〖第五十一話〗英雄、やはりモテモテでした
もうすっかり日も暮れて、夜空には星が広がっている。宝石を散りばめた……という表現はもう使い古された代名詞だが、星の瞬きがとても綺麗な夜空だ。然し、やはり標高の高いゴロランダ山にある山小屋から見た夜空の方が、星に手が届きそうで好きだ……と、フローラは馬車から降りて空を見上げた時に思った。
レンデスに戻ったディレザリサ、フローラ、ハイゼル、バリアスの四人は、酒場に隣接している宿屋へと向かった。
「いらっしゃ……ハイゼル・グラーフィン様とバリアス・アンダーマン様ではありませんか!?」
宿屋の男店主が驚くのも無理はないだろう。まさか、自分が経営している宿に五将の二人が宿泊しに来るとは夢にも思わないはずだ。
「突然の訪問すみません。二部屋用意して頂きたいのですが、空いていますか?」
ハイゼルは手馴れた口調で店主に話し掛ける。ハイゼルは地方に赴く事が多く、こういった反応をされる事に慣れているようだ。
「それはもちろんです!! レチラードの事件以降、客足もパッと止んでしまって、全室空き状態だったんですよ」
「ふむ……。やはり、そうなるじゃろうなぁ」
自ら危険な場所へと向かう物好きなどいないだろう。レチラードがあんな状態になってしまったのだ。周辺の町や村は、あらゆる意味で大損害だろう。
「宿屋家業は旅人や商人、旅行客が主な利用客ですから、それが無くなると、経営も大変です……」
「そうなると、例えレチラードの事件が解決しても、客が戻って来るのは当分先になる……という事も考えられますね」
ディレザリサが男店主に訊ねると、男店主は「そうなんですよ……困りました」と途方に暮れてしまった。
「それなら、今こそレンデスの皆様が一眼となって町を盛り上げなくてはですね!大丈夫ですよ。ここは果物の名産地ですから、それを目当てにして戻って来ると思います!」
フローラがそう男店主を励ます。すると、男店主の暗い表情も少し光が戻り、「そうですよね!」と、再び笑顔が戻った。
「我々も出来る限りは尽くします。頑張りましょう!」
ハイゼルがフローラに続いて店主を励ますと、男店主は少し涙を滲ませながら「ありがとうございます!」と告げた。
「申し訳ございません。お見苦しい所をお見せしてしまいました。二部屋ですよね?ご案内させて頂きます!」
「その前に勘定をせねばな……これで足りるかの?」
「こ、これはゴールドルーダ!? こんな大金頂けません!!」
「その代わり……儂らが滞在する期間、この宿をずっと使わせて貰えればそれでいい」
「では、今後レンデスに来られた暁には、是非当宿をご利用下さい!今後皆様からご料金は頂きません!それくらいでないと、お返しになりませんから!」
「うむ。ではそれで手を打つかの」
ディレザリサとフローラは二回通路の一番奥の部屋、ハイゼルとバリアスはその向かいの部屋にそれぞれ入って行った。
「す、凄い部屋だね……」
「何だか落ち着かないな……」
二人が通されたのはこの宿でも宿泊料金が一番高い最高グレードの部屋だった。窓の外にはジーラスタ海峡を一望出来るバルコニーがあり、そこで談笑が出来るよう小さな白いテーブルと椅子が二つ用意されている。部屋の中には大きくてフカフカのベッドが一つあり、一番驚いたのは家具がほぼ一式揃えられている事だった。
「何だかお姫様になった気分♪」
「お姫様か……。そう言えばハイゼルは姫を救って英雄と認められたんだったな?」
「あ、そう言えばそうだった。屋敷に国王様からの感謝状が飾ってあったよ」
「本で読んだのだが……こういう場合、人間の雌……女は、救われた男に〝恋〟をするのではないか?」
「確かに……。ハイゼル様とお姫様の関係ってどうなんだろう?」
ハイゼルは自分の過去を話さない。それは、聞く人によっては自慢話になるからという配慮だと思っていたのだが、今思うと少し気になる……と、ディレザリサは『恋心とは違う感情』で気になったが、フローラはどうやら違うようだ。
「やっぱり、ハイゼル様はお姫様の事が好きなのかな……?許嫁とかになってたりするのかな……」
「もしそうなっていたら、私にあんな事を言わないのではないか?……あ」
ディレザリサはそこまで言って『しまった』と思った。ハイゼルに恋心を抱いているのは、フローラもそうなのだ。つまり、今のは遠回しに『ハイゼルが好きなのは自分だから諦めろ』とも取れる。
「い、いや……決してそういう意味で言ったわけじゃなくて……その……ごめんなさい」
「ううん。気にしてないからいいよ。それに、私は誰にも負ける気なんて無いから!」
「そうか……。フローラ。私にもう少し〝女心〟というのを教えてくれないか?」
「もちろんだよ!久しぶりの先生役だね!」
「お手柔らかに頼むぞ?」
二人はベッドに飛び込むと、隣り合わせで久しぶりにお勉強会を楽しんだ。
* * *
「バリアス様……そんなに……」
「なぁに、少しくらい良いではないか……」
「だ、駄目ですよ……まだ、町の見回りが……」
「ハイゼル。儂の言う事は聞けんのか?」
「わ、分かりました……少しだけですよ」
二人は宿屋の隣にある酒場に来ていた。何故酒場に来たのかと言うと……実は、南大陸の名産は果物だけではなく『果物酒』も名産なのだ。特に最近人気なのが、蜂蜜酒に果物を加えて熟成させた『フルーティミード』という酒であり、この酒は今、レイバーテインの女性達を虜にしている程の人気酒だ。その人気の秘訣は、蜂蜜に漬ける果物によって味が変わるのもあるが、漬けてある果物がこれまた絶品であり、呑んで美味い、食べて美味いの一石二鳥だからだ。
何を隠そう、バリアス・アンダーマンはだいの酒好きなのである。折角特産地に来たのだから、地酒を嗜まないのは勿体無い……と、ハイゼルの反対を押し切り、こうして二人で酒を交わしているのである。
「レウター様やゼル様に知られたら何と言われるやら……」
「酒は人生に花を添える素晴らしい飲み物じゃぞ。それに、たかが蜂蜜酒如きで酔うような無様な事はせん。ほれ、ハイゼルも呑まぬか」
「わ、分かりました……こ、これは!?」
「お主にもこの良さが分かったようじゃな」
「蜂蜜の甘みと、果物の甘みが合わさって、飲み口がとても爽やかになっている……。これは、漬けてある〝リモン〟の香りか……」
『リモン』は、そのまま食べるには酸味が強く、食べにくい果物だが、ソースにしたり、こうして酒に漬け込むと、その香りが染み出して爽やかになる。
ハイゼルはグラスの中に入っているリモンの輪切りを取り出して、口の中に放り込む。
「───んなっ!?」
「そこに目を付けるとは、お主もなかなかじゃな」
「普段は酸っぱくて食べられたものではないリモンが……蜂蜜によって甘みを増して、食べやすくなっている……!?」
「じゃが、この酒はエールより度数が濃い。呑み過ぎると足に来るぞ?」
「……そうですね。私はこの一杯だけにしておきます。バリアス様も程々にして、見回りに戻りましょう!」
「そうじゃな……ハイゼル。ちょっと良いか?」
「な、何でしょうか……」
バリアスは先程までの柔らかい表情とは違い、真剣な顔でハイゼルに告げた。
「───すまぬ。足に来た」
「呑み過ぎです!!」
結局、ハイゼルはバリアスを担いで宿屋へと引き返したのである。
「ふう……疲れた……」
バリアスを担いで部屋のベッドに寝かせ、ハイゼルは部屋で一息入れると、再び見回りに出ようと扉を開けた。
仄かに明るい廊下をゆっくりと歩き、階段を一弾ずつ降りて行くと、一階の広間のソファに座るフローラがいた。
「フローラさん。どうされましたか?」
「ハイゼル様……ちょっと眠れなくて」
「そうでしたか。ですが、あまり夜更かしされるとお身体に触りますよ?」
「そうですね。けど……ちょっと……」
「……?」
フローラは何処と無く元気が無く、直ぐに俯いてしまった。ハイゼルはフローラが心配になり、フローラの座るソファまで来ると、隣に腰を掛けた。
「先程は驚きました。まさか、フローラさんがあんな事を言うとは思いませんでしたので……お優しいですね」
「優しい……ですか……」
「何かあったのですね?良ければお話し頂けませんか?」
「……」
フローラは黙ったまま、床の一点だけを見つめていたが、ゆっくりと顔を上げて、隣にいるハイゼルに向き合った。
「ハイゼル様は……ディレの事が好きなのですよね?」
「そ、それは……はい」
「私の事は、どう思いますか?」
「え……?」
「私も一応……ハイゼル様の第二婦人とロブソンさんから言われています。そんな私をハイゼル様はどう思っているのでしょうか!?」
「それは……」
今までハイゼルはディレザリサに求愛はすれど、フローラについては特に何かしてはいない。それは、自分がディレザリサの事が好きなのもあるが、フローラは自分の事を何とも思ってないと思っていたからだ。
「あ、あの……フローラさん……少し落ち着きましょう。えっと、それはつまり……」
「私は、ハイゼル様をお慕いしているという事です」
「───ッ!?」
「私では……駄目ですか……?」
例えるならそれはまるで、吟遊詩人の歌う物語のようでもあり、感嘆の溜め息を零す劇のようでもあり、何処か現実味に欠けるような、それでいて必死しに囀る鳥のようでもあった。これが夢の中だったとするなら、起きた時に安堵するかもしれない。そして、今一度自分がディレザリサとどうなりたいのか、フローラをどうしたいのか、机に両肘をついて悩めただろう。だが、今は違う。これは夢ではない。故にハイゼルは、真剣に自分に訴えかける彼女の問いに答えなければならないのだ。それが例えフローラの気持ちに応える事が出来ないとしても、自分に向けられた好意に対し、真摯に向き合う事が礼儀だと、ハイゼルは思う。
「フローラさんの気持ちはとても嬉しいです。貴女の気配りや優しさは、私も見習うべき所が幾つもある。ですが、今の私にはフローラさんの気持ちに応えられない……申し訳御座いません」
「そう……ですよね。実は私もこうなる事は分かっていました。でも、お伝えしたかったんです。ハイゼル様が心を寄せる人の隣には、ハイゼル様に恋をしている私がいるって事を……」
「フローラさん……申し訳ないですが、もう少し時間を頂けないでしょうか。もっとお二人とどうなりたいのか考える時間が欲しいのです」
「……やっぱり、ハイゼル様はお優しいですね。 分かりました。ハイゼル様を信じてお待ちしています」
「必ず……フローラさんに誓います!!」
いつの日か前に、そう言えばこんな事があって、フローラはハイゼルに駄目出しをした事があったのを思い出した。
(あの時の駄目出し、覚えててくれたんですね……)
それが分かっただけでも、フローラは少しだけ心に掛かる靄が晴れたような気がした。
「それにしてもハイゼル様。お酒臭いですよ?レウター様に見回りを言い渡されていたのに……。これは後日、レウター様に御報告しますからね?」
「そ、それだけはご勘弁願いたい……」
「フフッ♪ 冗談です♪」
悪戯っぽく笑いながらそう言い残し、フローラは自分の部屋へと戻って行く。それを見届けてから、ハイゼルはもう一度気を引き締め、再び夜の帳へと足を踏み入れていったのだった……。
【続】




