第4話 私、ちょっとあざとくなりました
ディレザリサとフローラが住むゴロランダ山は今、麓の街『ランダ』で、時折、風に流されて精霊の歌が聞こえると、街中が騒ぎになるほどの話題になっている。
どこでそんな尾ひれはひれが付いたのか、その歌を聞いた者は幸せになる……とまで言われ、今では、ランダだけでなく、北大陸の他の村や町、果ては中央大陸からも観光に訪れる者がひきりなしに訪れるようになった。
その為、ランダは『精霊に愛された街』とまで言われるようになり、今日も観光客でランダは賑わいを見せていた。
「なあ、今日は聞こえたか?」
「俺は聞こえたぜ! 今日は〝腹ペコ精霊様〟の歌声だったな!」
「なんだと!? 腹ペコ様が!? クソ、俺は腹ペコ様推しなんだぞ!? もっと早く教えろよ!!」
「腹ペコ様より〝歌姫様〟の方が上手いだろ。これだからにわかは……」
「てめぇ、表出ろや!!」
「あぁ!? やんのかコラァ!?」
夕方の酒場ではこんな話を男共がしている。だが、男共だけではない。女、子供も『歌う精霊様』に夢中なのだ。
「素敵な歌声よねぇ……歌姫様……」
「でも、腹ペコ様の陽気で明るい歌声も魅力的だわ……あんな風に気持ち良さそうに歌って……癒されるわねぇ……」
「その気持ち分かるわ。……私、腹ペコ様の歌、ちょっと覚えちゃったもの」
「あ、私も! 私はお肉が大好きー♪」
「野菜も大好きー♪」
そこからはもう男女合わせた大合唱である。これはもう、ランダで酒を呑むなら欠かせない名物になりつつあった。
「歌って呑めば、更に酒が美味い!!」
「歌う精霊様、万歳!!」
「「「万歳!!」」」
こんなに陽気に見える街だが──、忘れてはいけない。
この街はかつて『魔女狩り』と称して、魔女とは無関係な女、子供、それに関する者達を張り付けにし、焼き払った事があるのだ。
最近までその行為は続いたのだが、この『歌う精霊騒動』が起きてからは、その真実が公にならぬよう、ひた隠している。そう──、この騒動で『魔女狩り騒動』を街全体で揉み消そうとしているのだ。
今日も酒場では腹ペコ精霊様の歌の大合唱が行われている。
その歌を作った本人が、かつて街を追われて、魔女として街に復讐をしようとしている事も知らずに……。
* * *
ディレザリサの言葉の練習、そして、フローラの創造魔法の練習を続けて、早くも二週間の日々が経過した。
ディレザリサはすでに『女の子』と呼べるまでに言葉使いを覚え、フローラも順調に魔力を制御できるまでに至っていた。
「ここまで上達するなんて……」
人間が創造魔法を操るなんて……と、ディレザリサは信じ難い気持ちでいっぱいだった。
気高き竜が使う創造魔法、それはディレザリサがいた元の世界アレキアでは有り得ないことなのだが、フローラはそれをやってのけた。
フローラは自分の周囲一メートルに、創造魔法で草の蔓を生やす事に成功している。
それがどんなに奇跡的なことだとは、フローラには分からないだろう。
「どう……? 少しは良くなってる?」
「良くなってるどころか、こんなに早く、ここまで制御できちゃってることに、驚きを隠せないよ」
「ディレの教え方が上手いからだね!」
違う──、教えるのが上手とか、そういう次元の話ではない。
人間が創造魔法を扱える可能性──それを、もう少し考える必要がある──と、ディレザリサは思考を巡らせた。
もしかするとフローラには元々、創造魔法の才能があったのかもしれない。
有り得ないことではあるが、実際にこうして目の前で蔓を操る姿を見ると、その可能性を否定することができない。
ずっと黙り込んでしまっているディレザリサの姿を見ながら、フローラは「どうしたの? 頭痛いの?」と心配しながら、ディレザリサの額に手を当てた。
「うん。熱はなさそうだね」
「頭痛ではなくて……まあ、いいや。後で考えるよ」
「それにしても」と、フローラは少しディレザリサから離れて、クルッと振り返り「ディレも女の子らしくなってきたね!」と、満足そうな笑顔を向けた。
「か、からかわないでよぉ……」
だが──、ディレザリサ自身も、自分が人間らしくなっていることを実感していた。
感情を表現する……というのは、竜でいた頃も出来ていたが、それは『竜としての感情表現』に過ぎない。
人間の感情表現は喜怒哀楽から始まり、そこからいくつも枝分かれするように無数の感情に分岐して、複雑な構造をしている。その全てをマスターしたわけではないが、それでも『人間としての感情表現』は、当初から比べると、圧倒的に上達している。
それは、人間としての本能かもしれない。
それは、人間の雌として、心境が変化したのかもしれない。
これは、竜から人間への変化なのかもしれない。
感情を学んでいくうちに、その感情がまるで『昔からそうしていた』かのように、自然と身についてくるのだ。
(竜の王としてのプライドは、どこへ行ったのやら……)
山小屋に戻る途中で立ち止まり、そんな事を考える。
(私は……人間の雌であることを楽しんでいる、のか?)
否定をしたい気持ちと、これはこれでよしと思う自分に板挟みにされながらも、ディレザリサは黙って山小屋の中へと入って行った。
太陽が眠り、静寂に包まれる山を月の光が優しく照らす夜、ディレザリサはなかなか眠りにつけなかった。
昼間に感じた『自分への違和感』が、どうしても頭から離れないのだ。
寝返るように幾度も寝る方向を変えた結果、寝ることを諦めたディレザリサは、ベッドからムクッと起き上がり、フローラを起こさぬよう、抜き足差し足、物音を立てないように山小屋から出る。
静かな山の中、人里離れ、人々から忘れられたこの山小屋は、月の光をその身に受けて明るく輝いているようだった。
この光景こそ『魔法』と言われても、何の違和感も無い。
かつて自分が自然の猛威を『魔法』と勘違いしたことを思い出し、微苦笑を浮かべる。
木々の隙間を吹き抜ける夜風はまだ冷たく、山小屋から少し離れた場所には、まだ雪が残っている。
小屋近くの雪は、ディレザリサが『歩行の邪魔だ』と魔法で排除した。そのせいか、山小屋の周囲に雪は残っておらず、この場所だけ世界から切り離されているような雰囲気を醸し出している。
空を見上げれば、天空には満点の星空が浮かぶ。
あの日──、ディレザリサが『咳払い』で雲を吹き飛ばして以来、雪が降る日はなく、今では山奥に残る雪だけが、その名残りを見せている。
「あれから二週間か……」
この世界に飛ばされてから、十と四日が過ぎている。
今では、自分がなぜ、アレキアを滅ぼそうとしていたのかさえも忘れそうになるほどに、この生活は平和だ。
「この生活も悪くは無い、か……」
木々を薙ぎ払い、街を焼き、刃向かう者達を切り裂き、焼き尽くし、喰らったあの日々は、自分にとって『楽しい日々』だったのだろうか……と、こんな境遇になってから深く思索する。
人間になってから、人間の感情を学び、人間の生活を学び、そして、人間の弟子を取り……あの頃の自分が今の自分を見たら、きっとこう言うのだろう。
「ディレザリサよ、愚かなり……」
そして、ディレザリサは決意した。
今は、今やるべき事を全うしよう、と──。
* * *
太陽が再び活動を開始し、山にいる動物達や草木達をその熱で起こす。
それは、山小屋に住む二人も例外ではない。
「ディレー! もう起きないと駄目だよー! 朝だよー!」
両肩をブンブンと揺さぶられたディレザリサは、寝惚け眼で「おはよぉ……」と小さく呟いた。
「──ッ!?」
フローラは思う──、もし、彼女が自分の妹だったら、きっとこの瞬間、抱き着いて頬擦りするのも厭わない、と。
それだけ破壊力のある『おはよぉ』だったのだ。
心臓を撃ち抜く弾丸のような、それでいて甘い囁きのような甘美な囁き……そこに、邪竜ディレザリサの面影など微塵も無い。
「ずるい」
そして、至った答えがこれである。
「え、フローラ……?」
「その容姿で、甘えるように〝おはよ〟なんて言われたら……。うぅ……竜に可愛さで負けるなんて……」
「ちょ、ちょっと……フローラ? 落ち着いて、ね?」
「あ……ご、ごめんなさい!! わ、私ってば……あはは……」
(なるほど……。こういう仕草も効果的なのか)
実は、ディレザリサは一睡もしていない。
全ては『なすべき事』この一瞬のため。
ディレザリサが一番理解するのが難しいのが、この『可愛い』という感情だ。
喜怒哀楽の中、全てにおいてこの『可愛い』は存在してる。
フローラ曰く『可愛さは女の子が持っている最強の武器』らしい。
その武器に殺傷能力は無いが、相手を行動不能にしたり、混乱させたり出来る力だとディレザリサは解釈した──そう、こんな風に。
(同じ雌相手でも〝 可愛い〟は、通用するのだな……)
「フローラ。今日から実戦的な練習するね」
「え?いきなりどうしたの?」
ディレザリサの目的はこれだけではない。
弟子であるフローラの復讐も、目的のひとつなのだ。
「目的、忘れてないよね」
「忘れてなんか、ないよ……」
「今日は獣を狩りに行くよ。もちろん、道具は使わないで魔法で、ね」
そろそろ実戦的な魔法の使い方を習得するべきだとディレザリサは考え、この結論に至った。
魔法は実戦経験を積めば、それだけ進化していく。特に、創造魔法というのは言葉通り『創造』で、自分の意思を魔法として変換するものだ。実戦で得た経験が『予測』となり、それ以降の完成度へ繋がっていく。
「それと、そろそろ歌うのは禁止」
「えーっ!? 何で!?」
「毎回毎回歌ってたら、その隙に殺されちゃうよ?」
「た、確かにそうだけど……お気に入りだったのになぁ」
「因みに、何番まで作ったの?」と、ディレザリサは呆れ顔で訊ねると、フローラは自慢するように胸を張って「十番まで!!」と答えた。
「披露はまた今度って事で……」
フローラは残念だと言わんばかりに「海鮮編、突入だったんだけどなぁ」と、肩を落とした。
(どうせ〝私は魚が好きー♪〟だろう……)
「じゃ、そうと決まれば準備しないと! 朝食の準備するよ、ディレ!」
「はーい」
フローラは気持ちを切り替え切り替えて、朝食の準備に取りかかった。
この暮らしを続けていて、ディレザリサは『料理の大変さ』というものを痛感した。
そして、あまりにも料理の腕が上達しないので、ディレザリサがやること言えば、水汲みと鍋の見張りくらいである。
しかし、それでは納得できないので、今も地道に修練に励んでいるのだが。
「あ! ディレ! もう少しナイフを寝かせないと! あー! 馬鈴薯がこんなに小さく……」
「ご、ごめん……」
──この様である。
調理は四苦八苦の末に出来上がった。
今日は蒸した馬鈴薯とサラダ、そして、薄味のスープといういいつも通りの献立。
「やっぱり、馬鈴薯は蒸すに限る……おいひぃ……」
ほふほふと口の中に入れた馬鈴薯を息で冷ましながらゆっくりと噛み砕くと、馬鈴薯の甘みが口の中に広がり、やがて溶けていく。
サラダにかけてあるのは、野菜をすり潰し、スパイスを少し加えたソースだ。
「野菜って不思議……すり潰すだけで、こうも味が変わるなんて」
最後に薄味の野菜スープだが、こちらには山兎の肉が入っていて、その出汁が効いている。
多少臭みがあるが、それでも十分な仕上がりだ。
「肉を煮るなんて考えた人間は、素直に賞賛に値する。火を通した分、身が引き締まって固くなるけど、その弾力が楽しいな」
「なんだか、こんな質素な料理でそこまで毎回感動してくれるなんて……。逆に申し訳なくなるよ」
目の前でニコニコしながら頬張るディレザリサを見て、フローラはいつもそんな事を思うのであった。
(もし街の料理を食べたら、ディレはどうなっちゃうんだろう……)
そこに一抹の不安を抱えながら、朝食は終了した。
【続】
2018年5月15日──全文の見直し、改稿。
改稿にて本文があまりにも長くなった為、元の4話を『4話と4.5話』に二分割しました。




