〖第五十七話〗勘違い、解けました
中央にあるテーブルを境に、ディレザリサとレウターが向かって左に、フローラとゼルは右側に腰を下ろす。
ディレザリサは緊張しているせいで表情が硬い。
レウターはいつも通り飄々とした態度を取っている。
ゼルもいつもと変わらず無表情で、フローラに限っては瞳に何やら期待のような、何か確信めいたものを宿している。こうしてレウターが意としない、不本意な会談が幕を開けた。
「二人共、要件は何ですか?」
レウターはあくまで冷静に尋ねたが、フローラは少し興奮気味で鼻息を荒げながら質問に答える。
「二人の関係はいつからですか!?」
「やはりそれですか……」と、レウターは溜め息を吐き、そして、「勘違いしているようですが」と切り出した。
「私とディレさんは、フローラさんが思うような関係ではありません」
キッパリと、端的にフローラの質問を否定した。それに習うようにディレザリサも「そうだよ!」と追い打ちを掛ける。然し、それが余計に怪しいと感じたフローラは下衆の勘繰りでもするように「ふ〜ん……?」と呟くと、ゼルに目をやった。ゼルは視線を感じて、フローラが先程見た光景を話せと催促していると解釈し、自分が見た光景を話した。
「──つまり、そういう事なんじゃないか?と、この娘は勘ぐっているんだが……」
確かに最初からディレザリサとレウターのやり取りを見てないゼルからすれば、ディレザリサがレウターに抱きついた……ように見えなくもない。だが、それは勘違いなのだ。ディレザリサは、それをどう否定すれば良いのかと考えを巡らせる。
自分がレウターと恋人関係ではない……それを証明する証拠があれば、この勘違い劇を直ぐに収める事も出来よう……然し、そんな証拠は何処にも無い。それに、フローラはきっと普段接する態度も証拠として提示してくるはず。だが、ディレザリサは今『少女化』しているのだ。どうして自分がレウターと『売り言葉に買い言葉』のような、『仲の良い友人』みたいに接していたのかが分からない。今のディレザリサには、レウターに共感する感覚は持ち合わせていないので、とどのつまり、それを引き合いに出されたら反論出来ないのだ。そうなる前に手を打つ必要があるのだが、隣にいるレウターは「馬鹿馬鹿しい……」と、議論に参加しているのかしていないのかもよく分からない。このままでは本当に『恋人関係にある』と勘違いされたままになるのに……と、ここまで考えを巡らせて、ディレザリサは気付いてしまった。
───レウターは、自分に想いを寄せているのでは?と。
こう考えると、レウターが議論に参加しようとしない説明が付く。つまり、レウターは『あわよくば、このまま恋人関係にしてしまおう』としているのかもしれない。そうディレザリサは予想する。
(ここに来てそれに気付くなんて……どうしよう!?)
……などと、有り得ない妄想を膨らませているディレザリサの横で、レウターはこんな下らない話を早々に終わらせる為、嘘でもハッタリでもいいから何か無いものか……と、頭を働かせている。
一発逆転を狙うのなら、相手の言葉を利用して、その虚を突くのが最も効果的。故にレウターは、フローラかゼルが、次の発言をするのを待っている。
『攻撃は最大の防御』という言葉があるが、レウターの場合は『防御こそ最大の攻撃』である。それは彼が得意とする秘技『剣壁』に由来している。相手の攻撃を無力化してこそ、致命傷を与える事が出来るのだ。故に、レウターは待っている。相手が攻撃して来るのを……。
ゼルは……実は、ディレザリサがレウターと恋人関係にあったとしても構わないし、レウターが最初に「違う」と否定したので、それでこの問題は解決したとさえ思っていた。だが、、隣にいるフローラに鬼気迫るものを感じて、取り敢えず様子を見ている。寧ろ、気になるのは二人の関係性ではなくディレザリサ本人だ。いつもと違うのは明らかで、『あの邪竜』がこんな事で狼狽えるなど考えられない。
(あれでは普通の人間の少女と変わらないぞ?……奴に何があった?)
ゼルはディレザリサの『少女化』の事を知らないので、こんな下らない事は直ぐに否定して話は終わると思っていたのだが、目の前にいるディレザリサは、困った表情で目が泳いでいる。
この世界に転移させられて、然も、人間という姿になりそれが月日を経て『人間らしさ』を育んだのだろうか……?それを成したのは隣にいる赤い髪の少女に他ならない。ディレザリサを変える程の何かを、この少女は持っているのだろう。
ゼルはフローラに少し興味が湧き、この少女がどう結論を出すのかと、少しばかり行方を見守る事にした。
そして、鍵を握っているフローラは、この膠着状態に痺れを切らしたのか、ついに確信を突くべく動き出す。
「沈黙という事は、肯定と捉えて良いの? ディレ?」
これを否定しなければ、二人の関係を認めてしまう事になる。だが、否定してしまえばレウターの気持ちを踏み躙る事になってしまう……と、ディレザリサは言葉に詰まる。だが然し、レウターは即座に「違いますよ」と否定した。
「───ッ!?」
「どうしてディレさんが驚くんですか……」
『これでは余計に怪しまれてしまうではありませんか……』と思い、レウターは深い溜め息を吐く。
このままだと余計にフローラの思い通りに事が運んでしまう。それは何としても回避しなければならないが、あろう事か嫌なタイミングでディレザリサが驚きの表情をしたので、反撃のタイミングを見失ってしまった。目の前の少女はもう二人の中を確信したような表情で、自信満々といった目を向けている。
「ゼル、貴方はどう思っているのですか?」
急に白羽の矢を向けられたゼルは少し驚いた表情を浮かべたが、直ぐに表情を戻し「どうでもいい」と呟いた。寧ろこんな下らない話し合いなど終わらせて、早い所本題に移りたいとすら思っているゼルは、「早く白黒付けてくれ」と申し出た。それに関してはレウターも同意見なので、早々に切り込む事にする。
「フローラさん。仮に貴女の言う通りの関係性だったとして、それが貴女に何の関係があると言うのでしょう?それに、私達はこんな事に時間を割く訳にはいかないんですよ。貴女も知っている通り、バリアスの脱退により、国が大きく傾く可能性だってあるのです。ご理解頂けないでしょうか?」
「そ、それは───」
「色恋話は、確かに話に花を咲かせるかもしれません。ですが、この状況で浮ついた話など出来る状態ではない事をお忘れなく」
言葉には棘があったが、確かにレウターの言ってる事は正論で、これに関しては自分も擁護出来ないとゼルは首を振った。
「ごめんなさい……、私、どうかしてました。頭を冷やしてきます……」
そう言ってフローラは部屋から出て言った。
取り残された三人は、この会談がやっと終わった……と安堵出来ない。
確かにレウターの言った事は正論ではあるが、些か言い過ぎのようにも思う。
「ちょっと……、少しはフローラの気持ちを考えてあげてよ。確かに突拍子のない事だったかもしれないけど、あの子なりにこの状況を打開しようとしてたのかもしれないよ!?」
「──確かに、少し大人気ないな。レウター・ローディロイ」
「はぁ……では、私にどうしろと?」
「追って」
「追うべきだろう」
二人から責められる形で、レウターは観念したような表情を浮かべ「分かりました」と、フローラの後を追うように部屋から出ていった。
* * *
(何故、私がこんな事を……)
廊下に出て大きな溜め息を吐き出す。五将総括としてやる事は沢山ある。娘一人に、ここまで構う必要などないのだが、このまま放置しても良い方向に事は進まないと諦め、フローラが向かったであろう甲板へと足を向けた。
「やはり此処でしたか」
フローラは甲板の奥で、手摺に掴まりながら遠くの海を眺めている。フローラの赤い髪が、潮風に当てられて揺れていた。フローラはレウターの声に気付いて、後ろを振り向き小さく会釈をすると、レウターはゆっくりとフローラに近づいて隣に立った。
「一応申し上げておこうと思いまして……。私とディレさんの間に恋愛感情は御座いませんよ」
「──はい。私の勘違いでした……お恥ずかしい限りです」
どうやらフローラはかなり落ち込んでいるらしく、今にも泣き出しそうに瞳を揺らしている。その表情を見たレウターは「そうですね……」と、話を切り出した。
「フローラさんはフローラさんなりに、この状況をどうにかしようとしていたのですよね。それに気付けなかった私にも問題がありますし、先程は少し言い過ぎました。謝罪致します」
レウターが頭を下げると、フローラは唖然とした表情を見せる。それは、あのレウターが『頭を下げて謝罪をする』なんて思ってもいなかったフローラは、きっといつも通り飄々としながら言葉巧みに丸め込む……そう思っていただけに、これは意外過ぎる展開だった。
「そんなに私が謝罪するのが珍しいですか?」
「そうですね、得した気分です」
フローラはニコッと笑い、ようやく蟠りも解けたようだ。
レウターはフローラと一緒に海を見渡してみる。そして、こんな風に海を眺めるのはいつ以来だろうかと思った。それだけの時間をレウターは、五将総括という任務に費やしてきたのだろう。
「このままご一緒に海を眺めていたい所ではありますが、そろそろ戻らなければなりません。フローラさんはどうされますか?」
フローラは首を振ると「もう少し此処にいます」と告げ、再び遠くへ視線を向ける。レウターは「そうですか」と、再び船内へと戻っていった。
* * *
ハイゼルは夢の中にいた。見た事がない微睡みのような世界を、ハイゼルは一人で歩いている。
もうどれくらい歩いただろうか───。
夢と分かっていても覚めてはくれないので、夢の果てまで歩き、やがて覚めてくれる事を願う。然し、幾ら歩けど夢の果てに辿り着く感じはしないし、もしかしたら歩いていると思っているだけで足踏みをしているだけかもしれない。
これは、自分が置かれている環境に似ているな……と、自分で自分を嘲笑する。
いつまでも踏み込めない一線、彼女と自分の距離と、圧倒的な格差。迷い、戸惑い、強がり……。
これらは自分にとっては贅沢な悩みかもしれない。だが、同時に思うのだ。
ただただ、自分が不甲斐ないと───。
思いも寄らない人から好意を伝えられ、それに答えられなかった自分の醜さと、愛する人に助けられ、剰えそれを良しとしてしまった甘さ。そして、信じて、憧れさえ抱いていた存在に向けてしまった疑心。更に、決別を告げたバリアスを止める事すら出来なかった後悔。それらが夢となり、この世界を作り上げたのかもしれない。
英雄は強くあれと、自分にどれほど言い聞かせて来ただろうか。これでは次期グラーフィン家当主として失格だと、もう一度ハイゼルは前を向く。
「──今こそ、変わるべき時だ。英雄として、五将の一人として、一人の男として」
微睡みの世界が静かに溶けていく。
そして、英雄は目を覚ました。
再び決意を胸に秘めて───。
【続】




