょっと忘れてただけだもん……」
この調子だと話が進まないと気付いたゼルは、レウターが戻って来るのを待つ事にした。
「あの腹黒鬼畜犯罪予備群なら或いは……」と、そう思い待っていると、ガチャっと扉が開き、くたびれ顔のレウターが戻って来た。
レウターは扉を閉めると「おや。まだいたんですか」と、迷惑そうにしながら、部屋の奥にある椅子に腰を掛ける。
「まだ何かあるんですか? ゼル。君も油を売っている暇は無いと思いますよ?」
「──まあ、そうなんだが。 ディレについて、お前に話がある」
「また色恋沙汰ですか……」と、うんざりするレウターを尻目に、ゼルは話を始めた。
「──ディレザリサの変化に気付いているか?」
「勿論。なかなか可愛らしいと思いますよ?」
「か、可愛い──!?」と反応したのはディレザリサだ。
ディレザリサは顔を赤く染めてモジモジと両手を撫でながら「えへへ……」と照れ笑いをしている。それを見たゼルは「皮肉だ。真に受けるな」と注意する。
レウターの皮肉に気付けなかったディレザリサは、レウターに猛抗議しているが、それを放置して、ゼルは話を進める事にした。
「──この状態を、お前はどう見る」
「どうと言われてもねぇ……」と、レウターは然程興味無さそうに「別に良いのでは?」と付け加えた。
「差し当たって特に問題も有りませんし、ディレさんが〝竜〟として牙を向かないのなら、私は彼女をどうこうするつもりは有りませんよ」
「──つまりお前は、この状態の方が安全だ……そう言いたいのか?」
それに対してレウターは首を横に振る。
レンデスの一件で、ディレザリサという存在の危険性は充分に分かったので、このまま放置すると言う訳にはいかない。
「なんだか私が怪物みたいに聞こえるんですけど!?」
「「充分怪物だろ? (ですよ?)」」
「ひ、酷い……」
「──今はお前と漫談している暇は無い。 レウター、どうするつもりだ?」
一番手っ取り早い話は幽閉して封印してしまう事だが、これ程の魔力を持つディレザリサを封印する自信は無い。それこそバリアスなら何とか出来るのだろうが、そのバリアスは今何処にいるのか分からない。
それならやはり、様子見という名の放置が妥当だろう。ついでに、たまにその力を利用で出来れば万々歳だ。
「〝監視役〟を回しますか……」
「──監視役? まさかこいつの監視に五将の誰かを付けるとか言わないだろうな」
「そこまで愚かではありませんよ。ただでさえ一人減っているんですから」
例えば、町の中にいつ爆発するか分からない爆弾があるとする。しかもその爆弾は解除不可能。それなら、いつ爆発するのか監視するしかないのだ。爆発を察知出来れば、被害は最小限で抑えられる。
「監視なんて付けなくても、悪い事なんてしないよぉ……」と抗議してみるものの、二人はディレザリサに耳を貸そうとはしなかった。
「──では、誰を監視に付ける?」
「なるべく二人の知人が良いのですが、女所帯に男を放り込む訳にもいきませんし……ディレさん、誰かいませんか?」
「そう言われても……」
五将とは面識があるが、それ以外の兵士とは特に関わり合いも無いし、更に女性と言うとナターニャくらいしか思い付かない。然し、彼女も五将の一人だし、仮に大丈夫だとしても、彼女はある意味では男より危険な存在かもしれない。
「仕方ありません。当面は外からの監視で、適任が見つかればその方に頼む事にしましょう。それでどうですか?」
「──それしかないだろう」
「監視なんて要らないよぉ……」
最後までディレザリサは抗議していたが、結局誰かが監視をする事になってしまった。
* * *
レウターの部屋から出たディレザリサは、ついでにハイゼルの見舞いにでも行こうと思い、治療室へと続く廊下を歩いた。
船の中を歩いていると、時折、船員や兵士とすれ違う。その度に敬礼されて道を譲られるのだが、どうも船員や兵士達はディレザリサの事を『五将と親しい存在』と捉えているようで、それは別に構わないが、敬礼されるのが堪らなく嫌だった。なので、その度に『自分は一般人だ』と説明しているが、彼らはそう思ってくれないらしく、度々説明するのも面倒になって、もう放置する事にした。
ハイゼルがいる治療室の前まで辿り着いたディレザリサは、扉をコンコンと叩いた。すると、扉の内側から「どうぞ」と声がした。どうやら、ハイゼルは起きているらしい。あまり体調が良さそうには思えなかったが、この声音は思った以上に明るい。
「失礼します」と入室したディレザリサは、ベッドに座っているハイゼルを見て声を掛けた。
「起きていて大丈夫なの?」
「いつまでも寝ている訳にはいきませんから」
その表情は柔らかい笑顔を浮かべているが、瞳の内側から何か覚悟を秘めたものを感じる。彼もきっと今回の件で考える事があったのだろう。五将の一人が抜けたのだ、考えない方がおかしいか……と、ディレザリサは少し安堵する。
この英雄は少しばかり頼りない印象を受けている。それが彼の詰めの甘さでもあり、良い所でもある。それを無くさずにいてくれれば良いなと思いながら、ディレザリサはスリータを淹れる。
「はい。どうぞ」
「ディレさんが、スリータを……!?」
「私だってこれくらいは出来ますー」
「そうですよね、すみません」と平謝りしてから、ハイゼルはディレザリサの淹れたスリータを飲んだ。
「ど、どう……?」
「お、美味しいですが……もう少し蒸らし時間を取っても良いかもしれませんね」
なかなかに手厳しい評価だ。だが、以前の彼なら文句を言わずに飲んでいただろう。
「どこか、垢抜けたね」
「そうでしょうか?」
「うん」
「ディレさんも、今日は何だか以前とは別人みたいですね」
ハイゼルもディレザリサの『少女化』について知らないので、今のディレザリサはなんだか可愛らしい女性という印象を受ける。だが、あの時見せた表情もこの笑顔だ。笑みを浮かべながら敵を圧倒する姿は、それこそ『狂気』と呼べる。
ハイゼルは共にスリータを飲んでいる目の前少女に、どうして恋心を抱いてしまったのかと考えていた。
あの時、自分はディレザリサと知り合ったのはどうしてか、そして、今でも心変わりしないのは何故かと……。
彼女の本質は『竜』であり、人間ではない。故に戦闘では残忍な事も厭わないのだろう。
寧ろ楽しんでいるようにも見えた。そこが常人との圧倒的な違い。
だが、あの時狂気を見せたのはディレザリサだけではない。レウター・ローディロイも、その一人である。
時に軍人は非情にならなければならない時がある。故に、レウターの取った行動はいかにも『軍人らしい行動』だった。それを許容出来るかは別の話だとして、やはりレウター・ローディロイという男は、自分には無いものがあり、そこに惹かれていたのかもしれない。
(──だが、憧れるのはここまでだ)
目の前にいる強大な可愛さを持つ少女と釣り合う男になる。
時には非情になる事も出来る英将になる。
こんな事、スリータを啜りながら考えるものではないな……と苦笑いを浮かべた。
「むぅ……そんなに美味しくない‘なら、無理に飲まなくてもいいですよーだ」
「ははは。いや、そういう訳ではないんです。少しばかり考え事をしていました」
こうして話せば、ディレザリサも年相応な女の子だ。
ハイゼルはもう難しい事を考えるのは止めて、自分の気持ちを大切にしようと決めた。
しばらく二人で歓談していたが、ディレザリサは「そろそろ行こうかな」と席を立った。
暫く心の整理をさせてあげよう……と、一人にさせたフローラが心配という事もあるが、ハイゼルの体調も気になっていた。
「今はゆっくり休んで? 仕事はレウターやゼルが何とかしてくれてるはずだから」
「それを考えると頭が痛くなりますね……特に、レウター様から、なんと嫌味を言われるやら……。看病の件、本当にありがとうと、フローラさんにお伝え下さい。それと───」
「それと……?」
「私は、貴女に相応しい男になります。それまで、待っていて下さい」
「い、いきなり何言ってるのッ!? し、知らない!!」
勢いよく飛び出したディレザリサは、閉めた扉に寄り掛かりながら、ドクンと鳴り続ける心拍が止まってくれないので、更に焦っている。
(な、なんなの……!? 五月蝿い……ッ!!)
だが、ディレザリサの心臓は更に脈を強く打つようになり、立っているのもやっとの状態にまで‘なっていた。息も苦しく、頭も痛む。
暫くその場に座り込んで、ようやく鼓動も息も頭痛も治る頃には、いつものディレザリサに戻っていた。
無論、そんな自覚は無いディレザリサは一つ溜め息を吐くと、甲板にいるであろうフローラの元へと向かって行った……。
【続】




