〖第五十二話〗再び、精霊は歌うのでした
静かな寝息を立てて眠る横顔を見ながら、どうしてあの人は彼女を選んだのかをフローラは考えていた。天使のような寝顔で眠る姿は、彼女が『竜だった』なんて信じられないほど愛らしい。同性でもそう思うのだ。男性から見ればさぞ可愛いのだろう。
前に垂れている長い髪の毛をフローラが搔き上げると、むにゃむにゃと何か寝言のような事を呟いた。
「適うわけないか……。だって、私のお師匠様だもんね」
窓辺から射し込む月の光が彼女を照らす。まるで月が彼女のスポットライトになっているような、そんな気さえした。もし、立場が逆だったら、彼女は自分をどう見るのだろうか?
自分のように、愛おしく思ってくれるのだろうか?
大切だと、思ってくれるのだろうか?
きっと、彼女は『眠っているな』としか思わないのだろう。自分と彼女の容姿があまりにも違い過ぎて、フローラは自分に自信を持てなくなっていた。
女としての魅力、人間としての魅力。それさえ彼女に勝てないのだとしたら、自分の存在は一体どうなのだろう……と、フローラは一筋の涙を零す。決して適わない相手であり、自分にとってはかけがえのない存在であり、恋の好敵手でもある彼女に、醜い本音を曝け出したくないので、精一杯の強がりを見せていた。ここで挫けたら、もう、立ち直る事は出来ないと思ったから、彼女の前で涙を流そうとはしなかった。今、フローラの瞳から零れた一筋の涙は、悔し涙なのだろう。
「狡いなぁ……ディレは……」
フローラは彼女の頭を撫でる手を止め、バルコニーへと足を運んだ。押しては返す小波が静かな夜の町を奏でる外は、静寂と、いつ何が起きるのか分からない不安が混ざり合い、フローラの瞳には少し不気味に映った。今もハイゼルはこの町の巡回をしているのだろう。
「ハイゼル様……」
あの時、自分が吐き出したのはエゴだ。吐き出してスッキリしたいという、自分勝手な我儘だ。だけど、ハイゼルはちゃんと受け止めた。良い意味でも、悪い意味でも、真摯に聞いて受け止めてくれた。なのに、まだ胸のつかえが取れないのは、どうしてだろうか。いや、これはきっと胸騒ぎなのかもしれない……と、フローラは部屋の中に戻ろうとした。
その時、町の中心で爆炎が上がった───。
* * *
フローラと話し終えた後ハイゼルは、再び夜の町を巡回していた。
「この町は北地区のようにはさせない……。グラーフィン家の名誉に賭けて!!」
全てを見逃さないように、夜の闇に眼を光らせる。
鼠が動く姿や、夜空を切り裂くように飛ぶ野鳥の羽ばたきさえ逃さぬよう、神経を集中させて、ハイゼルは一人、夜の闇の中を歩いていた。寄せては返す波の音が、ハイゼルを焦らせ、心を騒つかせる。瞬きをすれば、あの日、自分の目の前で倒れていった兵達の姿や、許しを乞いながら身体を剣で貫かれる市民の嘆きが聞こえるようだった。それほど、ハイゼルの心にあの悲惨な事件が突き刺さっている。トラウマではなく、戒めとして。
『世界を救う』という誓いは、現実的に考えれば不可能だろう。それはハイゼル自身もよく分かっていた。だが『英雄』とは、それを実現出来てこそ英雄足らしめるものだとハイゼルは考えている。それは無謀で、非現実で、実に愚かな夢物語だとしても、英雄は逃げる事はしない。
信念を貫き、英知と勇敢さを持つ者こそ『英雄』なのだと。
やがてハイゼルは町の中心に辿り着いた。この町の中心には海の神を讃える石碑が建ててあり、きっと町の人々が祈りを捧げたのだろう花が幾つも捧げられていた。
「この祈りが届いていると良いな……」
ハイゼルも暫く祈りを捧げ、もう一度町を巡回しようと振り向いた時、そこには猛々しく燃え盛る炎の色をした剣を片手に持つ者が立っていた。
(い、いつの間に……!?)
月の光が逆光となり顔は見えないが、身長はそこまで高くない。ディレザリサとナターニャの間くらいの身長で、左手以外はマントに隠している。
「まさか……その剣は、魔───」
だが、ハイゼルがその答えを言い終える前に、その者は剣を横一閃に薙ぎ払うと、その場で大爆発を引き起こした。
* * *
「何事かッ!?」
轟音で目を覚まして飛び起きたバリアスは、何も無い空間から一振りの杖を取り出し、急いで廊下に出た。そこにはディレザリサとフローラの姿があり、バリアスは何が起きたのか二人に訪ねた。
「分かりません……。突然町の中央で爆発が!!」
フローラは自分がバルコニーで見た光景をバリアスに伝えた。
「まさかこの儂が魔剣の侵入に気付かぬとは……いや、今はそんな事を言っている場合ではない。二人は店主に知らせて、なるべく多くの町民を避難させるのじゃ。儂は町の中心部に行って来る。ハイゼルの力を感じる……きっと応戦しているはずじゃ」
「分かりました!ディレ、行こう!」
「……そうだな」
バリアスが階段を駆け下りる姿を、ディレザリサはじっと見つめていたが、フローラに急かされ、その後に続いた。
下の階に降りると、男店主は既にエントランスにいた。その顔には恐怖の色が見える。
「い、一体何が!?」
「詳しい話は後でします!町の皆さんを避難させたいので、力を貸して下さい!」
「そ、それは……もう難しいかと……」
「───ッ!?」
宿屋の外の通りは、逃げ惑う人々で溢れ返っていた。
「ディレ……どうしよう……」
「そうだな……こうなってしまっては、声も届かないな……」
「このままじゃ大混乱になって、被害が大きくなるよ!!」
何か手はないか……とフローラは考えていたが、ディレザリサはどうやらその解を見つけたらしい。
「声が届かないなら、届くようにすればいい」
「どうするの……?」
ディレザリサは不敵な笑み浮かべて答えた。
「〝歌う精霊〟ならどうだろうな?」
「ほ、本気で言ってる……?」
「宜しく頼むぞ?〝食いしん坊精霊〟様?」
「え!?ちょ……ディレ!?」
ディレザリサはフローラの応答を待たずに、手を取って大混乱の町中へと繰り出した。そして、宿屋の裏道に入り、フローラを担ぐ。
「うわぁっ!?ちょっとディレ!!これは……は、恥ずかしいかなぁ……」
もしもこの姿を誰かに見られたら『美少女にお姫様抱っこされる女の子』と指を指されて笑われるかもしれない。だが、ディレザリサはお構いなくという具合で、左右にある壁をトントンッと壁を蹴りながら上へと上り、宿屋の屋根の上に飛び乗った。
「何だかこの展開も久しぶりだな……。あの時はハイゼルから逃げてたんだったな」
「そ、そうだね……。ディレ、次は自分で行けるから……私も魔法使えるし……」
「そうだったな。では、コソコソと練習していた成果を見せて貰おうか」
「歌に魔力を乗せて、一定時間だけ催眠を掛ける……だったよね?そんな事、私に出来るかな……」
「制御は私がやる。だから、心配しないで歌うんだ」
「……分かった。やってみる!!」
フローラは深呼吸すると、魔力を高める。
(大丈夫……私には出来る……!!)
大混乱の町に、あまりに場違いな歌詞の歌が流れる。その歌声を徐々に民衆の耳に届いて行く。
「ほう……。ここまで進歩していたのか……」
だが、民衆の足は止められど、催眠効果が弱く、これ以上操ることが出来ない。
(駄目だ……)
「諦めるな、我が弟子フローラよ……竜の魔女よ。私がいる……自分を信じて歌え!!」
(自分を信じる……)
フローラは、これまで自分が自分を信じてこれたのかを考えてみた。
自分一人では成し得ることが出来なかった事も、ディレザリサが隣にいたから成し遂げる事が出来た。
ディレザリサがいたから、自分の嫌な感情にも気付く事が出来た。
何より彼女は───、自分を孤独から救ってくれた。
(私は信じてる……ディレを……信じてる!!)
「やはりフローラを弟子にして良かった……この魔力……桁違いだ」
フローラの紡ぐ一つ一つの言葉に魔力が凝縮され、その言葉が民衆一人一人の耳に届くと、人々は列を成して、町の外へと小走りで出て行った。
「ディレ!やった!私にも出来たよ!」
「流石はフローラ!出来ると思ってたよ♪」
「あ、あれ……ディレ……? もしかして……少女化してる……?」
「へ?何それ?」
「…ううん。何でもない! ちゃんと制御してくれてありがと!」
「私は少ししか魔力使ってないよ!これはほとんどフローラがやった事!凄いよフローラ!」
ディレザリサはフローラに抱き着くと、抱き締めながらフローラの頭を撫でた。どうやら身長が足りないようで、背伸びをしている。
「え、えっと……ねぇ、ディレ?今の状態でも魔法はちゃんと使える……んだよね?」
「もちろん!私、元は邪竜でしたから!」
「そ、そっか……じゃあ、私達もハイゼル様達の元へ行こう?きっと、今戦ってる最中だから!」
「フフフッ……竜の恐ろしさを見せてやろー!」
「う、うん……そうだね……」
フローラは魔法で屋根から蔦を生やして下まで降りた。
「ねぇ、ディレ……少し休んだ方がいいんじゃない?魔力が回復するまで……さ?」
「そんな流暢な事を言ってられないよ!早くしないと町がレイナードみたいに、火の海に包まれる!」
「本当に……大丈夫かなぁ……」
先程は『信じる』と言ったが、この状態のディレザリサを信じて良いのか……と、フローラは一抹所か百抹くらいの不安を抱えながら、町の中央までディレザリサの手を引いて走った。
【続】




