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私、元は邪竜でした  作者: 瀬野 或
一章 邪竜と魔女 〜北大陸 中央街ランダ 歌う精霊編〜
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第2話 私、勉強する事にしました


 ディレザリサは自分の前に置かれた『シチュー』というものと『パン』というものを訝し気に眺めながら、「これが料理か……」と、立ち上る煙に舌鼓を打ち、徐に両手でシチューの入っている皿を持つと、口をつけて、そのままズズズと行儀悪く飲んだ。


「は、なんだこれは……ッ」


 口の中に広がる優しい甘みと、野菜から溶けだした出汁(だし)が合わさり、見事な調和を生み出している。

 普段料理などしない竜にとって、『料理』はそれこそ『奇跡の魔法』に近いものだ。

 シチューは一般的に作られる料理なのだが、ディレザリサが食事をする時の大半が『生』である。そのまま動物を喰らうか、人間を喰らうか……しか無い。

 『料理』という『食材を調理したもの』は、ディレザリサにとって目新しく、画期的な食べ物だったのだ。

 フローラは無我夢中でシチューを飲むディレザリサに、「美味しい?」と問い掛けると、ディレザリサは我に返ったのか、スッと皿をテーブルに置いて、スープ塗れの口元で答えた。


「なかなかの美味だ。この〝しちゅう〟という飲み物は、牛の乳で草を煮込んでいるのか……? いや、草だけでなく根も入っているな」


 ディレザリサはスープが無くり、具だけになっている皿の中に入っている野菜達を、手元にあった木製の匙でつんつんと突いては転がしながら答えた。


「本当はウサギの肉や鳥の肉とかも入れると美味しいんだけど、今は切らしちゃって……って、シチュー食べた事無いの!?」

「無い。私は生肉が基本だ」

「生!? お腹壊しちゃうよ!?」


 この世界で生食出来る食材は『野菜』くらいなもので、基本的には全ての食材に火を通す。故に『生で肉を食べる』なんて、フローラからすれば吃驚仰天である。

 開いた口が塞がらないと、言わんばかりの表情を浮かべるフローラの事を、気にする素振りも見せないディレザリサは、スープの隣に並べてあった楕円形の『パン』を手で千切り、ポイッと口の中に放り込み、もぐもぐと噛み締めながら話す。


「然し、この〝パン〟という食べ物は、また不思議な料理だ。口の中に入れると水分が全て奪われるようだが、このしちゅうとやらと一緒に食べる事によって、それが解消されて食べやすくなるのだな?」

「焼き立てならもっと美味しいんだけど……って、パンも食べた事無いの!?」


 フローラは、ディレザリサは普段、何を食べているのだろうか……? と心配になってきた。

 そんな心配をさて知らず、ディレザリサは「そもそも、食材を加工する……という発想が無かったな」と、何故か自慢気に話していた。


「そ、そっか……。こんな辺境の雪国の山に裸で倒れてたし、余程ひもじい思いをしてたんだね」


 フローラはまだ、ディレザリサを竜と信じていない。故にあの時、何故ディレザリサが裸一貫で倒れていたのか……という理由に『野盗達に身包みを全て剥がされた』と誤認した。

 確かに、先程のディレザリサとの会話から察すれば、そういう理由に辿り着かない事もない。


(相変わらず勘違いしているようだが……まあ、良いか)


 自分の事を『竜』だと信じないのなら、それはそれで都合が良い……と、ディレザリサは敢えて否定をしなかった。

 今は自分も人間の姿をしているので、これから生きていく術や、元の世界へ戻る方法を探す際に、この姿なら他の人間とも接触しやすいだろうと思ったからだ。


 「ねえ、ディレ?」とフローラは憐憫(れんびん)な表情を浮かべながら、ディレザリサに訊ねる。


「なんだ?」

「ディレって、元は貴族とかだったりする?」

「貴族……?」

「うん。話し方が貴族っぽいから」

「そうか、話し方か……」


 改めて自分の口調を考えてみると、確かに人間の中では高位な者と似た口調をしていた。然し、それは自分が人間よりも優れているからに他あらず、人間は竜より弱い存在だ。

 尊敬に値する程の価値すら感じない劣等部族に、敬意をなど微塵も感じなかったので、この姿になってからもその口調を変えずにいた。


「おかしい……のか?」


 「あ、ううん!?」と手をバタバタと翻しながら否定したフローラではあるが、ディレザリサの容姿でその喋り方というのが、あまりにも似合っていないのが気になり、「そんなに可愛いのに、その口調だと勿体無いなー」と、率直な感想を述べた。


「ふむ…先程から言う、〝可愛い〟とは何と言う意味だ?」

「愛らしい…とか、人物に限らず、その物や容姿を褒める際に使ったりする言葉なんだけど……ディレ、知らないの……?」

「そもそもそういう感覚が存在しないからな。弱者か強者か、それだけだ」


 ディレザリサがこれまで生きて来た中で『美しい』と呼べる感覚は培われてきたが、『可愛い』という抽象的な感覚は備わっていない。


「今までどんな暮らししてたのか、ちょっと気になるけど、聞くのが怖い気もする……」

「まあ、人間には刺激が強過ぎる話かもしれんな」


 焼き払った人間の焦げる臭いや、血が飛び交う戦場の話等を、今、話すべきものでは無いと判断して、ディレザリサは話題を変える事にした。


「お前は、この山奥に一人で住んでいるのか?」


 あの凍結魔法が荒ぶるこの山奥で、こんな貧弱な人間の雌一人で生活するとなると、その生活はなかなかに厳しいものと予想出来る。つまり、誰かの支援があって、それが生活の基盤となっているのではないか、と考えた。


「うん。一人だよ」

「一人なのか……。さぞ不便だろうな」

「この地方は吹雪が酷いから、その点は不便だね。でも、狩りをしたり、雪に強い野菜もあるからそれらを収穫して、何とか生きてるって感じ」


 「〝ゆき〟……?」と、ディレザリサは聞き慣れない単語を耳にして、小首を傾げた。


「〝ゆき〟とはなんだ?」

「え……? 雪は雪だよ……?」

「外で猛威を奮っている、あの凍結魔法の名称か?」

「魔法? ふふっ、違うよ。あれは自然現象」

「なん……だと……!?」


 幾ら人間の姿をしているからと言っても、元は竜。人間の世界で常識的な事も、竜であるディレザリサには『未知』なのだ。

 竜の中の王にして、最強と呼ばれたディレザリサをここまで追い詰めたのが、魔法ではなく自然現象だったのがまず驚きだった。然し、よくよく考えてみると魔法が発動している痕跡は無く、そんな判断も出来ない程、自分が追い詰められていた事に、ディレザリサはようやく気付いた。


「さっきから何も分からないようだけど……もしかして、ディレって……」

「ふう……やっと気付いたか。そうだ私は──」

「──記憶喪失なの?」

「……」


 人間は小賢しい者が多く、故に知識だけは認めていたのだが、この雌はどうやらそうでもないらしい……と、ディレザリサは失笑を禁じ得なかった。


「お前は猿か何かか? 言っただろう。私は(ドラゴン)だ、と」


 然し、そうは言っても、ディレザリサは、自分と同い年くらいの可愛い少女であり、フローラは訝しげな表情で「でも、人間だよね?」と、未だにディレザリサが竜だという言葉に懐疑心を抱いている。

 ディレザリサは拉致のあかない押問答になりそうだ──と、これまでの経緯を端的に、要点だけをまとめてフローラに説明した。


「──という経緯があって、今、私はこの世界にいるのだ」


 フローラは呆気に取られた顔で聞いていたが、何とか話を理解しようと黙考(もっこう)する。そして、ようやく頭の中で整理が終わった。


「凄い……。今まで読んできた本よりも、断然面白いよ!」

「本……ッ!?」


 「じゃなきゃ、私はとっくに殺されてるよ」と笑顔を見せるフローラは、今しがた語られた話が、全てディレザリサが作り出したものだと確信しているようで、摩訶不思議な冒険ファンタジーに、瞳をキラキラ輝かせていた。


「そこまで真実に目を背けるのなら、私が竜だという証拠を見せてやる。外に出ろ」


 ディレザリサは半ば強引にフローラの手を引き、外へと連れ出した。

 外は未だに雪が吹き荒れ、木々の隙間を通る風が轟音のような音を鳴らしている。


「寒いよ……ねぇ、中に入ろう?」

「なに……。時期に熱くなるだろう」


 そして、ディレザリサは右手に魔力を集中する。

 ディレザリサの右手は赤く輝き出し、身体から迸る魔力が右手に吸い寄せられて、メラメラと燃え盛る炎の球体に変化していく。


「え? 何それ……、魔法? 凄い……」

「これが〝凄い〟のか?……こんなものでは無いぞ?」


 そして、ディレザリサは大きく口を開き空気を吸い込み、その空気を少しずつ吐き出すように、ディレザリサは詠唱した。

 ディレザリサの声は美しい旋律を奏でて、透き通る音色は聴く者を虜にするだろう。


「その歌……さっきの……」


 だが、フローラは直ぐに異変に気付いた。先程よりも巨大な炎の球体が、ディレザリサの右手から数センチ上をフワフワと漂っているのだ。しかも、歌声と同調するかのように、その大きはどんどん膨れあがっている。


「歌の魔法……? こんなの、見た事も聞いた事も無い……ッ」


 ディレザリサは「こんなものか」と呟くと、腰を深く落とし、膨大な熱量を持つ炎の球体を力いっぱいに天へと投げた。

 球体は徐々にスピードを上げ、雲を貫いた所で大爆発を起こす。

 その爆発の威力で、雪を降らせていた雲は爆風にって飛散すると、その後から、この時期には珍しい星空が現れた。


「雪雲が、無くなっちゃった……」

「私に仇なす者は、神だろうが自然だろうが容赦はしない」


 フローラは腰を抜かしてしまったようで、その場に崩れ落ちた。だが、この状況でそうならない者の方が少ないだろう──目の前に人類の天敵がいるのだから。

 ようやくフローラは状況を理解したようで、顔を真っ青にしてガクガクと身体を震わせる。

 

「私を、殺すの……?」


 この雌を殺しても得になる事は無いが、「どうして欲しい?」と、薄ら笑いを浮かべて問う。

 どうせ人間だ、命乞いするだろう──と、次の展開を予想していたが、フローラは、ディレザリサの予想を超えていた。


「痛くしないでくれるのなら、殺されてもいい……かな」

「……何?」


 これまで相対した人間達は、ほぼ全員命乞いをしてきた。『金』や『女』を自分の命の引き合いにして、許しを乞う愚か者もいた。

 大半の人間は『自分だけは助けて欲しい』という、何とも身勝手な命乞いであったので、ディレザリサは以前、その者だけを残し、全てを焼き尽くした事がある。その結果、その者は自害したが。

 然し、この雌(フローラ)は違う。

 これがもし剣士や戦士だったなら、その覚悟を認め、一撃で仕留める所なのだが、この雌はただの雌。

 剣士でもなければ戦士でもない、単なる人間の雌なのだ。


「死が怖くないのか?」


 その問に対して、諦めの色を浮かべた眼差しをディレザリサに向ける。


「魔女と決め付けられて、家族は私以外焼き払われ、住む所も失い、今ではこの山小屋が唯一の家……もう疲れちゃった。早く家族の元へ行きたい……」


 人間の世界の理は、竜であるディレザリサには理解し難い。それ故にディレザリサは「くだらない理由だな」と、フローラを睨む。


「ディレには分からないよ。竜だもん……。一思いに殺して」


 これ以上言葉を交わす事は無いだろう──と、フローラは瞼を閉じる。

 精霊に祈る事は無い。ましてや、神に祈る事も無い。

 フローラは想う──、人間という生を受けてから十六年と数ヶ月、幸せだった日々は無残にも壊され、もう思い残す事は── 


「復讐、したくはないのか──?」


 フローラは、閉じた瞼をピクリと動かした。

 この反応を見たディレザリサは、ふむ、なるほど……と頷き、一瞬で、フローラの内心にある、どろどろとした『黒い感情』を見抜いた。


「力が無い、もの……」


 たかだか人間の雌一人程度に出来る事と言えば、精々、噂を流す事くらいだ。だが、人の噂も七十五日、いや、こんな小娘の流す噂など、七十五日待たずに風化するだろう。

 然し、何も出来ないのは『ただの人間なら』の話である。

 ディレザリサはこの雌が腹の底に持っている鬱々としてどろどろとした『黒い感情』を表に出す事にした。


「つまり、お前に魔力(ちから)があれば〝復讐〟も視野に入れる……そういう事だな?」


 流石にこれは否定したいと、フローラは目を開けて「そんなつもりは無いッ!!」と抗議した。だが、ディレザリサにはフローラがひた隠しにしている、どす黒い感情だけを見つめた。


「無害そうな顔をして、なかなか良いモノを腹の中に隠しているではないか。その感情こそ〝魔女〟と呼ぶに相応しい、と、私は思うのだが?」

「私は……魔女なんかじゃ……」

「往生際の悪い奴め。認めよッ!! 貴様は憎いのだろうッ!? 自分の全てを奪った者達が憎いのだろうッ!?」


 夜の山に、竜の咆哮とも呼べる声が響く。


「に……い……」

「なんだ、聞こえないぞ」


 身体を震わせ、地面に着いていた両の手は、土を抉るようにぐっと力を込める。

 今まで誰にも言わなかった──自分の中で何とか処理しようとしていた鬱憤(うっぷん)が、津波の如く押し寄せて、フローラは切歯扼腕(せっしやくわん)の表情を浮かべる。

 そして、ついに怒り狂ったように右手を地面に叩き付けて、悔し涙を流しながらディレザリサに訴えた。


「憎い……。憎い憎い憎いッ!! 私をこんな目に遭わせた奴らが憎いッ!! 殺して……やりたい……ッ」


 怒りが心頭に発したフローラは、何度も何度も地面を殴り続ける。

 ディレザリサはフローラが振り翳した右手を自身の左手で受け止めて、その怒りに満足したかのような笑みを浮かべる。そして、掴んだ右手をそのまま自分に引き寄せて抱き締めると、耳元で悪魔のような提案を囁いた。


「力を欲するのなら与えてやる。本物の〝魔女〟になる覚悟はあるか?」


 その言葉は、今までフローラが何度願ったか分からない、喉から手が出る程に欲していた言葉だった。

 力さえあれば、復讐を果たせる。

 その提案を拒絶する理由を、フローラは持ち合わせていなかった。


「私に……力を、邪悪な竜の力を貸して下さい……ッ」


 ディレザリサはフローラからゆっくり離れると、フローラの両肩を掴み、微笑みを浮かべながら答えた。


「与えてやろう。お前は今日から〝邪竜(りゅう)の魔女〟だ」

「あり……がとう……」


 フローラは安堵したのか、そう言い残して、ディレザリサに身体を預けるように倒れ、そのまま気を失った。

 「さて……どうしたものか……」と、フローラを抱き締めながら熟考する。


 当面の目標は決まった。

 フローラを魔女にして、その力で復讐を果たさせる。


「だが、私は誰かに教えを授けた事が無い……」


 元の世界にいた頃の、悪い癖が出てしまった。

 何となくそれっぽい事を言えば、大抵の人間はディレザリサを好敵手とし、精一杯の抵抗をしてくれる。

 お陰で多少は楽しむ事が出来るのだが、今回に限っては、自分が力添えする……などと、調子の良い事を言ってしまった。


「まあ、退屈しのぎにはなるか」


 もっとこの世界についての情報も欲しい。

 それなら、フローラを使役する方が都合が良い。


「それまで、有意義に使わせて貰うぞ? フローラ」


 そのままフローラを抱き抱えて小屋の中へと入り、今しがた自分が寝ていたベッドに寝かせた。


「人間と会話をするのなら、この口調を何とかしなければならないか……」


 フローラが寝ているベッドの横に椅子を持ち、その椅子に座りながら自分の立ち回りを考える。

 今、自分の姿は竜ではなく、そこら辺にいる村娘と同じだ──、この話し方では怪しがられてしまう。


「どう話せばいいやら…違うな。どう話せばよいやらです? ……これも違う。人間の言葉というのは、どうも慣れない……」


 そうだ!とディレザリサは閃いた。


「目の前に良い見本があるではないか!! ……あるじゃないよ? ……練習する必要があるな」


 もう一度、ディレザリサはフローラがどんな話し方をしていたのかを思い出す。

 丁寧な言葉使いではなかったが、相手を不快にするような話し方でもない。寧ろ、相手の警戒心を払うような、優しい音色だった……気がする。


「こうだろうか……こうですかな……!?」


 自分で発した言葉に戸惑いを隠せなかった。

 自分が単なる人間の雌に成り下がったような、そんな声だったのだ。


「最悪だ……汚点だ……屈辱だ……」


 だが、これをマスターするのとしないのでは、相手から見た自分の印象が変わる。


「言葉もそうだが、人間の感情表現というのも学ばねば……」


 それこそ屈辱───。


 もしこれを、以前戦った白銀の騎士にでも見られたら、笑われる事間違い無しだ。然し、その白銀の騎士も今はこの世界所か生きてさえいない。

 人間にしてはなかなかの腕前だったが、ディレザリサがその爪で裂き殺している。


「あれほどの腕の持ち主でさえ、私を殺す事が出来なかった……出来なかったの……? 出来なかったわよ……?」


 寧ろ、この状況の方が死にそうだ。いや、死にたくなるとディレザリサは深く後悔する。それも全て、フローラに力添えすると言ってしまったが故だ。

 人間の姿に堕ちたとは言え、邪悪な『竜の王』とまで呼ばれた存在だ。

 その口から出た言葉には、責任を果たさなければならない。


「この雌から教えを乞う事になるとは……早く……起き……」


 いつの間にか、ディレザリサも深い眠りについてしまった……。


 【続】

2018年5月3日───文章を修正。

2018年5月13日───全文の見直しと修正。

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