〖第二十六話〗弟子、師匠に違和感を感じました
《二十六話》
ハイゼルとレウターを取り囲むように、兵士達がこの一戦を見つめていた。双方、どちらも動かずの硬直状態だ。ハイゼルは全身に『精霊王の加護の力』を纏っているが、その力すら目の前にいる男、レウター・ローディロイに届かないのではないか…と思ってしまう程、ローディロイに隙は無い…いや、ローディロイは隙丸出しだ。剣を右手に持ってはいるが、構えてはいない。普通の相手なら「隙有り!」と強襲を掛ける所だが、ハイゼルはそれをしない。何故なら知っているから。レウターが『こういう戦い方をする』のを、理解しているからこそ、この膠着状態が続いているのだ。
例えば、先日の戦いで見せたハイゼルの得意剣技『朧崩し』を使ったとする。朧崩しは相手の頭上に高速移動し、更に頭上から高速の一撃を与える技だが、これさえもレウターは弾き返すだろう。それがレウターの使う『剣壁』と呼ばれる絶対防御の技なのだ。それを成し得るには体術もそうだが、『眼力』も必要になる。レウターが使う剣術は『深淵をも見通す眼』である『深眼』と、絶対的なバランス感覚から放たれる『無の刃』を使い『剣壁』で相手の攻撃を全て無に返し、カウンターで仕留めるという神技に近い剣術なのだ。これを攻略しなければ、ハイゼルに勝機は無い。
故に、レウターは絶対的な自信があるのだ。
自分が負ける確率は0に等しい…と。
(レウター様に攻撃を仕掛ければ、確実にカウンターで斬り返される…然し、このまま膠着状態を続けても勝機など無い…どうする…どうするハイゼル・グラーフィン…)
ハイゼルは焦りを禁じ得ない。自分が本気を出しても、レウターに一歩も近付く事が出来ないのだから尚更だ。きっと…この状況を見ている二人は、自分が勝つと信じて待ってくれているのだろう…と、それが更にハイゼルにプレッシャーを掛けていた。
* * *
「何をしている…ハイゼル。やるなら早くしないか」
…と、まさかこんな事をディレザリサに言われているとは思わないだろう。ディレザリサはハイゼルが勝てるとは露にも思っていない。寧ろ、早く攻めの一歩を見せろと、少々飽きている。
「ディレ?これって…どういう事なの?」
互いに動かない二人を見て、フローラがディレザリサに状況を確認する。
「レウターの気迫に負けて、ハイゼルが動けない…それだけ」
「そ、そうなんだ…」
その後に「ハイゼル様、可哀想に…」という言葉が出そうになるが、フローラは飲み込んだ。
「でも、ハイゼル様が負けたら…ディレ、正体をばらさなきゃならなくなるよ?いいの?」
「───もう、覚悟は決めている。奴の方が一枚も二枚も上手だった…それだけだ」
完全に諦めモードだが、先程ディレザリサが呟いた言葉の意味が、フローラには分からない。あの物言いは、まるで『ハイゼルが勝つ』ような言い方だったからだ。先程のディレザリサの説明を聞いて、フローラはハイゼルに勝機は無いと悟った。故に、それを既に確信していたディレザリサの『ここにいるのは誰だ』という問いが、未だにフローラの喉元に、魚の骨よろしくと言わんばかりに引っ掛かっている。
「もしかして、自分の正体を明かすつもりなの?」
その答えしか残されていない。『勝者には褒美を与える』という事は…即ち、レウターに正体を明かすという事なのだろうか?いや、それしかないのだろう。つまり、この状況にまで持って来られたら、ディレザリサもお手上げだ…という事なのかもしれない…と、フローラは考えた。
「そのつもりだ…だが、そう簡単に答えをくれてやるつもりもない」
あの時見せた恐ろしい程の笑顔を再び見せたディレザリサだが、直ぐに元の表情に戻り「退屈だ…」と呟いていた。
* * *
とうとう意を決したらしく、ハイゼルはもう一度剣を握り締めると、「行きます!」と声をあげて、その瞬間消えた。
(朧崩し…ですか。それはもう見飽きているんですがねぇ…)
レウターの眼には、ハイゼルの動きがまるでスローモーションのように見える。つまり、いくらハイゼルが高速移動しようが、そんなのはレウターにとって単なる小細工程度にしかならないのだ。
(頭上からの縦一閃…ですか…朧崩しの型ではありませんね…少しだけ頭を使ったという所でしょうが、所詮は……ん?)
その一瞬、レウターは何かを感じる。
それは、ハイゼルの纏う力ではない。
猛獣が自分を狙っているような、凶悪な視線。
「さあ、大好きな余興の始まりだぞ…レウター」
そう、ディレザリサは待っていたのだ。
ハイゼルが動き出す、この瞬間を。
(誰の視線ですか…!?誰の…一体誰の視線だ!!)
レウターは焦っていた。ハイゼルからの一撃は難なく弾いたが、その後にカウンターで攻撃する事を忘れるくらいに、焦りを隠せなかった。初めて感じる視線…いや、これはもう『魔力』という他に無い。いつもなら余裕の表情を崩さないレウターが、焦り…少しばかり恐怖すらしている。
「レウター様…?いや、これは好機だ…このチャンス、必ずモノにするッ!!」
レウターに剣を弾かれた際に、ハイゼルはまた宙へと戻っていた。剣の衝撃を利用したのだ。敢えて地に降りず、このまま朧崩しを連続で放てる体制を崩さないように、ハイゼルは再び宙に飛んだのだ。
「もう一度…今度は二撃!!」
上空から瞬速の袈裟斬りを先ず一撃。それを、レウターはいとも簡単に弾くが、弾かれた際にそのまま宙で回転し、今度は下からの逆袈裟斬りを放つ。
(ほう…考えましたね…!!)
だが、それさえもレウターは軽く弾いてしまう。そして……
「次は忘れませんよ…〝無の刀〟!!」
と、得意のノーモーションからの斬撃を放とうとしたのだが、あの眼が再びレウターを襲う。
(───ッ!?)
ハイゼルはその一瞬を見逃さなかった。ギリギリの所で身を翻してその一撃を躱すと、再び瞬速の斬撃を繰り出す。
「今度は…三撃!!」
レウターは気が気では無かった。ハイゼルとの戦いに集中すればあの眼が自分を見て邪魔をし、逆にあの目に集中すれば、ハイゼルが試行錯誤して繰り出す斬撃を弾けなくなる。つまり、レウターは『謎の視線攻撃を回避しつつ、更にハイゼルの斬撃を弾いてカウンターを与える』という難をクリアしなければならない。
(はあ…はあ…流石に苦しいですね…)
剣壁を使う際、一番消耗するのが『精神力』と『集中力』。それが『謎の視線攻撃』を受ける度に急激に消耗してしまう。
レウターはハイゼルが試行錯誤しながら繰り出す斬撃を弾き返すだけで精一杯になった。つまり、『無の刃』を放つ為の『精神力』と『集中力』が、完全に奪われたのである。
(これは魔法ですか…?それとも…別の…?)
そして、一瞬視界に入ったディレザリサを見て、レウターは確信した。
(───やはり、アナタですか!!)
それに気付いた時は、ハイゼルがレウターの右手の裾を掠った後だった……。
* * *
ハイゼルがようやく行動を開始した時まで、時間は少し遡る……。
「やっと動いたか…愚か者め…」
ディレザリサはそう言いながら、ニヤリと笑う。
「ディレ…どうするの?」
「何…少しからかってやるだけだ」
そう言うと、ディレザリサは自分の眼に魔力を集中した。
「見せてやろう…〝竜の視線〟というやつを…」
人間が竜と対峙した時、先ず驚くのはその大きさである。まるで城が浮いているかのような、圧倒的な存在感の前に、人間は怯え、逃げる。だが、それでも尚、立ち向かおうとする者もいる。人間はそれを『勇気』と讃えるのだろう…然し、竜からすればそれは単なる『無謀』…故に『愚か者め…』と呟いてしまうのだ。そして、その愚か者には眼で『恐怖』を植え付ける。竜の眼は、人間の恐怖を映し出す…というのは人間側の主張であり、実際は違う。
───単純に恐怖なのだ。
羽虫が人間を殺せないように、人間がどう足掻こうと竜を殺せるはずがない…つまり、竜の眼は人間の恐怖を映し出すのではなく、『純粋な恐怖そのもの』と言えよう。それでも尚、立ち向かって来る者には、せめてもの敬意として、苦痛無き死を与える。あの時の白銀の騎士がそうであったように…無論、逃げ出した者達には最大の恐怖と苦痛を持って殺す。それが『邪悪な竜』と呼ばれる所以なのだ。
そしてその眼を今、レウターに向けている。常人なら恐怖に耐えられずそのままショック死するか、失神するか、泣き喚いて逃げ出すだろう。だが、レウターは『五将総括』であり、『最強』と呼ばれる男だ。人間離れした『精神力』と『集中力』で、何とかその眼の力に耐えている。然し、それも時間の問題だろう…と、ディレザリサは嘲笑う。
「最後に笑うのは、私だよ…レウター」
次の瞬間、ハイゼルの剣がレウターの右手の裾を掠めたのだった……。
* * *
「・・・・・・」
レウターは動けなかった。世界最強と讃えられたこの男でも、『絶対的な恐怖』には打ち勝つ事が出来なかったのだ。足が震え、身体がまるで鉛になったように重い。足から根が張り、地面と同化しているのではないかと思うくらい、足を少しも動かす事が出来ないでいる。
「これ程…ですか…」
それは、ハイゼルに送った言葉ではないが、ハイゼルはそれを自分に対しての褒め言葉だと受け取り「ありがとうございます!」と深々と頭を下げた。
(いや…ハイゼル君に言った訳ではないのですが…まあいいでしょう。これも、まだ私の力不足という事ですからねぇ…)
そして、レウターは深呼吸をしてから、ハイゼルに告げた。
「お見事でした、ハイゼル君。君が私に…一撃を加えた初めての人間ですよ」
そして、周囲にいた兵士達が「うおおぉぉぉぉぉッ!!」と歓声をあげる。
「ハイゼル君。稽古はこれで終了です。先に戻って下さい。私は…少々やる事が出来ましたので…」
「はい!ありがとうございました!」
ハイゼルはもう一度、深々と頭を下げると、ディレザリサ達に目配せをした。その表情はとても高揚していて、満足そうだった。
「・・・・・・」
「あ、あはは…」
真実とは、時にして残酷である。
そして、知らない方が良い…という事もある。
「ハイゼル様には…黙っておこうね…ディレ…」
「そうだね…」
そして、これからが本番でもある。
レウターは、確実にディレザリサを竜と見たのだ。
「どうするの…?逃げる?」
「どうもこうもないよ…ちゃんと伝える」
「そ、そうだね…?」
この時、フローラはディレザリサに違和感を覚えた。先程とは、まるっきり雰囲気が違うのだ。それは、別人とも呼べる程に……。
「ディレ…?」
「…なに?」
「大丈夫…?」
「───うん。大丈夫だよ」
(どうなってるの…流石に変わり過ぎだよね…?)
フローラはこの違和感を胸の内にしまい込み、今はこの先の事をどうするべきかを考えた。だが、相手はそれを待ってはくれない。落ち着きを取り戻したレウターが、こっちに向かってゆっくりと歩いて来るのだ。
「ディレ…本当に大丈夫なの…?」
「大丈夫だから…もう、フローラは心配し過ぎだよ?」
その時見せた笑顔は、とても優しくて、柔らかく、愛おしさすら感じる笑顔だった。
然し、この違和感の正体を確信するには、まさに決定的な笑顔でもあった……。
【続】




