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私、元は邪竜でした  作者: 瀬野 或
三章 邪竜と聖者 〜中央大陸 首都レイバーテイン 暴虐の牙編〜
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〖第三十九話〗すれ違い、そして雪は解けるのでした


 フローラの朝は早い。朝日が登りきる前にはベッドから立ち上がり、朝食の準備を開始する。今日の朝食は何にするか…と考えながらキッチンまで歩く。

 雪の季節が過ぎ去り、新しい芽吹きの季節になったは良いが寒さだけ残り、何の躊躇いもなくベッドから出られるようになったのはここ最近だ。時間というものはそうやって、気付かぬ内に過ぎて行くのだろう。そう何気なく感じたが、この…何とも言えない…胸の内を針がチクチクと刺すような感覚が、いつまでも消えてくれない。その原因となっている張本人は、今も可愛い寝息をたて、スヤスヤと眠っている。

 いつまで一緒にいられるだろうか。いつかは元の世界へ帰ってしまうのだろうか。本当に竜の姿を取り戻したいのだろうか。ディレザリサはそれらについて、明言を避けているような節さえ感じる。それならもう元の世界に帰るのも、竜の姿を取り戻すのも諦めて、自分と一緒に、これからも慎ましく暮らしていけば良いのに…なんて本音を心の中へ封じ込めて、フローラは今も眠っている、姉のような、妹のような彼女の為に、朝食の準備に取り掛かった。


 グラーフィン家からと、捜査協力としてレウターがこの二人の経済的支援をしているだけあり、今は食材に困ることはない。だが、ずっとこのままで良いはずもない。特にグラーフィン家の支援は早目に何とかしなければ…と思いつつも、ディレザリサが一般的な仕事を出来るとは思えない。一応レウターの『捜査協力』として稼いではくれているが、ではその稼ぎだけで生活出来るか?と言われると頭が痛い。ではフローラもレウターの手伝いをすれば良いかと言うとそれもまた無理な話で、ディレザリサの戦闘能力と、フローラの戦闘能力では月と(すっぽん)であり、一般人に少し毛が生えた程度だ。その程度の人材をレウターが実戦で使うはずもなく、現状、フローラはディレザリサの家政婦的な役割しか出来ていないのだ。


「唯一の取り柄でもある〝創造魔法〟も滅多に使えないし…私って何の為に魔法を覚えて魔女になったんだろう…」


 復讐…は既に遂げている。なので、身の危険が無い限りこの魔法は使えないのだ。悩み事だけが重石のように積み重なって、フローラの心を蝕んでいく。


「ディレにとって、私って何なんだろう…?」


 ディレザリサは人間の事を『取るに足らない存在』と認識している。


「じゃあ、私は…?」


 竜の魔女?邪竜の使い?それともただの召使い?

 どす黒い感情がどんどんとフローラの心を侵食していく…。


「ねぇディレ…私は貴女の何なの…?答えてよ…ディレ…」


 今日の朝食は胡桃入りのパンとサラダとスープ。

 スープは、少し塩気が多くなりそうだ…。


 * * *


 朝食を済ませてからは、レウターが持ってきた様々な書物を読み漁り、何事も無ければそれで一日が終わる。その事にも危機感を持たないディレザリサとは違い、フローラはもどかしい気持ちをいつも口に出せずにいた。自分が何とかしないと…そう思い、フローラは行動に移そうと決意して、ディレザリサに向き合った。


「ディレ。ちょっと出掛けてくるね?」


 ディレザリサは特に気に留める事もなく、本を読みながら「分かった」と告げる。その態度にもフローラは若干の苛立ちを覚えたが、ここで言い争った所で何も生み出さないだろうと、特に行き先も告げずに家を出た。

 外はいつも通り、露店の呼び込みや大道芸人達の芸を見て楽しむ人々で賑わいを見せている。いつも楽しそうに映る景色だが、今のフローラには興を楽しむ余裕は無かった。この人達だって必死に芸をして日銭を稼いでいるのに、気分達が自堕落に、無駄に時間を費やしていると思うと、彼らの芸を愉快と思えない。皆、生きる事に必死なのだ。たまにふらっと訪ねてくる五将の彼らだって、城で踏ん反り返っているだけではないだろう。特にハイゼルは真面目な性格だし、最近五将入りした事もあり、訪ねて来る回数も減っている。


「やっぱり、このままじゃ駄目…でも、どうすれば…」


 大通りの木陰にあるベンチに座りながら途方に暮れていると、見覚えのある黒の燕尾服を見に纏う白髪の老人が通り過ぎた。


「ロブソンさん…?」


 ロブソンは、どこで誰に呼ばれたのか、把握出来てない様子で辺りを見回していたが、フローラと目が合うと、ゆっくりと近付いて来て、フローラの目の前に来ると礼儀正しく会釈をした。


「お久しぶりです、フローラ様。今日はディレ様とご一緒ではないのですか?」


「はい。ちょっと気分転換…です」


「気分転換ですか…お顔の色が優れないようですが、何か御座いましたか?」


「えぇ…宜しければ隣どうぞ」


「それでは、失礼致します」


 ロブソンが腰掛けたのを見計らい、フローラはディレザリサにまつわる事以外の悩みを打ち明けた。ロブソンはフローラが話終えるまで口出しはせず、ただ相槌を打って聞いていた。


「───と、言う訳なんです」


「なるほど…つまり、フローラ様は〝自立したい〟と言うことですね?確かにグラーフィン家は御二人方に不自由な生活をさせないよう、出来る限り支援を行なってきました。然し、それがフローラ様を追い詰める結果になってしまっていた…そこまで思い詰めていらっしゃったとは…配慮が至らず、申し訳御座いません」


 ロブソンは深々と頭を下げた。


「そんな!?ロブソンさんのせいでは…頭をお上げください!!」


 ロブソンは頭をゆっくりと上げると、「そうだ」と、何か思いついたようで、フローラに向き合った。


「実は私もフローラ様に、折り入ってご相談があるのですが…」


「私に…ですか?」


「実は、庭師が腰を痛めてしまって庭の手入れをする者がいなくなってしまったのです。いずれはハイゼル様の奥方様になられるお方に、このようなお願いをするべきではないのですが…週に三度、日にちはお任せしますので、庭の手入れをして頂けませんか?報酬は、今までお渡ししている額を、給料という形でどうでしょう?もちろんお仕事としての依頼ですので、能力に見合った分も追加します。如何でしょうか?」


「───ッ!?」


 これは願ったり叶ったりな仕事だ。今、支援という形で渡されている賃金も、仕事の報酬となれば正当な報酬となる。気が引ける思いをしなくて済むのだ。それに、ディレザリサでもたまに稼いで来るのに、自分だけ何もしないというのはずっと苦しかったので、フローラはこの提案を二つ返事で受けた。


「ありがとうございます。それでは、少し打ち合わせをしたいので、グラーフィン家にまで来て頂いても宜しいでしょうか?」


「は、はい!!」


 * * *


 その後、グラーフィン家を訪ね、仕事の説明を聞き、グラーフィン家の庭を見学して、一通り把握した所で今日は終わりとなった。


「それではフローラ様。来週からどうぞ宜しくお願いします」


「はい!頑張ります!」


 屋敷の門までロブソンは見送り、フローラはようやく少しだけ霧が晴れた気がした。

 空はすっかり赤くなり、夕暮れの太陽が沈みかけている。それだけ覚える事が多かったのもそうだが、それ以前にグラーフィン家が恐ろしい程に広く、部屋の説明から何やらまでロブソンに叩き込まれたのが一番時間を割いた。


「ディレはなんて言うかな…」


 ディレザリサになんの説明もせずに決めてしまったので、もしかしたら怒られるかもしれない。それでも、今の生活をずっと続けるよりはいい…と、フローラは自信を持って、家の扉を開けた。


「ディレ、ただいまぁー…」


 家の中は明かりの一つすらついてない。窓あら差し込む夕日だけが、家の中を照らしていた。


「ディレ?いないの…?」


 呼んでも応答は無い。もしかしたら外出しているのかも…と、フローラはいつも本を読んでいるリビングに入り、明かりをつけた。すると、ディレザリサはずっと本を読み続けていたようで、まだフローラが帰宅した事に気付いていなかった。


「ディレ!?まだ読んでたの!?」


「ん?あ、おかえり」


「ただいま…って、そうじゃなくて!!明かりもつけないでどうしたの!?」


 ディレザリサはその場で軽く伸びをすると、不敵な笑みを浮かべた。


「ついに手掛かりらしい手掛かりを見つけたぞ…」


 フローラの鼓動がドクンと跳ね上がる。


「手掛かりって…?」


「アレキアに戻る手掛かりだ。まあ、足掛かり程度の信憑性の薄い物だが…フローラ?」


「……」


 ついにこの時が来てしまった。ディレザリサはまだ諦めてはいなかったのだ。


「今朝から何か様子がおかしいとは思っていたが…何かあったのか?」


 その言葉を聞くのがもっと早ければ、フローラもここまで深刻に捉えなかったかもしれない。だが、それを今どうこう言った所でどうにもならないのだ。自分の思い上がり、勘違いだと言う事も重々承知であり、いつまでもこうしていられるとも思ってない。だけど…それでもフローラはディレザリサがこの世界に留まってくれるのではないかと、一抹の期待をしていた。


「何が…不満なの…?」


「フローラ…?」


 今まで抑えていた感情が、今まで見ないようにしてきた現実が、フローラの心をぐちゃぐちゃに掻き乱していく。まるで地面がなくなり、奈落の底へと急降下していく感覚…これには覚えがあった。魔女狩りによって両親を失い、絶望の淵に立たされる感覚と同じだ。


「ディレはこの世界に何の不満があるの?今だって楽しく生活出来てるじゃない。元の世界に戻っても、邪竜としてまた君臨するだけでしょ?それに何の意味があるの!?人間を苦しめて、ただ戦う日々に、何の意味があると言うの!?教えてよ…ディレザリサ!!」


「意味…か…」


「あ…」


 今の発言は完全な否定だ。これまでアレキアで生きてきたディレザリサを根底から否定する言葉だった。然し、発してしまった言葉が戻る事はない。

 冷たく、重い空気が部屋の中を包む。もうすっかり芽吹きの季節になり、夜でも寒さを感じなくなったはずなのに、この部屋だけはまた雪の降るあの山の、凍てつくような寒さに包まれているかのように、背筋を、足先を、指先を震え上がらせている。


 謝らなければ、もうディレザリサはこの家にも、自分の元にも帰って来ないかもしれない。いや、謝って済む問題ではないのかもしれない。竜としてのディレザリサを真っ向から否定したのだ。それはプライドの高いディレザリサにとって、どれほど屈辱だっただろうか…それを考える事すら、今のフローラには出来なかった。


「ごめんなさい…こんな事を言うつもりはなかったの…」


 フローラの瞳からは後悔の涙が溢れ、嗚咽さえ隠せない。

 自分の復讐を手助けしてくれた彼女に対して、あまりにも酷い事を言ってしまった…と、頭の中は自責の念で溢れかえっている。その様子を、ディレザリサはただ見つめていた。言葉を掛けるでもなく、ただじっとフローラを見つめ続けた。そして、フローラの嗚咽が少し収まってきた頃合いを見計らって、優しい声音でフローラに話し掛けた。


「確かに…今まで私が過ごした日々は、人間からすれば理解の出来ないものだと思う。今、人間になってみて、それを強く感じているのも事実だ。だが、やはり竜というのはそい言う存在としかいえないんだ。戦う事が自分の生きる証明であり、本能がそれを望む。あの頃の私は、それしか頭になかったからな。だからといって、あの頃の自分を否定しないし、私は今でも誇らしく思う。だから、私は帰るんだ。あの頃の自分をもう一度感じたいのだ。自分が生きた証を、強さの証明を、そして…今なら分かる過ちを、な」


「……」


「それに、私はこの世界を諦めない」


「───ッ!!」


「この世界は、誠に居心地が良いからな。情けない英雄がいて、憎たらしいが面白い奴もいて、何を考えているのかさっぱり理解できない女がいて、それに…」


 かつて、好敵手と思った男がいる…と言うのは伏せた。


「初めて…か、家族…と呼べる者も出来たしな…」


「ディレ…ディレ…ごめんなさい…本当に、ごめんなさい…」


 嬉しさと、自らの未熟さと、我儘と、様々な想いがぶつかり合って、嗚咽をまた吐き出しながら、フローラはディレザリサの言葉を噛み締める。


「だから、私がアレキアに帰ったとしても、私は再びこの世界に戻ると約束しよう…戻れたらの話ではあるがな…」


 ディレザリサもなんだか恥ずかしくなってきて、最後の言葉はモゴモゴと言葉になっていなっかたが、それでもフローラは何度も何度も頷いていた。


「ありがとうディレ…この世界を諦めないでいてくれて…」


「わ、私は欲張りだからな!!」


 こうして二人の蟠り(わだかまり)は解けた。


「ディレ、私…仕事する事にしたの」


「仕事…?一体何の仕事を?」


「グラーフィン家の庭師の仕事だよ」


「グラーフィンって…ハイゼルの屋敷か!?」


「うん。ちゃんと説明するね。でも…その前に夕飯にしようか。さっきからディレのお腹なりっぱだしね」


「うぐ…説得力皆無ではないか…フローラ!早急に頼む!」


「はいはい」


 雪解けが新しい芽吹きを伝えるように、溶けた心の氷は新しい感情を結ぶ。そして、流れ出した雪解け水は、やがて大きな空へ回帰していくのだ。こうしてまた繰り返しながら、いつか、本物の『何か』に気がつくのだろう。


 この日、二人は家族となった。


 【続】

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