〖第四十五話〗私、東地区に行きました
ハイゼルがいなくなった家の中は、何故か嫌な空気が漂っていた。これは『ハイゼルが室内に入ったから』という意味ではなく沈黙が五月蝿いような、そんな矛盾した気持ちが詰まった空気だった。
テーブルの上に置いてある二つのティーカップと、残ったハニーパンを片付け、ディレザリサは近くにあった椅子へ腰掛けると、今、自分が何をするべきか考える。
今やるべき事は『死霊の宴』についての情報を集める事だ。その情報の果てに『アレキア帰還』の手掛かりが有る可能性が高いので、今回ハイゼルから情報を引き出せなかったのは痛手だった。だが、いつまでもレウターやハイゼル達、五将におんぶにだっこでは、いずれにせよこういう情報になっていただろう。それが今回だった…というだけだ。では、どうやって情報収集をするべきか…と考えると、裏に通じるは裏の者達、つまり北地区に行って情報を集めるのが最も効率的だが、生憎、北地区は先の騒乱によりほぼ壊滅状態だ。現在も復興作業が続いているとなると、裏に通じている者達は四方に散ったと見ていい。北地区以外にもそういう者達は存在する。目立った活動はしていないが、以前戦った『鎌鼬のティミー』も、この地区で活動していた野盗の一人だ。上手く行けばそれくらいの奴らを見付けられるかもしれない。そして、ディレザリサは自分の部屋にある衣装タンスから、一枚の黒いローブを取り出しそれを身に纏い、グロッツォから貰った剣を腰に付けた。これで少しは裏の住人に見えるだろう。家から出て、ディレザリサは影の多い裏路地へと足を向けた…。
* * *
幾ら裏路地と言っても、そんな頻繁に犯罪が起こる事は無い。それも、南地区は比較的に犯罪が少ない地区でもある。ならば…と、ディレザリサは普段あまり行かない東地区へと向かう事にした。
東地区は南地区のような明るい雰囲気はなく、どちらかと言えば学生達が多い学業地区になっている。つまり、平均年齢が低いので、その分犯罪率も上がるのだ。だが、兵士の見回りもそれだけ多いので、この地区で悪事を働くよりは、西地区で悪事を働いた方が成功率も高いだろう。だが、学生が多いという事は、それだけ情報も発信されている。例えば、この地区で開発された食べ物や服等の趣向品が、他の地区で流行るという事もしばしば有るのだ。いつの時代も、流行りを作るのは若者という事だろう。
暫く東地区の路地裏を歩いていると、やはり何処にでもこういう事をする輩はいるのだろう。一人の学生を六人で囲んで、金を巻き上げているようだ。
「おい。早く出せよ。殺されてぇのか?」
「お前ん家、金持ちなんだろ?早く出せよ!」
「い、嫌だ!お前らなんかに渡すお金は無い!」
ディレザリサは少し飽き飽きしていたので、こいつらがどうするのか、囲まれている奴はどうするのかを暫く観察する事にした。
「お前、気持ち悪ぃんだよ…女みてぇな顔しやがって!」
「そ、そんなの関係無いだろ!」
「早く出さねぇと…綺麗な顔に傷が付くぜ?」
暫く傍観していようとしたのだが、あまりにも悪者が吐く台詞に、ディレザリサは迂闊にも笑ってしまった。
「あぁ…?誰だテメェ?見せもんじゃねぇぞ!それともテメェが金出すか?」
「悪いな童共…つい可笑しくて笑ってしまったよ」
「女?見た感じ俺らより歳下じゃねぇか…怖い思いしたくなきゃ、その腰に下げてる剣を置いて失せろ!」
六人は標的を完全にディレザリサに向けると、ぞろぞろとディレザリサに近付き、取り囲んだ。
「怖くて小便チビるなよぉ…?」
「ギャハハハッ!!」
だが、ディレザリサが怖がるはずもなく、ただ黙ってこの六人を見ていた。
「何か言えよ…ビビって声も出なくなったのか?」
「なあ、コイツ拉致って犯しちまおうぜ?」
「それいいな!丁度ヤりたいと思ってた所だぜ」
どんどんと言葉がエスカレートして行くのを見て、ディレザリサはどんどん不愉快になってきた。
「…そうか。私を犯したいのか。ならやってみるがいい…出来ればの話だけどな」
「おいおい、こっちは六人だぜ?」
「童が六人纏まったくらいでただの童だろう?私がお前ら如きにやられはしない」
「テメェ…言わせておけば!!」
一斉にディレザリサ目掛けて突進してくるのを、ディレザリサは地面を一脚して六人の頭上まで飛んだ。
「な、何だと!?」
「確か…ハイゼルはどうやっていたか…まあ、取り敢えず速度を上げて斬ればいいんだったか?」
「ハイゼル…?何の話だコラッ!!」
「試してみるか…〝朧なんとか〟」
ディレザリサの身体が一瞬消え、六人の中心に降り立つ。その瞬間、取り囲んでいた者達の履物がビリビリに斬裂かれた。
「「うわああああああああっ!!!!」」
下半身丸出しになった六人の男達は、自分の手でイチモツを隠しながら、足早に去って行った。
「ふむ…なかなか難しいな…朧なんとか…」
六人の男達が落として行った金の入った袋を拾い、ちゃっかり自分の懐にしまったディレザリサは、良い退屈しのぎになったと、その場から立ち去ろうとしたのだが、先程取り囲まれていた者が呼び止めた。
「あ、あの!!」
「…ん?」
「助けて下さりありがとうございます!」
「別に助けた訳ではない。気にするな」
「で、でも…お礼させて下さい!」
「いやだから、私は用事があって忙しいのだが…」
「そこを何とか!お茶だけでも!」
「分かった…分かったからそう騒ぐな」
よく見ると、あの中の一人が言っていたように、その顔はまるで雌に見間違える程に雌のような顔をしている…とディレザリサは思った。これで髪を伸ばせば、先ず男と思う者はいないだろう。
「僕の名前はミッシェル・バークレイズです」
「私はディレだ」
「ディレさんですね…素敵な名前です」
「そ、そうか…」
「それではディレさん、行きましょう!」
そう息巻いているミッシェルの後を歩きながら、ディレザリサはもう少しこの男女を観察しようと思った。
身体はやはり人間の雄で胸は無いが、どちらかと言えば華奢で、骨なんて軽く捻れば折れてしまいそうだ。体型にしても、顔にしても、ますます『男』と呼ぶには難儀な体型だ…と思いつつ、男の観察を止めて、今度は景色を見る。学生が集う地区だけあって、本を取り扱う店や飲食店が多い。逆に、武器や防具を取り扱う店は見当たらない。
「ディレさん。もし良ければ…フードを外してはくれませんか?その…ちょっと目立ってしまうので…すみません」
「ん?そうか、すまないな」
確かに、道行く者達がディレザリサ達を見ていたが、それはディレザリサが『いかにも』な格好をしているからだった。ディレザリサはミッシェルの申し出を聞き、フードを取り、ローブの中に隠していた髪を両手で掻き出すと、ふわりと艶やかで鮮やかな青い髪が出て来た。
「わあ…とても綺麗な髪ですね!それに…可愛いです…口調があれだったので…その、すみません…」
「あ、そうか…忘れてた…」
普段は『背伸びした子供』みたいな口調で他人とは接しているのだが、今回は『裏の住人と接触』が目的だったので、口調を変えるのを忘れてしまっていた。
「見えました!あの店ですよ!」
「ふむ…あれが〝スターズ〟か…」
「はい!学生に人気の喫茶店で、スリータもそうなんですが〝カーシィ〟の種類がとても多いんです!」
「かーしぃ…?」
「はい!…あれ?もしかして飲んだ事無いんですか?」
「ああ…スリータしか飲んだ事がない」
「じゃあ、早く店に入って飲みましょう!」
ミッシェルはディレザリサの手を引いて、店の中へ入った。
「いらっしゃいませ。ご注文がお決まりでしたお声掛け下さい」
「〝ホワイトカーシィ〟を二つお願いします!」
「かしこまりました」
「お代は僕が払うので、好きな席に座って待ってて下さい!」
と言われて店内を見渡すが、店内には学生が沢山いて、空いている席が見当たらない。暫く店内を見て回り、席が空くのを待ってみると、奥のテーブルに座っていた二人組みが席を立ったので、ディレザリサは壁際に座ってミッシェルを待った。
店内は少し薄暗いが、それがかえって落ち着いた印象を受ける…のだが、こうも人が多いと落ち着く雰囲気の店も台無しだ。かなり拘ってインテリアを配置しており、壁に掛けられた絵は広大な草原が描かれていて、なかなかに見事だ…とディレザリサは思う。然し、それに目を向ける者達はいない。各々が各々の仲間と喋る事に夢中のようだ。
(色々と勿体無い店だな…)
と、心の中で感想を呟いていると、銅のコップを二つ両手に持ったミッシェルが来た。
「すみません…ちょっと探しちゃいました」
「こうも人口密度が多いとな…構わない」
ミッシェルは銅のコップを一つディレザリサの前に置くと、コップを向かいの席に置き座った。ディレザリサは手前に置かれた銅のコップの中身を見ると、黄土色の液体が中に入っている。
「これは…飲み物なのか…?」
どう見ても泥水にしか見えないそれを、珍しそうに眺めているディレザリサを見て、ミッシェルは「美味しいので飲んでみてください!」と薦めた。ディレザリサは恐る恐るそれを一口啜ってみると、口の中に『苦味』と『甘み』が混ざった不思議な味がした。
「ほう…これはなかなか…」
「カーシィは苦味のある飲み物ですが、ミルクとハニーシロップを入れると飲みやすいんですよ」
「なるほど…この甘みはハニーシロップか…でも、少し違うような甘みだな…」
「そうですね。普通のハニーシロップではなく、甘さを抑えたハニーシロップらしいです…気に入って貰えましたか?」
「美味しい…」
両手でチビチビ飲む姿は、ミッシェルから見れば歳下の女の子だろう。そして、ニコニコしながら飲む姿は、とても愛らしく映った。
「気に入って貰えて良かったです!」
「ありがとう。とても気に入った」
「所で───」
ミッシェルは真剣な声色で、ディレザリサに訊ねる。
「あの時ハイゼル様がどうのって言ってましたが…お知り合いなんですか?」
「あ、ああ…ちょっと…」
「凄いですね!あの英雄も知り合いなんて!」
「声がでかい!!」
「あ!す、すみません…でも、道理でそんなに強いと思ったら…剣術はハイゼル様から習ったんですか?」
「ん?うーん…ま、まあ、そういう感じだな…」
実は剣を使うのは今日が初めてなのだが…と言うのは隠す事にし、話を合わせる。
「僕は…実はハイゼル様が好きなんです」
「そうなのか。…ん?それはハイゼルの人間性がという事か?」
「いや…あの…恋愛対象として…」
「───ッ!?」
ディレザリサは暫く放心状態になり、開いた口が塞がらなかった…。
【続】




